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「ありふれた、でも愛おしい」をみんなやりたい。私もやりたい。

とんでもない曲に出会ってしまった。

『パンとフィルム』という曲がありまして、これですね。

聴け。な??聴いたか?

少なくとも今これを聴けば得体の知れないけれども容易にイメージができる「エモ」を体験できるので、ぜひ。

とりあえずちょっと歌詞を書きましょう。

金木犀だった 懐かしい風の匂いがして 左手は誰か探してた
桜だった 髪の毛 からんだ花びらを からかう声 聴こえた気がした

暮らしの中 椅子の足に パンの湯気に どこでもきみがいて

嗚呼ありふれた けれど美しい日々よ
思い出と呼ぶには鮮やかすぎるフィルムたち
間違えない恋なんて恋じゃないとか言って 幼いあたしを見つめる おとなの瞳が好きだった
寂しさ 遥か過ぎ去って 空は変わらずそこにあって
パンとフィルム より

ここまでが1番ですね。エモくね?????

明らかな失恋ソング。なのにどこか爽やか。未練しかない。終わらせたことにしても終わらせられない。

これがね、いいんですよ。良い。

騒がしかった部屋は静かで、椅子には1人座っていないし朝ごはんは1人だし、思い出だけで括るにはどうにも色や記憶が溢れすぎる。

どこにでもある、ありふれた普通の恋愛をした。そこに変わりはないけれど、自分にとってはどんな香りもどんな日常もが特別なものになる大切なものだった。

なんてことのない日常からすぐに思い出せるくらい、自分にとって大事な存在になっていた。

どんな香りでも一瞬で「まだ別れていない」時間に遡ることができた。

それでも「ありふれた」と振り返って言えるこの…ね!?

聴け!!!!

惰性で付き合おうと本気で付き合おうと、別離の瞬間までは2人は特別な関係なわけで、それを大切にしていたのであればどこに行こうと何を食べようとそれなりに「その瞬間を過ごした人との記憶」が残ると思うんです。

自分にもそれはあるし、どこそこに行ったとか食べたとか食べに行ったとか、観たとか話したとかなんとか。

他人からすれば鼻で笑うようなことが、その瞬間は特別なものになる。そんなことが俗に言う「エモい」なのだろうけど、それをその瞬間はエモいと言われたくないのも事実。

たまにおススメに流れてくる他人の恋愛論はどれもありきたり。それでも、それを書いている人にとってはどれもが美しい回顧録。そう考えたら途端に綺麗なものに見えてきた。

どうせみんなそんなことをみんなやりたいんですよ。私もやりたい。そう考えると『花束みたいな恋をした』なんてタイトルは秀悦だなぁと思うわけです。

同じ花ではなく、それぞれが持ち寄って構成される花束。相容れなかったものでも花束と言い通すこの図太さというか、図々しさというか、健気さというか。

当人らでしか作られないありきたりでベタでくだらない恋愛、それをやろうとする心意気だったり楽しめる器量だったり、そんなものが揃っているカップルが私は好きです。

そんな話でした。

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