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観たぞ、『ノーウェイホーム』
想像しろ、超えてやる。
今回のコピーの文字通り、予告編に準拠する通りの限りで書くならば、間違いなくどれだけ想像を膨らませていてもそれをはるかに上回ることが起きるのだろう。
そんなことを思わせつつ、一日千秋三週間、アメリカでの公開からかなり焦らされ、やっとこの日本で封切られた『スパイダーマン/ノーウェイホーム』
なんとか公開日に観に行き、そして帰りの運転を事故らなかったことに感謝しつつ、風呂で体を洗ったかも定かではない夜を過ごした。
さて、そろそろスマホ版のnoteのタイトルで表示される領域くらいは超えたはず。
不安なのでネタバレを避けている人は速やかにこれを読んだら戻ってください。ここから先の責任は取れません。大いなるネタバレにはどんな責任も伴わない。
念のためがっつり改行しとこ……
単刀直入、ネタバレ、といっても今回何書いてもネタバレになるから開き直って感想とか考察とか全部書いてみることにします。力尽きたらそのまま投稿してパート2を書きましょうか。(追記:考察はパート2で書けたら書きます)
シンエヴァの感想を書いたときはあらすじとかストーリーを覚えている限り全部書いてそこの感想を足していたけど、そっちの方が楽しそうなのでまた別で書いてみますね。あくまでも今回は感想と考察に絞ります。
ホームにおける親愛なる隣人像の変化
トビーのスパイダーマン三部作、アンドリューの悔しきリブート二部作、そしてここにきてのトムホの三部作。
ホームカミング(HC)から始まり、既にオリジンが完成しているとされていたピーターが親愛なる隣人としてどうあるのか。
ある意味「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉の生き字引きであるスタークさんakaベンおじさんがいるというMCUの恩恵と共に始まった新星スパイダーマン。
続くファーフロムホーム(FFH)では「大いなる力」に「大いなる自己犠牲」という責任を等価交換し、アイアンマンとして救済を成し遂げたトニー亡き後、アベンジャーズの一員としての期待が重くのしかかる修学旅行を控えたピーターと、彼のメンターであったトニーに恨みを抱くなんともミステリアスな「亡霊」との邂逅が描かれた。
そんなFWHの最後の最後、若き戦士のマスクの下はただのティーンエイジャーであり、本作ノーウェイホーム(NWH)ではただただ親友や彼女と同じ大学に進学したいと願う高校生だったことが明かされた。
「親愛なる隣人」は一瞬にして「等身大の高校生」へとスケールが急落する。
そんな彼を助けてくれる、何でもできる、魔法のように鮮やかでクレバーな手段を教えてくれる「おじさん」はもういない。
社会からは排斥され、安息の地は取り上げられ、何かすれば全部が曲解される。
やるせなさと虚しさが混在する数日間、そして行動をするきっかけが「自分が大学に行くことを見送られることは分かる。だけれども親友と彼女の未来まで自分によってひっくり返されることは違う」と考えたこと。
これまでの全ての行動がその場にいる隣人を守ろうとするためのものだったのに、どうしたことかそれが全部裏目に出る。
大いなる力と責任を実感しない、カリスマ性と技術によって「未然に防ぐこと」、つまりは「ダメージコントロール」ではなく、「その場に応じた受け身のヒーロー活動」しかしてこなかった彼にとっては目の前の障壁の数を数えることすら出来なくなっていた。
魔法使いと高校生の解釈違い
不満や問題があればそれを解決する手段を全部試す。
彼のオリジンストーリーでも見せられた狂気に近い持ち前の勤勉さと自らの学ぶことへの執念があったスティーブン、いや、ドクターストレンジはそんな子供ではなかったのだから救済のベクトルがまた違っていたことがなんとも心苦しい。
「どうしてそれをせずに魔法に頼ろうとしたのか?」
「いつも当たり前のように魔法を使っているから」
大いなる力と責任を自覚している大人と子供。その違いを克明に描かれる説教でもない時間がまた残酷に過ぎていく。
それでもトニー亡き今、唯一ピーターを助けられる「身近な大人」であるストレンジは救済をすることを選んでしまう。
なぜなら、大いなる代償を払うことによって救われる手段を知っているから。
そして皮肉なことに『「自分を犠牲にすること」以外の犠牲』を知らない少年は、初めて自分を担保にした犠牲をコメディチックな空間で直面することになった。
そりゃ受け入れられるわけがない。自分のアイデンティティである大部分を自分自身しか知らず、思い出してもらえることが絶対にないその場における最速最短の解決策なんて、大学の学長に直談判するよりも難しいに違いない。
