散財記① ペリカン スーべレーンM800茶縞
多くのモノに散財してきた。
買うときは、「一生モノだ!」と思って買うのだが、今まで持ち続けてきたものはほとんどない。社会人になってからの20年で考えてみても、ずっと使い続けてきたものは、己の体くらいしか無い。
その肉体ですら3ヶ月で全ての細胞が入れ替わるのだ。同じ形はしているが、全てのパーツが違うモノは、果たして同一のモノと言えるのだろうか。「一生モノ」という概念自体が矛盾の塊である。
そんな中でも、自分で気に入って、「これは今後ずっと使うだろうな」と思うモノもいくつかある。「壊れても同じモノを買い直したい」と思うようなモノもある。そんな個人的な「モノ」にまつわる物語を書いていこうと思う。
まずは、万年筆。3本を所有しているのだが、中でも、ペリカンのМ800の茶縞が一番のお気に入りだ。
こちらは10年前に、万年筆専門店「フルハルター」で購入した。仕事の関係でお邪魔したのだが、いわゆる「森山モデル」の書き心地にすっかり惚れ込んでしまい、その場で購入した。ちょうど入社10年目だったし、一生使うだろうという思いもあった。人間至る所言い訳ありである。
ペリカンといえば、緑の縞模様が定番だが、当時、限定で発売されたばかりだった茶縞を選択した。昔から限定品に弱いが、これはなかなか良い判断だったと言える。明るい茶色から黒に近い黒褐色まで、光の当たり方や角度によって軸が様々に表情を変え、眺めていて飽きない。渋い万華鏡のような感じがする。持っていてうれしいというのは、大事に使うための重要な要素だと思う。
ニブは最も太い3Bを選んだ。これをMやFに研ぎ出すことも可能だということだったが、太目の書き味にほれ込み、そのままの形で使っている。ちなみに、ペリカンはもう3Bという太さは作っていないようだ。
書き味はさすがだ。この感覚を一言で言い表すのは難しい。「ヌラヌラ」とか「ヌルヌル」という擬音語に落ち着かざるを得ないのだが、どんな紙に書いても全く引っ掛かりがない。これは、かなりすごい。何かを書きながら思考をまとめていくタイプの人間にとって、常に機嫌よくペン先が走るというのは、極めて嬉しい感覚である。思考がタイムラグ無しで文字として現れる。書きながら脳と指先が快感を感じると言ったら言い過ぎだろうか。
仕事を終えて帰宅して、一杯やりながらノートに万年筆を走らすひと時は、何ものにも代えがたい。大体、飲みすぎて、自分でも何を書いているのかわからなくなってしまうのだが、頭の中のゴミを一掃できているような気がする。朝にいろいろと思ったことを書き連ねるモーニングノートという活動もあるが、イブニングノートもオツなものである。
インクはパイロットの「色彩雫」を使っている。その中でも、「松露」という緑色を長く使っていたのだが、仕事が忙しくなって、しばらく万年筆を使わなかったら、軸に緑色がしみ込んでしまった。別にインクが悪い訳ではなく、こちらの使い方が悪いのである。「一生モノ」が成立しないのは、こういう所なのかもしれない。
色々とやってみたが、どうしてもインクが取れない。困り果ててペリカンに相談したところ、限定品なのでドイツに送り、もしスペアの軸が残っていれば交換ができるということだった。それでも半年から1年間くらいはかかるという。
ダメ元で送ってみたところ、運よく在庫があり、軸だけ新品になって戻ってきた。以前の軸よりも黒味が強い感じがする。なんとなく凄みが増したようでますますお気に入りになった。モノは修理をすることで、さらに愛着が増すのだ。
その意味で、スマホは「一生モノ」にならないだろう。修理はできるだろうけれど、どんどん新しい機種が出てくるし、性能の陳腐化が避けられない。仮に修理を繰り返して使い続けたとしても、アンティークカーのような味わいは出ないのではないか。開けていないアイフォン3Gなら、今はそれなりの値段になりそうだが、それは単純に欲しい人がいるのに数が少ないという市場原理に基づいた値段であって、別にモノとしての価値が高まったからという訳ではない。
万年筆は茶縞を含めて、計3本所有している。ペリカンのM600ヴァイブラントオレンジと、モンブランのジョンレノンモデルである。いずれも限定品だ。しっかり市場原理に毒されている。それにしてもなぜこんなにも限定品に弱いのか。おそらく貧乏性なんだと思う。限定であろうとなかろうと、自分が使っていくうちに、世界で唯一の品になるのだ。思い出込みで。
M600はFニブで、日常でガシガシ使っている。インクは、「色彩雫」の「天色」を入れている。その名の通り、透き通った空の色である。なんてことのないメモ書きも、この色で書くと特別なもののように感じられる。昔は、軸に合わせて「冬柿」というオレンジ色のインクを使っていたのだが、気分転換に真逆の色にした。夏だし。
モンブランは30歳の記念に家族からもらった品だ。付き合いで言えば、こちらの方が長い。とある有名な映画監督にお会いした際に、「君は万年筆を使うのか」とお褒めの言葉を頂いた思い出の品だ。
ジョン・レノンモデルで、クリップはギターのネック型で、有名なジョンの自画像が刻印されている。全体はレコードをイメージして、ブラックレジンのボディーに細かな溝が彫られている。
大事に使っていたのだが、スカイツリーの開業日に大雨の中、ポロッと落としてしまい、キャップに傷が入ってしまった。あちゃーと思ったが、後の祭りである。仕方ないので、それはそのまま使っている。スカイツリーの開業が2012年5月22日なので、もう12年も昔になる。
キャップの傷を見るたびに、あの頃の思い出がふつふつとよみがえってくる。いろいろと若かったなあ。傷がつくのも悪いことばかりじゃないのかもしれない。よく電車の中で、バッキバキの携帯を使っている方がいるが、あれもきっと、何かの思い出の品なのかもしれない。指を切らないのか心配になるけれど。
そんな思い出が詰まった品だが、こちらも故障中。修理に出さねばと思っているのだが、いかんせん修理代が高い。円安の影響も相まって、新しい万年筆が買えてしまう。さらに限定品なので、国内での修理ができず、こちらもドイツに送る必要があるらしい。やれやれ、またドイツか。
モノでも人間でも、一生モノと付き合うには、それなりの覚悟が必要なのである。