脱毛記⑨
こちらは、Iよりもさらにタチが悪い。Iならば、ギリギリ目視が可能だったが、Oは絶対に自分で見ることができない。何なら、剃る際も完全に勘が頼みである。
鏡をまたいで座ることが推奨されていたが、ちょうど良いサイズの鏡はわが家にはない。そんなもの、買えば良いのだろうが、何となく、自分の菊門を映すためだけにわざわざ鏡を買うのも気が引ける。三種の神器の一つに数えられる神聖な道具の末裔を、そのような不浄なものだけを映すために買いたくはない。何もそれだけを映すわけではないだろうが、現状特に他の用途として必要としていないので、できれば無駄なものを買いたくはない。
そうなると、もう、完全に手探りである。風呂以外でOをじっくりと触ることはなかったので、まずはどんな感じなのかを確かめてみる。……どうやら、周辺部位に毛が生えているようだ。そこまで大量ではないが、敏感な部分を守るためなのか、硬質な毛がそこそこの質量を伴って存在しているのが感じられる。形状はVとIよりもはるかに複雑で、たくさんのひだが重なり合ってシワとなっている。実に良くできたシステムである。これを傷つけないように毛だけを処理するのは、なかなか骨が折れそうだ。
いっそのこと、全て引き抜いてしまおうか、とも思ったが、それをやってしまうと、今度は脱毛ができなくなる。先述の通り、レーザーは黒い毛に反応して、その部分だけを攻撃するため、毛根ごと引き抜いてしまうと、攻撃対象が無くなってしまうのだ。そんな状態でレーザーを照射しても、ただ、痛いだけである。
私は意を決して、ボディトリマーの刃先を0㍉にし、ゆっくりとO周辺に押し当てた。角度を調整しながら、スイッチを入れる。トリマーは、ブォンとライトセーバーのような音を立てて、戦闘態勢に入った。ギザギザの刃が高速で回転し、触れるもの全てをそり落とすという鋼の意思を全身にみなぎらせている。ちょっと間違えると、あらぬところがざっくりいってしまいそうだ。
「……」
私は、慎重に狙いを定めて、そっと刃先を肌に滑らせた。肌といっても、ほとんど粘膜なみの柔さである。刃先がO周辺を動き回ると、鋭敏な部分がその動きに合わせてキュキュッとすぼむ。少しでも、安全に、そしてきれいに処理をしたいために、空いている手で自分の大臀筋周りをつかみ、O部分を押し広げる。もう、あらゆる動きが情けない。
なんとなれば、初老を迎えてデリケートゾーンの脱毛を試みるという、その心の蠢きこそがあさましく感じられ、何か大きな存在にすがりたいような、伏してわびを入れたいような、そんな不安定な心持ちさえしてくる。夜の風呂場で一人菊門周りの毛を剃っていると、人間は誰しも極めて内省的になるようである。親鸞も道元も、もしかすると栄西も、このような気持ちで仏門を志したのかもしれぬ。あやしうこそものぐるおしけれ。
そろそろと刃を進める。これは、カミソリの刃(は)という生やさしいものではない。刃(やいば)のそれである。抜けば玉散る紅の……である。刃先が少しでも急角度でその部分に触れると、すっぱりといってしまう。カミソリと言っても、電気シェーパーなので、じんわりと切れるだけだが、逆にそれが一番痛いという話もある。言うなれば、切れ味の悪いはさみで段ボールを切るようなものか。畢竟、刃と肌の距離は遠くなり、肝心の毛が長めに残ってしまう。できるだけ、短くするために、何度も刃先を滑らせる。
体勢もきつければ、やっていることもむなしさの極みである。さらに、危険を伴うとなれば、これは一体何の作業なのだろうか。神が人類を作りたもうた時には、このようなことは想定もしていなかったのに違いない。それもこれも、すべては知恵の実を食べたアダムとイブが悪いのである。彼らが蛇の誘いにのって禁断の木の実を口にした時から2000年、その瞬間に今この私の罪は内包されたのである。