自分が自分自身たる居場所の喪失、この時点でNWHの概念は顔を覗かせていたのかもしれない。
生まれた「ズレ」とその修復
そんなこんなで事故った結果、いくつかの次元が交錯してしまう。
これはもう事故。至高の魔術師が招いた防ぎようのない事故だった。
だからこそストレンジは先述の通り最短距離で解決を目指す。彼にとっての壁は「なかったことにする」物理的消去が基本だから。
しかしその選択を壁や受難は乗り越えるものとしているピーターは選ばない。
運命は変えることができる。
高校生が街を守り、宇宙へ行き、名だたるヒーローと肩を並べ、復讐者として戦い抜いた経験があるから。
でも、それによって飛んでくる火種を払ってくれる少年にとってのヒーローはもういない。
キャップは前を向けと激を飛ばし、同じ一般人あがりのヒーローに同世代がいない。
何よりも理解者である師はもう何も教えてくれやしない。
どれだけ優れた機械があろうと、本人を救えなければガラクタも同然なのだ。
説明のできない現象と緻密に計算された根拠のある魔術がぶつかり合い、隣人であっても乗り越えるべき壁はきっちりと乗り越えようとするピーター。
それでもなんとか行動するピーターにまたもや邪魔が入る。
彼を嫌う世界の人間ではなく、「ピーター・パーカー」という概念に憎しみを蓄え続ける「本来なら倒されなければいけなかったモノたち」が襲いかかってくる。
どうであれ彼はヴィランが襲ってくるとそれによって涙する人を助けようとするし、彼が頑張れば頑張るほどヴィラン、好敵手たちのボルテージは上がっていく。
「喧嘩するほどなんとやら」で片付くわけではない一方的な愛憎が彼に襲いかかる。
それでも、別次元や宇宙であろうと、自分の中の正義に従う彼は助ける対象を選ばない。選べないのだ。ミステリオだって「救えなかった」存在であり、「救うつもりがそれすらも憎悪で燃やされた」存在だった。
いつだって彼を苦しめるのは彼が優しい存在であったことが原因となる過去の存在だった。
メタ的に言えば前シリーズ、前々シリーズの敵も優しさによって倒された存在だっただろう。
「誰であろうと助けなければいけない」そんな自責の念と唯一の家族によって育まれた、「誰かのために使う正義感」によってぎりぎり保たれている糸はあっさりと途切れた。
敵であろうと迷わず救うつもりだったカモを、邪悪に人格が芽生えた連中が放っておくはずがない。
ただの隣人に対しての庇護者であったピーターと、ピーターが自身をその手で殺すことによるカタルシスを形成せんとする邪悪な妖精であるゴブリン。
世界や宇宙規模ではない「たかが」マンション一棟を舞台にスパイダーマンとして、あるいはピーターとしての尊厳を裏切りと徹底的な破壊によって簒奪する容赦のない攻撃は、彼にとっての「あるべき姿」を根本から叩きのめした。
もう既に伝えられていた(と思っていた)家族の喪失を取りこぼすことなく消化され、頼りたい人は消え続け、アベンジャーであるための資格ともいえる喪失感すら持ち合わせない、またもやNWHがやってきた。
帰り道なんてもう忘れてしまっていたのではないだろうか。彼を笑顔で迎え入れる人間はもう残っていないのだから。
それでも次元はまだ少年を見捨てることはしなかった。
これは「「「ピーター」」」の物語
悪のあるところに正義あり。
ヴィラン栄えるところにヒーローあり。
宿敵いるところ、スパイダーマンあり。
想像はしていた。想像はしていたけれど易々と超えられた。
メタ的な事情を差し置いて、確かに存在していたけれども次元が異なることによって存在していなかった「隣に立ってくれる人」としての隣人たちがやってきたのだ。
ピーターにピーター、物語としては終わったけれども彼らの世界では毎日が大忙し、溢れるヴィランを相手に八面六臂の大活躍をし続けないといけない宿命かつ業を背負った彼らにとって、彼は今や自分たちの世界にいる「雨に濡れ泣いている少年」だった。
同じピーターである苦しみ、宿命、因果とも呼べる約束された愛しい人間との別離。
全てを「「「ピーター」」」であるが故のシンパシーによって慈しみ合う姿はスクリーン越しの観客までもを揺るがした。
次元を超えた、あり得ないほどに丁寧な葬送
最後に始まる大一番。予告の時点でもう既にピーターが勢揃いして戦うとは言われていたけれど、誰一人として引けを取らない戦いっぷりはかつてのアメイジングで三作続いていたそれらを思い出させるものだった。
これはそれぞれにとっての聖戦であり、文字通り全てにけじめをつけるための治療だったのだろう。
かつて生まれた後悔、あのときあと0.01秒でも早く動いていればと何度感じたかすら忘れてしまうほどの懺悔。それを丁寧に解きほぐし、「あったかもしれない瞬間」を善悪それぞれが目にする瞬間の救われたような顔が忘れられない。
