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たのしい贈与経済のすゝめ

 人間がお金を媒介に物と物を交換し始める前、つまりは貨幣経済が立ち上がる以前、人々は物々交換ではなく、「贈与」によって、物(ないし様々な種類の富)の交換をしていたという説を聞いたことがある。それはこんな感じだ。ある人が、ある人に、贈り物をする。すると、受け取った人は、それにある種の「負い目」を感じ、贈り手に(頂いたものと同等、ないしはちょっと良い)贈り物の返礼をする。すると、それを受け取った側もまた返礼しようと思い、再度贈り物をする…これが繰り返される。贈与は返礼を生み、その返礼がまた返礼を生み、関係が継続していく。

 お金を媒介とする貨幣経済では「金の切れ目が縁の切れ目」であって、関係性は一過性であり、都度都度である。一方で、贈与経済では、贈与と返礼の連鎖によって、関係性は継続的となり、人と人とのつながりを生む。

 長崎に移住してから、自分の時間を人に贈ることが増えた。ボランティア的にいろんな活動の手伝いをしたり、人の困りごとの解決を手伝ったりしている。すると、有難いことに、いろんなお礼(主には食べ物)をいただくようになった。たくさんお礼を頂くものだから、申し訳ないなと思って、また色んな手伝いをしたりする。そうこうしているうちに、相手と仲良くなっていたりする。贈与経済を地で楽しんでいる。

 贈与経済は面白い。ただ、気をつけることもある。贈与はつながりを生むが、つながりが嬉しい場合もあれば、嬉しくない場合もある。例えば、嫌いな人・苦手な人からの贈り物には、返礼するのが億劫だし苦痛かもしれない。だからと言って、贈り物を拒否した場合、それは、相手との「関係構築の拒否」でもあるため、相手の気分を害する可能性もある。贈与には、つながりや一体感を生む可能性と、呪いや争いを生む可能性の、両方が内包されている。余談だが、贈与経済では、良くも悪くも、人々は「善良なGiver」であることを求められる。贈与経済はGive & Giveを前提として成り立つためだ。ただ、いつも善良であろうとすることは、ちょっと息苦しい時もあるかもしれない。

 そんなこともあるけれど、今のところ私は、長崎での贈与経済的な生活を、日々楽しんでいる。おしまい。


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