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同じ星、違う星、たまに交信できる星

noteを初めて一つ目のつぶやき。
最近見た映画の話をしよう。

「ちひろさん」

お弁当屋で働く元風俗嬢の主人公と、周囲の人との交流が描かれている。
掴みどころがなくて自由なちひろさんと、それぞれの孤独を抱えた人たち。
古い記憶の片隅にあるような街の景色は観ていてほっとする。

風俗嬢時代のお客さんが主人公の膝の上でこんな話をする。

僕たちはみんな、人間っていう箱に入った宇宙人なんだ。やってきた星がバラバラなんだから、分かり合えないのが当然なんだよ。


すとん、と腑に落ちる心地よい台詞。
確かに、同じ日本語で話していても、違う国の言葉で話しているような感覚になることがある。

家族、恋人、友人、同僚、ただの知り合い。
距離が近くなればなるほど、お互いを理解し合うことを目指さなければならないと思っていたことに気がついた。
でもそうじゃないんだと、少し楽になった。


主人公は物語の中で
「ああ、この人は私と同じ星の人だ」と思う相手に2人出会ったと語る。
とても羨ましく思う。

私はどうだろうか。
この広い宇宙の中で、今までに同じ星の人と出会えただろうか。

かつてどこかで出会えたことがあったかもしれないが、その人とは寂しい離れ方をしてしまったために今は側にはいないように思う。
大事なものを失ってしまった傷跡の気配が微かに残る。それについては忘れたままにしておこう。

身近な人はどうだろう。
ずっと思い続けて一緒になった夫は、遠い遠い星の人だ。それは最初から分かっていた。
遥か遠い星からの信号は私には理解できないことも多くあり、また信号を見逃してしまうこともある。
こちらからの信号が思ったように伝わらないこともある。それが救難信号だった場合の虚しさたるや。
しかしこの夫、「似てないもの同士、理解できないから面白い」と飄々と私のネガティブを覆す強者なのだ。

学生時代から私なんかと仲良くしてくれるもの好きで面倒見の良い友人たちは、気が置けない仲間だが同じ星では無いと思う。
自分とは違うものの見方をしているから、大好きで、尊敬しているのだ。

家族とは差し障りなく仲が良いが、同じ星では無い。
銀河系の中の同じ系には属しているが、まったく違う星だ。

夫も友人も家族も、皆違う星だが、たまに交信ができる。
そこに喜びがある。また繋がりたいと欲してしまう。

相手の星のことを尊重し、知りたいと思う反面、自分の星のことが伝わらないと「なぜ理解してくれないんだ」と腹が立つこともある。
腹が立つたびに自分はダメだ、自分の思いを人に伝えるのが下手すぎる、相手に求めてばかりで自分は相手の気持ちを汲み取れているのか、
と自己嫌悪していたが、
「違う星からやってきたのだから、分かり合えなくて当然」と気を緩めていいのだと、この映画を観て思えた。

ゆるっと、星間交流していこう。

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