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日記的なもの 53「テレビの価値的な話」

 日本には、テレビの深夜番組という時間帯が存在する。

 1960年代の深夜テレビといえば、砂嵐が基本だろうか。
 1970年代になると少し遅くまでテレビ放映している感じか。
 1980年代だと映画とお色気路線かな?
 1990年代はフジテレビを筆頭とした深夜バラエティー化。
 2000年代だと低迷と迷走と模索。
 2010年代はアニメってイメージだな。

 当然、あくまでも俺のイメージであって実際にそうだったのかどうかを断言できない。だれか当時の年表とか作って分析してくれないかな。

 っても今やテレビもインターネットに押されて衰退の一途を辿っているようにしか見えない。

 そもそも俺がテレビを観なくなった要因の一つは、不公平性だった。

 ニュース番組でのアナウンサーの立ち位置は俯瞰した視点から公平的な視線で世間で起こっている物事を視聴者に伝える、というようなことをNHKの鈴木健一アナウンサーが語っていたことがあった。
 なるほど、道理だ。

 が、日本テレビでのプロ野球中継は、解説者が片側チームひいきするならまだしも、アナウンサーが巨人軍びいきになっていた。公平性を持つべきアナウンサーが、である。
 ヤクルトや阪神などが攻撃であろうとっも、守備側の話ばかりする。当然、巨人攻撃時は巨人軍の話ばかりする。
 選手は嫌いじゃないが、巨人軍という存在が嫌いになるには十分だった。

 野球中継を観なくなるのはなにもCMの多さや時間切れで最後まで放映されないことが多いとかだけではなく、テレビ局側の放映姿勢も問題なのだ。

 実際、プロ野球人気は確かに絶頂期の頃よりかは落ち込んでいるかもしれないが、インターネット上におけるサブスクリプションで利益になるほどの視聴者が獲得できるほどにいる。
 とどのつまり、プロ野球の視聴率低下はファンの減少ではなくてテレビ局の放映姿勢に問題があって、それがいまだに続いているってことだ。

 ってこんなところで持論を述べようとも、00年代くらいから言われていたことだ。
 同時に、いまだにそれを日本中のあらゆる場所で言われているってことは、20年ほどたってもテレビ業界は何も学んでいないといえるだろう。

 それじゃ現代におけるテレビの役割とはなんなのか。

 テレビを買えば無料で情報を得られるわけじゃない。NHKに受信料という名前の半強制サブスクリプションを支払っているのだから、テレビは有料なのだ。

 同じ有料ならば、それこそテレビを捨ててhuluやnetfixなどで自分の見たい番組に投資した方が遥かに良いだろう。
 リアルタイムでの視聴も、テレビの生放送に対してのライブ配信がインターネットにある。
 電波が届く? 有線じゃなくてもWiMAXなどの無線回線がある。
 テレビは自分の欲しい以外の情報を勝手に得られるって言っても、ネットの海では集めようと思えば不必要な情報をテレビ以上に集められる。
 情報が偏るって言われても、松本サリン事件や宮崎勉死刑囚を筆頭にしたテレビ局の偏向報道の方がさらにひどいわけで、ネットの方がまだまとも。

 もう一度言おう。
 テレビを受信することは無料ではない。

 今一度、その受信料が本当にインターネットで見たい番組を見るよりも有意義なのか考えてみた方がいい。
 なんなら一か月間テレビ無しインターネットのみの生活をしてみると良いだろう。

 その結果、本当にテレビが必要かどうかが分かるはずだ。

 ちなみに俺はテレビをほとんど見なくとも、大地震発生時など災害関連の速報が得られるテレビは必要だったが(苦笑)。

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