「無理をさせない」は「やらなくて良い」とは違う
よく支援の現場で「無理をさせずに」という言葉が使われます。
これが言葉が独り歩きして「嫌なものはさせなくていい」とか「難しければしなくていい」とかみたいなこととして扱う人がいるのですが、実はそうではないと思うのです。
適切な手段や方法、段階で取り組むということが基本だと思うのです。
「その子に合った」「合理的配慮」という部分でしょう。
「やらなくて良い」は子どもにとっては、一見便利で都合がよいようですが、子ども自身もどこかで「分からない」とか「無理=できない」を積み重ねていくものです。
それを「こんな風にしたら出来る」に変えていくのが支援ではないかな?と思うんです。
もちろん、その場では一見丸く収まるかもしれません。
しないまま別のものに移り変わるわけですから。
「あぁでもない」「こうでもない」をすっ飛ばしていますしね。
状況によって直ぐに出来ないものがあるかもしれません。
それも含めて「こうしたらできるかも」を準備するのが事前準備です。
子どもたちに「成功体験を提供する」というのが療育の基本だと思うのですが、どうも「失敗をさせない」という事の方が重視されがちなようです。
そんな中からこういう解釈が生まれてくるのでしょうね。
「失敗しても良いじゃん」という柔らかさの中で療育活動をしていけたら良いのに、と個人的には強く思います。
もちろん「不要な失敗体験」というのはあるでしょう。
それをさせないのは、それこそ準備とかその子理解を深めることで回避できるものだとも思うのです。