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散財記⑬ J.M.ウエストンのシグニチャーローファー

色々なモノを買ってきた。「一生モノ」と思って買ったモノもあれば、衝動買いしたモノもある。そんな愛すべきモノたちを紹介する散財記。13回目はJ.M.ウエストンのシグニチャーローファーだ。

初めて履いた革靴(らしきもの)はローファーだった。中学校から私立の中高一貫校に進んだため、制服がブレザーとローファーだったのだ。指定されたローファーは、タンの部分に学校の頭文字が型押しされており、サドル部分の縫製がビーフロール(肉巻き)になっているタイプだった。

素材については覚えていないが、やたらテカテカしていたのを覚えている。当時は合皮がそこまで普及していなかったので、おそらく革だったのだろう。ただ、多くの中学生がそうであるように、成長を見越してやたら大きいサイズを購入したため、学生生活のほとんどを突っかけ状態で過ごしていた。

有名な話だが、ローファー(loafer)は「怠け者」という言葉が語源である。フォーマルなストレートチップと違って、靴紐を結ばなくても履けることからそう呼ばれるようになったという。その意味では、私こそ「ザ・ローファー」と言えるだろう。靴紐どころか、かかとさえ気にせずにパコパコ歩いていた訳だし。

そんな訳で、10代の多感な時期をローファーとともに過ごした訳だが、大学に入学して以来、パタッと履かなくなった。ローファーで過ごしたT県の中高生時代のイメージがつきすぎており、大都会の大学生が履くものではないと思っていたことが大きい。6年間ほぼ毎日履いていたので、飽き飽きしていたというのもある。サイズ選びが根本的に間違っているので、常にかかとが緩く、「歩きにくい靴」という印象を持っていたこともある。その分、「履きやすい靴」であったわけだが。

そんな訳で大学時代は1度も履かず、社会人になってからも10年以上、手に取ることさえしなかった。スーツを着ていた時期もあったので、カッチリしたスタイルにローファーがハマりにくかったというのもある。当時は英国紳士にかぶれていたので、肩パッドが入り、ウエストを絞ったスーツにストレートチップを合わせていたのだ。シンジラレナイ。

スーツにはストレートチップという、謎の固定観念を打ち砕いたのが、J.M.ウエストンのローファーであった。

簡単に説明しておくと、ウエストンはフランスの靴メーカーだ。靴を作るだけでなく、自社でタンナーを持ち、革をなめす所からやっているという「一本どっこ」なシューメーカーである。一般的にこういうのに男子は弱い。とにかく無駄なスペックを求めがちなのだ。絶対に使わないであろう耐寒機能(-20度まで耐える)とか、人類でいる以上、一生そんな所に行かないであろう耐圧機能(深度400㍍まで潜れる)とか、その手の機能に強く心引かれるのが、男子という存在である。昨今の多様性重視の風潮に異を唱えている訳ではないのであしからず。

さて、そんなウエストンを買ったのは、今から15年ほどさかのぼる。場所は、みんな大好き新宿伊勢丹メンズ館である。ジョン・ロブの叔父貴からエドワード・グリーン先輩、ベルルッティ姉さん(「靴を磨きなさい。そして、自分を磨きなさい」)までそろう、都内有数の高級紳士靴売り場である。さすがに店員さんの知識も深く、色やらサイズやらをあーでもないこーでもないと言いながら悩む時間が楽しかった。エドワード・グリーンのドーヴァーはめっちゃ柔らかくて履きやすかった。これは今でもちょっと欲しい。

そんなこんなで色々試しているうちに、意外とローファーも悪くないなと思った。たまたまチノパンを履いていて、足元とのバランスが異常に良かったこともある。ビーフロールが無いタイプなので、足元がスッキリ見えたんだよね。

当時、お店には限定品のネイビーとブラックのコンビがあって、最後まで悩み抜いた。結局、オーソドックスなブラックにしたのだが、使い勝手を考えると正解だったと思う。コンビシューズってモノとして見た場合はカッチョ良いのだけれど、実際に履いてみると、意外と合わせるのが難しかったりするし。ただ、今でもちょっと欲しい。

ウエストンと言えば、纏足をするのか!?と思うくらいの万力フィットが有名だが、そこまでギリギリを攻めなかったこともあり、3か月くらいで足になじんだ。それでも3か月かかったのだから、もう1サイズ下げたらどうなっていたのだろうか。

歳をとるにつれて、服装の趣味がカジュアル寄りに変わっていったこともあり、最近再び出番が増えつつある。スラックスだと少し頼りない感じだが、テーパードのチノパンなど厚めの生地のパンツにはドンズバである。

何度も修理を繰り返しながら、15年くらい履いているので、あちこちに傷が入り、履き皺にクラックが入できている。裏側を見てみると、足の指の形に丸くすり減り、今にも穴が開きそうである。大事に手入れをしてきたつもりだが、使えば痛むのは仕方がない。

少しでも長持ちさせようと、クラックを番手の細かい紙やすりで少しずつ削ってなめらかにして、保湿を欠かさないようにしている。手入れが必要なのは人間の肌と全く変わらない。手がかかる分、可愛さも増すというものだ。

長年履いてきただけあって、フィット感は完璧である。手入れをした後に裸足で履いてみると、足に吸い付くような履き心地が楽しめる。流石にそのまま外に出ることはないが、一度試してみたいと密かに思っている。

苦楽を共にしたモノというものは、新品には代え難い魅力があるのだ。



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