崎陽雑筆

思ったことや考えたこと。

崎陽雑筆

思ったことや考えたこと。

マガジン

  • 最後の東京帰省日記

    最後の東京帰省日記です

  • 九州一周自転車の旅

    九州一周自転車の旅の記憶

  • 移住者が感じる長崎の好きなところ

    つらつら語ります。

  • スマホを置いて旅に出る / 小値賀島旅行記

    小値賀島の旅行記です。

  • 東京帰省日記

    長崎に移り住み2年経つ移住者が、久しぶりに東京に帰省した時の日記です。

最近の記事

問い

 いつ繋がったか覚えていない海外の知人から「金が無くて食うものがない。助けてほしい」とメッセージをもらった。  こういうときに、どうすればいいのか、とても悩む。要点は3つある。 彼は本当のことを言っているのか 彼の状況が分からない 助けることの意味  (1)に関して言うと、端的に詐欺の可能性がある。詐欺とまではいかないまでも、金持ってそうな国のやつに適当にメッセージを送りまくって、小金を巻き上げよう、的なことはありそうである。  (2)に関して言うと、仮に彼が本当

    • 差異

       価値は差異から生じる。正確に言うと、価値の差異から、価値の差分が生まれる。例えば、大航海時代においては、東(アジア)と西(ヨーロッパ)のモノの価値には差異があった。輸送することで、価値の差分が生み出された。工業化時代においては、労働力市場と商品市場の間で価値に差異があり、現代においては、現在技術と将来技術の間で価値に差異がある。  価値を生み出す差異は、原理上、埋められる運命にある。大きな枠組みで見れば、必ずどこかで需要と供給が均衡する。供給側の話で言うと、差異を埋める方

      • 腹落ち

         今日は朝から畑の草刈りをした。草刈機で全体を刈り、畑の淵の部分は手鎌で綺麗にした。畑を始めたことで学んだことはたくさんある。今日も一つ学びがあった。それは、「鉄製の農具は素晴らしい(=如何に鉄が人類の食物生産にとって重要だったか)」ということだった。  鉄製農具が食料の生産性を向上させたと、歴史の教科書でよく見る。頭では分かっていたが、実際に畑で手を動かすと、腹落ち具合がやばい。今日は草刈りに鎌を多用したのだが、これが鉄製じゃないとするとゾッとする(正確にはステンレス(鉄

        • 逃走の効用

           「人は、傷付いた分だけ優しくなれる」とは、よく言われる言葉である。他者の痛みが分かるようになり、人に優しくなれるらしい。確かに、一理ある。加えて最近思うのは、それと似た感じで、「人は、『逃げた』分だけ世界が広がる」のかもしれないと思っている。  ここでいう「逃げる」というのは、ある世界観・価値観から離脱することを意味している。例えば、自分の場合は新卒で勤めた「大企業」が合わずに逃げ、次に務めた「スタートアップ」も逃げるように辞めた。スタートアップ勤務中は、当初「エンジニア

        マガジン

        • 最後の東京帰省日記
          13本
        • 九州一周自転車の旅
          3本
        • 移住者が感じる長崎の好きなところ
          4本
        • スマホを置いて旅に出る / 小値賀島旅行記
          5本
        • 東京帰省日記
          8本

        記事

          若さの錯覚(とその錯覚)

           長崎で暮らしていると、自分が「若い」と錯覚しがちで危ないことに気がついた。少子高齢化と若年層の人口流出が加速している長崎においては、今年で32歳になる自分も、比較的「若手」と見なされがちである。良いのか悪いのか、見た目と服装のせいもあり、しばしば大学生に間違われることもある。なお、長崎市のとある総合戦略では、若い世代を「18 歳から 39 歳」と定義している。 ***  先日、東京が拠点のとあるアワードに応募した。応募概要には、以下のようなことが書かれていた。  この

          若さの錯覚(とその錯覚)

          無意識に推していた

           以前こんなことを書いた。「人を応援することが、自分の支えになる」という「推し」の不思議な効用に関して、思うままに考えを述べた。  最近、気がついた。もしかしたら、自分は「長崎を推している」のかもしれない。純粋に長崎が好き、ということを超えて、実は自分を支えるために長崎を推している可能性がある。全く無意識だったが、核心をついている気配がある。  何かに尋常じゃない想いを注いでいる人は、実はそれによって自己を支えている。自分の力に変えている。そんな気がしている。

          無意識に推していた

          アナリティクス中毒

           新卒で入った会社に、よく株価を見ているおじさんがいた。勤務中にもかかわらず、スマホで頻繁にチラチラ見ていた。なぜ、そんなに株価が気になるのか。なぜ、そんな頻繁に見ているのか。その時はよく分からなかった。しかし今では、彼らの気持ちが少しだけ分かる気がする。  最近、YoutubeとPodcastのアナリティクスをよく見る。頻繁に見る。朝起きて見る。寝る前に見る。暇さえあれば見る。何人登録者が増えているのか、気になってしまう。完全に中毒と言っても差し支えない。おそらく、当時お

          アナリティクス中毒

          野菜

           近所に畑を借りて、野菜を育てている。これまで収穫できたのは、きゅうり、ナス、ピーマン、おくら。畑を始めて、自分で作った野菜を食べて思ったことは「やはり、自分で手作りした野菜は美味しいな!」…ということではなく、それも勿論あるのだが、むしろ「八百屋さんで安価にあんなに美味しい野菜が買えるのヤバすぎる」ということだった。  畑は大変だ。肉体労働である。定期的な水やり、雑草との戦い。気づくと全身蚊に刺されている。そして、野菜は育てるのも大変であるが、実は食べるのも大変なのである

