「誰が言うか」と「何を言うか」はどっちが大切?
「誰が言うか」と「何を言うか」は、どちらのほうが大切なのでしょうか。
例えば、「誰が言うか」を優先しすぎると、その場で発言力のある人の言ったことが、あまり意見として説得力がなくても、みんなに受け入れられてしまったりする。
逆に、「何を言うか」を優先しすぎると、どれだけ信頼を積み重ねてきた人の発言であろうと、毎回、内容を精査する必要が出てきて、無駄な労力がかかってしまう。
というものです。
「誰が言うか」「何を言うか」のどちらをより重視すべきか。
私の中で、この問題の答えは出ています。
抽象論になればなるほど、誰が言うかが大事になり、
具体論に落とし込めば落とし込むほど、何を言うかが大事になる、
です。
なぜか。
抽象論は、解釈の幅が広いため、聞き手がそれをどう感じるかは、話し手に対する信頼感に依存するからです。(二人の関係性に依存するとも言えます)例えば、「信じてほしい」という言葉にどれだけの価値があるかは、浮気の常習犯が言うか、浮気をしたことがない人が言うかで、大きく意味合いが変わってきます。
それに対して、具体論は解釈の幅が狭いです。聞き手がそれをどう感じるかは、話し手に対する信頼感とは関係ありません。「そこにあるコンビニで、500mlペットボトルのコカコーラ買ってきて」というのは、信頼している人に言われようが、信頼していない人に言われようが、意味合いは全く同じです。
つまり、
あなたが他人に物事を伝える時に、それが抽象論なのか、具体論なのかをはっきりさせることで、それぞれの話をする時に注意すべき点がわかる、ということです。
抽象論の場合、どうしても話自体がフワっとしてしまいがちです。だからこそ「自分がその抽象論を言うにふさわしい人物なのか?」を考えてから言うようにすると良い、ということです。「○○っていうのは」と何かについて抽象的に語る場合、自分自身がその○○を語るに足る信頼がないと、あまり真剣に聞いてもらえないからです。
逆に、具体論を話すときは、話に過不足がないかを考えて話す方が良いです。せっかく具体的に何かを語ったのに、大事な情報が抜けてると意味が変わってくるからです。「スキー場に行ってきたんだよね」は「でも雪がまだ1ミリも降ってなかったんだよね」をつけ忘れると、意味合いが全く変わってきます。
抽象論はこちらの話が本当に伝わっているかどうか不確かだ、という弱点がある反面、物質ではない概念を伝えることができるという長所があります。
具体論は確実に物事を伝えることができるという長所がある反面、伝えられる内容が物質的なものに限られるという短所があります。
聞き手と信頼が築けている場合は、抽象論で。
築けていない場合は、具体論で。
これが私の現時点での考えです。