虚構と紀行のはざまで――『パタゴニア』という物語の作り方
1、はじめに
ブルース・チャトウィンの本を読んでいると、身体がうずうずしてくる。押し入れに眠ったバックパックを背負いたくなる。特に、『パタゴニア』(芹沢真理子訳、河出書房新社)なんて極めて優れた冒険の書だ。この本が傑出した世界文学なのは、それが南米の秘境の真実を暴きだしているからじゃない。むしろ、彼のパタゴニア体験の真実味を限りなく薄め、実際に見たのか見なかったのかわからないモノに漂う抒情性、そしてパタゴニアにまつわる史実の劇化を物語に加えることで、この旅行記は文学としての重層性を増しているのだ。キリマンジャロ産の豆を挽いたブラックコーヒーにスジャータをたっぷり入れ、さらにレモンで割っているかのような、とんでもない調理がなされ、それが見事に融和することで、独創的な味が引き出されている。
それでは『パタゴニア』の独創性とは何だろうか。それは、本書が世界の真理をとらえようとする、ルポルタージュ的使命感で書かれているのではなく、虚構で世界を再構築しようという想像力で書かれている点にあるだろう。そしてその想像力が紀行文学としての奥行きをこの作品に与えているのだ。では、この「奥行き」とは何か。
2、旅を文学として表現すること
『旅のエクリチュール』(2000年)のなかで石川美子は、旅文学における「旅」の目的が公的なものと私的なものに分けて考えられうることが指摘している。中世における『コンスタンチノーブル征服記』(13世紀)や『コロンブス航海誌』(15世紀)などは、オフィシャルな旅行記あるいは通史として権力のもとで書かれた。石川いわく「公的な目的をもった旅は、かならず旅の記録をのこさねばならない。しかもその記録は、真実であると読者が信じ得るものでなければならない。そうでなければ、旅の目的はなしとげられない」のだ。
でも、執筆者が「その記録を待っている者がいる」という意識をひとたび抱いてしまうと、表現に変化が起きる。石川は『コロンブス航海誌』において、執筆者がスペイン王室の期待に応えられるような旅行記を書き上げようとするがあまり、新大陸についての記述が「ばら色のイメージ」に満ちていることを検証している。「結局のところ、公的な目的をもった旅行記には、かならず誇張や虚構あるいは個人的な解釈がつけくわえられ、作為的な操作がなされている」と石川はいい、「しかも、それは、ペンを進めるなかで思わず書いてしまったという程度のものではなく、その作為のほうにこそ作品を書く目的があった」のだと、旅行記が旅の真実の記録とは遠く離れた方法意識で書かれていることに注意を喚起する。
それでは私的な旅行記とはなにか。それは、マルコ・ポーロの『東方見聞録』(1298年)のように、もともと最初期に執筆をした際にはその旅行記が不特定多数の読者に届くように出版されるとは、全く考えていなかったものである。
マルコ・ポーロはジェノヴァでの捕虜時代に、獄中でかつてモンゴルを旅した時の冒険談を語った。それが騎士道物語作者ルスティケロの耳に入り、出版の話を持ちかけられた。そして足かけ二年の執筆を経て、『東方見聞録』は世に出ることとなったのである。
二年の間、マルコ・ポーロがこだわったのは、いかに旅の記憶を忠実に描き、嘘や偽りを排除するかであった。だが、当時の読者はマルコ・ポーロの旅行記の信憑性を疑い、ただの物語だとみなした。こうしたマルコ・ポーロの悲運を鑑みて石川は次のように結論づけている。
ここで言い当てられているのは、旅の表現様式における虚構のぬぐい難さである。作者が真実を伝えるつもりで書いたとしても、一度書き言葉(エクリチュール)に置き換えられた時点で、虚構と現実の狭間に作品は落とし込まれるのである。
だとすると、真実を映し出す際に、映像作品でもフォトグラフィックでもない文学作品は、虚構化を免れることができない。こうした問題を自明のものとして、そのなかでいかにして真実を描くかが、旅を文学として表現する際の重要課題となる。
3、紀行文学における虚構性
旅に関する文学のジャンルとして、まず旅日記がある。そして紀行文、旅物語、そしてルポルタージュがある。旅日記とは、上記で述べたマルコ・ポーロ『東方見聞録』や『コロンブス航海誌』のことだ。紀行文は、旅先での風景の発見を綴った作品である。それは場所や空間がそのテキスト内の時間のなかでどのような意味を持つのかにこだわり、いかにして探訪した建造物を効果的に書くかということを常に意識する。
