自分の心を守るために
義務教育では、人を傷つけちゃいけないと教えられた印象が強い。傷つけちゃったら謝りましょう、もセット。
でも、そんな風に教えられてもできない人は多い。元々は良い人でもてんてこまいで余裕不足で嫌な人になっちゃうことはある。
ということで、傷つかないための技術をもっと教えてほしかったと思う。自分のストレス具合を他人に委ねず、ある程度自分でコントロールできる方が絶対に生きやすい。
私がよくやるのは、傷つくようなことをしてきた相手を憐れむこと。
何かすごく嫌なことを言われたら。「え〜こんな素敵な私の良さがわからないなんてかわいそうな人ね!」と盛大に上から目線でいく。「あらそんなに感情的になっちゃって!どうしてそんなに余裕がないの?誰かにいじめられてきたの?それとも精神年齢が低いのかしら?心配ですわ(お嬢様を宿しながら)」でもいい。
憐れんでいる時点で上から目線なのである。面と向かって言うとこっちが嫌なやつになるから心の中だけにしておくこと。多少失礼なことを思ってしまっても、発言してなければ後でひとり反省会をすればいいだけだから。怒りより憐れみの方が穏やかで過去へ流しやすい感情だと私は感じている。やってみてほしい。
上の例は初心者には難しいかもしれない。そんなときは相手の事情を色々と妄想して勝手に設定を作って同情してあげる。例えばぶっきらぼうな対応をしてきた店員さんやこちらが何か言っても返事をしてくれない人。もしかしたらすごくお腹が痛くて笑顔を作ったり声を出したりする余裕もなかったのかもしれないと考える。私が悪かったんじゃないか、私がブスだからこんな対応をしてくるんだろう、なんて考えなくていい。お腹が痛かったんなら仕方がないか〜。と勝手に落ち着けばいい。
この方法は友人なんかを慰めるときにも使えると思う。ただ、あまり言い過ぎると「え、お前の方が性格悪くね?」「おいブーメランやめろって」となってしまう可能性もある。だからその場では言いすぎず、落ち着いてじっくり検証してからほどほどに使った方が安全だろう。
学生時代に部活でパワハラを受けていたことがある。その時は「私がポンコツだからこういう扱いをされるんだ。私が悪いんだ」と思っていた。典型的なハラスメント被害者の思考だろう。本来なら「まてまてこのミスは先輩の教え方が悪いからじゃん!フォローする気ゼロで終わってから怒鳴るだけなのはずるいって」「挨拶無視とか小学生までにしてくれよ……どうしてそんなことができる倫理観になっちゃったんだよ」という具合で相手の非も認めるべきだった。全部人のせいにするのと同じように、全部自分のせいにするのもまちがっている。大抵の問題は複数の人間のお互い様で成り立っている。と思う。例外も多いだろうが。
他にも色々あって私は結局うつ病になった。こんな道を歩む人が一人でも減ることを祈る。ちなみにパワハラしてきた先輩はかなり情緒が狂っていた。境界性パーソナリティ障害だったんじゃないかと思っている。もうその人とは一生関わりたくないけれど、その人にもその人なりの苦労があるんだろうなと思うとちょっと許せる。
上から目線をナチュラルにやるには自己肯定感や自信が必要だろう。だから私は普段からできるだけいい人であるよう意識している。店員さんに丁寧に接するし、子ども相手でも敬語を使うし、他人のものを許可なく触らない。たまにゴミ拾いをする。猫のトイレ掃除をちゃんとする。骨髄バンクにドナー登録して、献血ができない分ヘアドネーションもした。ご婦人が落とした杖を拾って渡した。自分が好きな自分でいるためにちょっとした心がけを続けている。ここまでしないと自分を肯定できない私はやっぱり病んでいるのだろうけど、結局いい人でいられるならそれでもいい。
勢いで書いてしまったから構成がなってなくてごめんなさい。すごく嫌で落ち込むことがあったらコメントで教えてくれたら嬉しい。過去のことにしやすいような捉え方を私が考えます。コメントか新しい記事で返事します。たぶんね。
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