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ここまで愛国心があったとは
長押し21歳。8/21、およそ4割を同じ総理大臣のもと過ごした。
リアルに顔を見たことはないし、話をしたこともない。
それでも、昨日は思わず1人でお好み焼き屋さんに入り、瓶ビールを頼み、グラスを2つ。
献杯をした。一杯を飲み干し、そしてそのまま注いだばかりのビールを飲んだ。
ちょっと泣いた。
身内を亡くしたような気分だ。
それなのに腹は減る。喉は乾くし、やることは減るわけではない。
テレビはずっと同じことを流しているし、今になって死ねに似たことを言っていた人たちは言論の自由と民主主義の敗北、暴力を行使することの意義を話している。
今回の選挙は自民党とは違うところに入れようと思っていた。別に政治として納得できることは、他の政党の方が一致していると思っている。
あ、比例は赤松さんに入れるつもりではありますよ。オタクなんで。
でだ。そこまで自分はかつての総理を悼むことができたのかと、しみじみ感じていた。
全然他人だし、知っているけど知らない人だし、この先会うことは物理的な意味も含めてなくなった。
それでも、胸にぽっかりと穴が空いた気分だ。
まだ早いって、早すぎたって。病院食に「ジューシー」とか言うんじゃなかったのか?
まだ信じられない。理解はできても、実感ができない。そんな気持ち。
そして、ここまで自分はこの国に対して愛していたのだなぁと驚いている。
終わってんなこの国。とか、何やってんねん。とか、思うことは山ほどある。
いい加減若者に向けて色々やれや。とかも思う。そりゃそうだ。
それでも、それはそれ、これはこれだ。
自分の知っている人が殺された経験はあの人が初めてになる。
これが最後であって欲しい。最初で最後すらもいらなかった。
民主主義が暴力で屈しちゃいけない。そんな当たり前のことは、2回の発砲で覆された。
「無敵の人」だとか色々あるけど、これから先、自分が絶望した先に誰かを傷つけることで相殺しようとする人がどれだけ増えるか。
そして、自分が絶望したら踏みとどまることができるだろうか。
この国を愛していると胸を張れるか?胸を張れるような社会であってほしいし、胸を張れる生活をしたい。
あと何十年後かに、そっちで褒めてもらえるような国民に、あの人が育てた国で育った国民として、もうちょっと頑張ろう。
人が死んでも、当たり前のように次の日は来るし、欠けたことを実感させるまでもなく日常は進む。
さっきまで映画を観てきたし、これから先輩と飲む。
いわゆる当たり前だ。当たり前を過ごす。
というわけで、とりあえず今日はこの辺で。
待ち合わせに向かいたいと思います。