          表裏

           口は災いの元である。不用意に、無用なことを話さない方が良い。そうではあるのだが、なぜか「何かを書きたい」気持ちもあって、不用意に無用なことを、日々noteに書き連ねている。口も、筆も、災いの元。現代風に言えば、キーボードやタッチパネルは、災いの元。とにかく、表現は災いと表裏一体である。  何かを表現することは、「私はこういう人間である」と表明することだ。世界に自分を投げ出す行為であり、投げ出したが最後、時に嫌われ、否定され、攻撃される。実は、反応があるだけまだマシで、世界

          縁と金

           「金の切れ目が縁の切れ目」と言う有名な言葉がある。金銭で成り立っている関係は、金がなくなれば終わる。長崎においても、これが当てはまる場合は多々ある。ただ、長崎で個人事業主をやっている一個人の感覚としては「縁の切れ目が金の切れ目」といった方が実感に近い。  長崎で開業してから、とても有り難いことに、現時点ではまだ、自ら営業して仕事を得たことがない。基本的に全て友人・知人の繋がりの中でお仕事の話が来る。人との繋がりがまず先にあり、ときたま、仕事の話になったりもする。結果的に、

          フィクション

           「最後の東京帰省日記」を書き終えた。途中で飽きてしまい(おい)書くのをやめようかと思ったが、最後まで書き終えて良かった。最後まで書くことで、前回の帰省が何だったのか改めて理解、というよりも、新しい解釈ができたように思う。  初めて東京に帰省した時は、久しぶりかつ相対化された東京がとても新鮮だった。滞在中に感情が揺さぶられることが多く、記憶も鮮明に残った。そのため、帰省から戻ってきてからの「東京移住日記」の執筆も比較的スイスイと書けた。一方で今回は、数度目の東京帰省で新鮮味

          フィクション

          最後の東京帰省日記 (完)

           前回の続き  気持ち悪さの原因が分かったのは、まさにこの日記のタイトルを考えている時だった。前回同様「東京帰省日記」をつけることは決まっていたが、なかなか良いタイトルが出てこない。「東京帰省日記 2023」「続・東京帰省日記」「東京帰省日記'23」など、考えてみるも、どうもしっくりこない。しばらく頭を捻っていると、突如「 ”最後の” 東京帰省日記」というタイトルが浮かんだ。  そう、自分はこれを最後にしたかったのだ。  過去にばかり目をむける帰省を、終わりにしたかった

          最後の東京帰省日記 (完)

          帰る / 最後の東京帰省日記 (12)

           前回の続き  中華街を抜け山下公園に出て、周辺を目的もなく歩く。もう、今回の帰省でやることは無くなった。時刻はお昼前。帰りの飛行機の時間まで、だいぶ時間が余ってしまった。せっかく東京にいるのだから、どこかに行こうかと思うも、あまり思いつかない。行きたいところがあまりない。象の鼻パークを抜け、赤レンガ倉庫を過ぎる。巨大なピカチュウのバルーンが、ぷくぷくと揺れていた。徐々にみなとみらいへ近づいている。  万国橋の上から、かつて自分が働いていたビルを眺める。新卒で入った会社は

          帰る / 最後の東京帰省日記 (12)

          おみくじに抗う / 最後の東京帰省日記 (11)

           前回の続き  山手地区から元町商店街を抜け中華街に入る。よく、長崎と横浜の中華街を比べる際に、規模の大小について言及されることが多い。ただ個人的には、大きさよりも、車道の有無が気になった。横浜の中華街には車道があり、車がスイスイ通っていく。その点に、どこか落ち着かない心持ちを感じた。  しばらく歩くと、横濱媽祖廟に通りかかった。長崎の唐寺や媽祖廟と比べると、だいぶ巨大でしっかり観光地化されている。せっかくなので中に入ることにした。中に入ると、巨大な線香をお供えすることが

          おみくじに抗う / 最後の東京帰省日記 (11)

          二つの山手地区 / 最後の東京帰省日記 ⑩

          前回の続き  最終日の朝、横浜に向かう。目的地は「山手地区」。ここは、幕末の横浜開港後、欧米の人々が多く暮らした旧外国人居留地である。横浜と、現在自分が暮らす長崎とは、まちの成り立ちに共通点がある。長崎も、幕末に開港し外国人居留地が作られた。長崎の歴史と文化に触れることで、翻って自分の地元、横浜の山手地区にも興味が湧いたため、今回訪れることにした。  港の見える丘公園の入り口から、散策を始めた。空はやや曇っているが、時折、夏の日差しが刺す。公園の階段を登っていると、汗が吹

          二つの山手地区 / 最後の東京帰省日記 ⑩

          変化 / 最後の東京帰省日記 ⑨

           前回の続き  夕暮れ時に、ホテルへ到着した。スイカの無事を確認して、冷蔵庫に収める。今日はこれから、新丸子へ向かう。この場所は、思い入れのある場所である。東京や神奈川や地元に対して、故郷と思う気持ちや愛着は一切ないが、新丸子だけは特別だ。初めて一人暮らしをした場所である。楽しい時も辛い時もいつも、自分にとって新丸子は、帰るべき場所、心が落ち着く場所として、存在していた。  新丸子についた時には、もう辺りはだいぶ暗くなっていた。まずは駅から歩いて数分のところにある「丸子温

          変化 / 最後の東京帰省日記 ⑨