常に努力をし続けてきたピーター。同じ愛していた概念を今度こそ救うことができたピーター。全てを失い捨てることによって自らをボーイからマンへと殻を打ち破ったピーター。
親愛なる隣人たちは、この瞬間に初めて、等身大のマスクを被ってクモの糸が出せるだけの「隣人」を救うことができたのだろう。
これはピーターではない、ピーターたちによる納得を探す次元を超越した旅だったのだ。
たった一人の「大いなる責任」
そんな安らかな旅もそう長くは続かない。
歪み続けた次元は高次元的なそれの襲来とともに均衡を崩した。
はずだった。
正体不明のヒーローの助けによって世界は、次元は守られたのだ。
自分の正体を自分以外の記憶から消すことを担保にした手と糸が届く限りの隣人を守らんとする勇姿は、文字通り誰の記憶にも残らなかった。
『君がどこにいようと、絶対に見つけ出すから!』
そう約束し、重ねられたセルが一枚ずつ減り線によって構成された主人公を間一髪のタイミングでヒロインが見つけた某アニメシリーズは去年有終の美を飾り、one last kissで幕を閉じられた。
少し特別な力を持つだけの少年が織りなすボーイミーツガール(と宇宙規模のアクション)だったこのシリーズだって、覚えていなくたって体は、魂は忘却の彼方にはいくことがない。
そんなことを微塵も疑わないまま、好きな女の子の前では口が早くなってしまう少年はメモを片手に彼女の元へ飛びこんだ——
当たり前だけれど何一つ愛しの彼女は自分のことを覚えていなかった。
約束も誓いも別れのキスも、全てを背追い込む「覚悟」には勝てなかったのだ。
いつか彼女を持ち上げ街をスイングした感動も、お互いのどこが好きかを話す時間も、別れの時が来ることなんて全く考えない地続きの未来を信じていた瞬間も、彼がいた世界にのみ置き去りにされていた。
彼だけが生き証人でありながらもそれを証明されるものがない。
取り残されてしまった世界で、ハイテクマシンに囲まれたコンドから狭く暗いアパートの一室で、忘れまいとすがる原点である人形とミシン。
大学進学どころか高校の卒業すらもしそびれた結果であるずしりと分厚い「責任」の塊。
そして赤く黒いスーツとマスク。
あとはもう揺るがない正義感。
それだけが、彼を留めるアイデンティティ。
ピーターとピーターがそうだったように、このピーターは今度こそ自らの力だけで切り拓いたスパイダーマンとして、紫色のエイリアンの襲来よりもはるかにスケールの小さい車の事故程度のトラブルを探しに街をめぐる。
憧れの人が作ってくれたピカピカのスーツに心を躍らせた15歳の少年はいつしか大人になり、後戻りをする道そのものをなくし、前しか見なくなった。
誰にも気づかれることがないまま今夜も独りで轍を作る。彼が歩く先に道ができ、隣を見れば同じような道が二つほど見えるような、見えないような。
そんな道を凝視する暇もなく、ピーターは今日も道なきビルの間を潜り抜け、最短距離で困っている隣人のもとへと駆けつける。
記憶は時間、帰り道はいずこ
「もう戻れない」「退路が断たれた」「家に帰る道はない」
どれであっても全て納得ができる意味として今作のサブタイトル、No way homeは君臨する。
『心の中にいる限り、人は死なない』
そんなロマンを誰かが言った。嘘だ。それじゃあ、記憶から消えてしまった人間は死んだも同然じゃないか。
違う。ピーターは世界線を超えたわけでもない。ただ忘れられただけなのだ。
過ごした時間も、触れられた感覚も、なぜか存在している傷も、それらをどうして感じるのか。
整合性なんか全くない。忘れたんだから忘れた。
概念そのものを消し飛ばす雑で暴力的な証明なんてできるはずがない魔術によって守られたものはとてつもなく巨大で、その平和を享受する人間はなんと矮小なことか。
それでも、それを守らんとした一人の戦士が羽を休める場所はいったいどこにあるのだろうか。
彼の「ホーム」は街となった。
じゃあ誰が彼を守ってくれるのか。誰か守ってくれないか?
宇宙を揺るがした戦いを共にしたヒーローたちも、マスクの下を晒した青年に向けて「ピーター!」と呼んでくれはしない。
口を揃えて「えーっと、名前は?」と首を傾げられることになるだろう。
せいぜい呼んでくれるのは同じ赤と黒で身を包んだ「次元」を軽々と超えるアイツしかいない。
頼んだぞデップー。お前だけしかもうこいつを認識してやれるやつは残ってないんだ。マジで、頼むからさほんと…
そんなわけでちょっとした感想でした。
近いうちに考察の記事を書かなくては。色々と考えさせられる描写がいくつかあったのでちょっと書いてみます。
これ何文字行ってるんやろ。不安になってきた。(5800文字超えてました。)
ではまたとりあえずまた明日。
ではでは。