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親の介護 子の奉仕

いつまで家ですごせるのかな

母の友達が施設へ旅立ちました(あの世ではない!)
パーキンソン病でしたが、何とか自宅で過ごされていましたが、母曰く「ほら、あそこはお義嫁さんと不仲でしょう?とうとうお義嫁さんがしびれを切らして連れて行かせたらしいんよ」
はぁ?
そんな手を引っ張って「はい入院」なんて今どきないでしょう?
「それが本人嫌がってたけど仕方なく」認知のゆがみでそう思ってるんだな・・・話は半分に聞いておこう。

母とその方は50年以上も似たような環境で働いていました。
市場の中で母は魚屋、その方は乾物屋さんでした。
向かい同士でよくおしゃべりもしていたし、私も仲良くしてもらいました。

そんなおばちゃんがパーキンソン病を発症したのは80をかなり過ぎてから。
それでも「きたよ~」と、母とおしゃべりしにカートを操って、よろよろしながらうちの家へゆっくりと上がってきては、二人でぺちゃくちゃおしゃべりしてました。
楽しそうでしたが、ほとんどが悪口で・・・

一度、おばちゃんは自宅で何かしらがあったらしく、車で二分ほどの病院に行きたいけど、お義嫁さんは車を出さない!タクシー呼んでも二時間待っても来ない、17時までに病院行かないと入院できない、どうしよう・・・って母に連絡が・・・
「あんた、車出してくれん?困っとるんよ」
はぁ?タクシーじゃないし、仕事中なんやけど・・・
「お願い!お願い!お願い!」年寄りって、こうって思ったら引かない。
私もかわいそうになって迎えに行ったら、寒空の下外でおばちゃんが立ってました(T_T)
お義嫁さんと思われる車も止まってました。
お義嫁さんもそこまでするには何かしらがあったのでしょう。
一方的に悪いと決めるのはよくないし、私もおばちゃんからの話を一方的にしか聞いていないので・・・
車で二分の病院へ送り届け、入口の看護師さんに申し送り。
看護師さんも「17時までだからはらはらしました」
時計を見たら16:58とかでした。

それからしばらくたった今日、市場へ買い物に。
ここは丸天の激うまのお店が唯一残って頑張ってくれています。
「乾物屋さん施設入ったの聞いた?」
丸天のお店のおいちゃんから尋ねられました。
おいちゃんは気難しい人と母から聞いていましたが、どこが?って感じ。私はお店にいなかったからかな?お客さんにも説教するとかw
おいちゃんに「母に聞いたんですが、要領を得なくて・・・無理やり連れていかれた、どこに行ったかはわからないって」
・・・おいちゃんも私の母の具合を気にしてくれていました。
「高校の近くの施設。体が動かない時が何度もあってね、救急車を数回呼んだこともあって、もういよいよ・・・仕方ないって。おばちゃんの話もだんだん変わるからね。うちもね、乾物屋さんしたくてしとるんやないんよ。おばちゃんが店の物置いていってね、どうする?って聞いたら、置いといてって。置きっぱなしもね・・・で、うちがやるようになったら【店を乗っ取った】って話になって。」
とんだとばっちり。
一番売れていた丸天屋さん・・・どうせそんな話だろうと思いました。

おばちゃんも悪い人ではないですが、母と二人でいつも自分たちは被害者、悪いのは周り、ってストーリーでよくもまぁ話が出るよね、って感じ。
私もずっと言われていたので、丸天屋さんの気持ちはわかります。
「お察しします」

おじさんも「お父さんが生きていた時はよく話したんよ。中卒の俺がこんなお店持てて感謝しとるよ。これからの人も困らないようになんとか道筋を作ってやってほしい、って言ってたんよ。そやけ、うちもみんなの店の権利買って、うちが市場買い取って・・・そうしたら周りではうちがみんなの店奪い取ったって話になってね・・・うちの奥さんも色々言われて困ってたけどしかたないけね・・・」
すみません・・・
「いいんよ、そんな事情もあったんよ」
多分これ氷山の一部の一部、超てっぺんの話。

ちょっと強面の天ぷら屋のおじちゃんと打ち解けた一日でした。

ゲッターズ飯田先生・・・今日はいい日らしいですが、その通りでしたよ。


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