石川は、松尾芭蕉『おくのほそ道』はこうした問題意識のもと綴られ、時には旅の事実に反する記述を多用していることを指摘する。芭蕉の門人であり、旅の付添人だった河合曾良は、芭蕉と旅をするなかで、日付と行動を正確に残した『曾良旅日記』を残している。これは表現様式でいえば無論「旅日記」にあたるが、これと『おくのほそ道』を照応させると、いかに芭蕉が実際の旅と異なる記述を盛り込んでいるかがわかるのだという。
彼(=芭蕉)は、紀行文論『笈の小文』のなかでも主張しているように、旅での見聞を文学作品としてまとめるには、事実の順序などにはこだわらずに効果的な構成を考えたほうがいい、と確信していたのだった。そして実際に、読者は、旅路が変更されているのを見つけるたびに、『おくのほそ道』の虚構性を批判するのではなく、むしろその構成の妙のほうに感嘆してしまうのである。
こうした石川の指摘からもわかるように、紀行文においては事実をありのままに書くというよりは、旅日記における虚構性を意識的により強め、それ自体が現実の旅の記録の体裁を保ちながら内実を虚構で効果的に綴っていくのである。
「おくのほそ道」が、このような芭蕉の体験が虚構的に再構築された書物であることは有名な話であり、たとえば、尾形功は「それは旅によって触発された詩心の記録、もしくは旅によってかきたてられた詩的幻想の記録」(松尾芭蕉『おくのほそ道 現代語訳/曾良随行日記付き』頴原退蔵・尾形功訳注、角川書店、1952年)だと左記本の解説で書いている。再び『パタゴニア』に話を戻すと、チャトウィンはパタゴニアへの旅に「おくのほそ道」を携帯していた。それゆえに、この「おくのほそ道」の記述方法をチャトウィンは知悉していたのは間違いないと筆者は確信している。
チャトウィンがパタゴニア紀行のあいだ、バックパックに入れて持ち歩いていた英訳版「おくのほそ道」は、1966年に刊行されたペンギンブックスの湯浅信之訳のものだということが現在わかっている。この英訳版には、作品冒頭に、全部で50頁もわたる訳者による解説が付いている。訳者である湯浅は、そこで、「おくのほそ道」の構成要素として特筆すべき点が2点あるという。二つの要素とは多種性(=variety)と統合性(=unity)。
湯浅は、「旅の途中に訪れた、誰にも知られていないような場所も含め、それぞれの地域の持つ空間が多様かつ固有の性格を持つものとして描かれている」ことを指摘し、それによって、芭蕉はその土地に根付く魂に没入するという経験をすることができたのだと、述べる。それは、場所だけでなく、道中、芭蕉が出逢った一人一人の人物をキャラクター性をゆたかに描くことによっても、成功させている。これが多種性(=variety)である。
もうひとつの統合性(=unity)とは、およそ次のようなことである。それは、「表面には見えないが、作品の意味の全容を形成するために隠された大きな力」のことであり、その統合性を結実させるために、芭蕉は作品全体を、旅の記録から独立させ、再構成したのだ、という。たとえば、それはそれぞれのエピソードをただ単に直線的にではなく、それぞれの出来事がなんらかの相関性を持つように円環的に置きなおしたのだとして、湯浅は、それが作品を極めてバランスよく統合していると主張している。そして、この多種性と統合性が見事に複雑かつ壮麗に絡まり合い作品を作り上げているのだという。
4、『パタゴニア』的想像力の仕組み
さて、それでは、ここでいちばん最初の問いに戻ろう。『パタゴニア』における魅力が、虚構を用いて旅の体験を再構築しようとする試みが生み出す文学的「奥行き」にあるとして、この「奥行き」とはいったいなんだろうか。
まず、『パタゴニア』はおそらく全部で3つのレファレンスから成り立っている。まず、チャトウィンがパタゴニアで実際に体験したことを書きとめたノート。それから、土地の人々の物語。さらには、パタゴニアにまつわる歴史の物語。そして、この3つを書き手であるチャトウィンが解体し、ひとつの物語として想像力を駆使して紡ぎなおしている。このことは従来の紀行文学とどのように異なるのか。
それは、この方法を用いることで、旅の目的が巧妙に見えなくなっているということにある。読後、思わず、パタゴニア紀行におけるチャトウィンの旅の目的とはいったいなんだったのだろうという疑問を筆者は抱かざるを得なかった。
最初、祖母の家にあった動物の剥製に魅せられて、パタゴニアに憧れを持ったという話が出てくる。しかし、それが恐竜ではなくオオナマケモノだったこと、同時に、世界が冷戦構造に覆われ始めたという状況が語られることで、チャトウィンのパタゴニアへの憧れの誘因は考古学的なロマン主義から政治的なユートピア幻想のようなものに取って代わる。だがそれでも、物語を読み進めながら、読者はなぜチャトウィンがパタゴニアを旅しているのかよくわからなくなる。そして、そんな状態のまま、チャトウィンがプエルトコンスエロ郊外の洞窟にたどり着く93章のページをめくると、そこで動物の皮を見つける次のような述懐を目にすることになる。
