見出し画像

僕はまだ長崎を愛していないかもしれない

 エーリッヒ・フロムという社会心理学者が著した「愛するということ」という本が好きで、たびたび読み返している。この本の主題は「愛は技術である」ということで、本書の一節にて、フロムはこう説く。愛とは、恋のように ”自然に湧き出る” 感情ではなく、 "主体的に行う" 行為である、と。湧き上がるような恋心は、永遠には続かない。恋愛関係が終わった先に、愛は立ち現れる。

***

 長崎に移住した当初、見るもの全てが新鮮で、毎日が面白すぎた。元々長崎が好きだったのもあるが、歴史も文化も暮らしも面白すぎて、毎日気分が高揚していた。ただ一方で、こんなに長崎に夢中になるのも、最初だけかもしれないな、とも思っていた。人間は飽きる生物である。三ヶ月や半年くらい経てば、「長崎移住ハネムーン期間」が終わり、この熱はおさまるのかもしれないと想像していた。

 だが、それは誤算だった。長崎に移住して2年以上が経った今も、歴史も文化も暮らしも面白すぎて、毎日気分が高揚しているのである。確かに、移住当初に感じていた新鮮さは減り、多くのことが日常の一部になったことは否めない。しかし、それでもまだまだ、長崎は面白すぎる。毎日新しい発見に満ちている。今だに飽きる気配がない。

 冒頭のフロムの話に戻ると、自分はまだ、主体的に長崎を愛している感じがしない。長崎面白い!好きだ!という感情が ”自然に湧き出る” 感じがする。そういう意味で、まだ自分は長崎を「愛する」ことをしていない。

 長崎のことを、魅力も課題も特徴も全て知り尽くした後、酸いも甘いも体験しきった先に、本当の意味でこの土地を「愛する」ことが始まるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?