雲仙ハム
僕は時々、文章を書きたくなる。
強く心が惹かれるものに出会った時に、それを表現したくなる。
その時の感覚を、表現するのは難しい。
それはまるで、胸の奥底から感動が湧き出てくるようで
そんな、溢れ出た感情に見合う、言葉と文章を、
そして、ストーリーとロジックとを、
紡ぎ出して編んでいくような、
そんな営みである。
この、表現の起点は、今までずっと「心」にあった。
「強く揺さぶられる心」にあった。
そう、今までは。
「雲仙ハム」に出会うまではー。
***
雲仙ハム。
それは、雲仙が、長崎が、銀河系に誇るソウルフードである。
僕は、その旨さを、知ってしまった。
シンプルに焼いた雲仙ハム。
それを口に入れた、その瞬間ー。
ただ、ただ、怒涛に押し寄せる、圧倒的な旨さ。
舌先から口いっぱいに、そして全身に、染みわたる多幸感。
全身に充満し行き場をなくした幸福は、深い吐息として唸り出される。
「ぅまぁ・・」
無意識に口から漏れると同時に、ふと我に返る。
そして戦慄する。
『こんな旨いものが、日本に、いや、地球上に存在していたなんて...』
『それを知らずに、今まで生きてきたなんて...』
私は知ってしまった。扉を、開けてしまった。
「雲仙ハムの旨さ」を、知ってしまったー。
***
それは初めての体験であった。
他の追随を許さない、ただただ圧倒的な旨さ。
感情と論理を超越した、圧倒的な「味覚の体験」。
この、舌に染みいる絶対的な旨さは、感情にも、論理にも、還元しえない。
それはただ、ただ圧倒的な、体験である。
「百聞は一見に如かず」よろしく、「百文は一験に如かない」
体験しないと、食べないと、この旨さはわからない。
名文家がいかに文章を尽くそうとも、
彦摩呂がどう言葉を飾ろうとも、
雲仙ハムのこの圧倒的な旨さの前では、それはただの塵にすぎぬ。
僕は今日、表現できない「旨さ」と出会った。
表現できぬがために、その表現できなさを、表現した。
それが僕の、精一杯なのである。