ここでははっきりと旅の目的が達成されたことがずいぶんと唐突に描かれる。わずか26行の記述でなんの感動もなく、いつのまにか旅の目的が遂げられ、チャトウィンがひとりで勝手に満足しているのだ。
『パタゴニア』では、こうして旅の目的が消去されたまま、ストーリーがさっきの3つの参照軸に沿って展開していく。この作品が、従来の紀行文学と比べて異質だというのは、この点にあるのだろう。従来の紀行文学は、シークアンドファインドの冒険の物語としての側面を持っていた。冒険によって、筆者はなんらかの宝探しを行っていた。もちろん、この宝とは文字通りの物質的な何かではなく、それは風景の発見だったり、旅する主体としての自己の内面の発見だったりといった抽象的な何かである場合が多く、旅の結果としてそうした発見が書き手にもたらされていたのだ。そのことの感動を、文学として綴っていたのである。
しかし、『パタゴニア』にはそうした冒険性は含まれていない。もちろん全くないわけではないが、それは2次、3次的な要素に過ぎない。これには「おくのほそ道」との共通点がある。
芭蕉もまた「おくのほそ道」によって、旅する自己の内面を発見したわけではない。一見すると、松島などの風景を発見したもののように思われるが、しかし、旅の記録である曾良の旅日記と照らし合わせると、実際には見ていないものを「見た」として芭蕉が記述していることがわかる。
だとすれば、芭蕉が「おくのほそ道」でなし得たのは風景の発見ではなく、あえていうとすれば、詩心の発見だったのである。これを『パタゴニア』に置き換えて言うとどうなるか。
『パタゴニア』の場合、「それは旅によって触発された物語的想像力の記録、もしくは旅によってかきたてられた物語的幻想の記録」だと言えはしないだろうか。そして、チャトウィンが『パタゴニア』によってなし得たのは、風景の発見でもなく、内面の発見でもなく、物語の発見だったのではないだろうか。
さきに『パタゴニア』は3つの参照軸からなると述べた。チャトウィンのノート、土地の物語、歴史的物語。通常、紀行文学においては、旅の記録、土地の物語、土地の歴史といったものをレファレンスとして用いることで、旅の目的は前景化される。だが、『パタゴニア』の場合、ここでもたらされる効果はその逆である。つまり、この3つのレファレンスストーリーを交えることで、旅の目的が消去されるのだ。それは旅の目的の後景化と呼んでもいいかもしれない。
また、先に触れた芭蕉の多種性(= variety)と統合性(= unity)もまた、『パタゴニア』の虚構を作り上げるための重要なツールとなっている。チャトウィンが旅先で出逢ったそれぞれの人物は、個性豊かに作品のなかで描かれている。そして、そのことが、旅の偶然性を読者に印象付けている。
さらに、旅で起きた出来事を時系列的に並べることをあえて避けることで、チャトウィンはただの事実の記録にとどまらず、作品に「表面には見えないが、作品の意味の全容を形成するために隠された大きな力」を込めることに成功しているのである。
さて、まとめると、まず、『パタゴニア』における魅力は、虚構を用いて旅の体験を再構築しようとする試みが生み出す文学的「奥行き」にあった。従来の紀行文学が、風景の発見や内面の発見を巡るシークアンドファンドの冒険の物語だったのに対して、チャトウィンが『パタゴニア』でなし得たのは、物語の発見とでもいうべきものだった。
そして、彼はそのうえで、記録ノート、土地の物語、歴史的物語の3つの参照軸を組み合わせることで、旅の目的を後景化させた。そしてそこで付与されたのは物語に特有な虚構性の持つ「表面には見えないが、作品の意味の全容を形成するために隠された大きな力」なのである。チャトウィンの『パタゴニア』における文学的「奥行き」とはこの点にあるのだ。まさにこのことが、『パタゴニア』をして独創的な紀行文学たらしめ、いま世界文学として私たちに届いているのである。
<参考文献>
石川美子『旅のエクリチュール』(みすず書房、2000年)
松尾芭蕉『おくのほそ道 現代語訳/曾良随行日記付き』(頴原退蔵・尾形功訳注、角川書店、1952年)
Basho “The Narrow Road to The Deep North And Other Travel Sketches” Penguin Books, 1966. (translated by Nobuyuki Yuasa)