板書を売ってるnoteって、どうなん?
我ながら誇ることがある。
去年あたりからの大学で受ける授業全ての板書を自分で取って、資料も含めて保存をしていること。
毎回の授業で配布されている資料を授業別のフォルダに保存して並べて、必要なときにいつでも引き出せるようにしてある。
もちろん魔が刺して板書をさぼったことは数知れずだけど、それなりに空白は少ないものになっている。
なので後輩が前提知識が必要な科目を履修しているなら、その板書からコピペして送ってあげることができるし、資料が必要なら見せることだってできる。
それくらいしか授業資料は広げてはいけないと思っていたし、実際のルール的にはその通りだ。
そんな自分の「当たり前」が見事に覆された瞬間にこの前遭遇した。
大学生が、授業の板書を、有料noteで売っていた。
自分もnoteを始めたての頃は、自分で取得したマーケティングについての解説や板書を有料noteで売っていたけど、それとは似ているようで少し違う代物だった。
普通に自分が書いていた板書を有料で売っていた。その違いは似ているようで全く違う。
著作権とか大丈夫なんか?と思いつつ #板書ノート を検索してみると、塾講師らしい方が授業の板書や授業プリントを無料や有料で公開しているのが出てきた。
これはセーフだろう。自分で作った板書だし、自分が書いている授業プリントを有料で公開する。
でも確かにこれまでの先人による知識を自分で書き直しているとなると、それはそれで有料にするのはどうなんだ…とかなってくる。
となると、大学の授業の板書を自分の言葉で書いているとなると、結局それはセーフなのかもしれない。
でも、仮に自分が今受けている応用認知心理学の授業の板書を有料で売るとなると、それは間違いなくほぼクロのグレーだし、場合によっては停学相当の処分が下ることは間違いないだろう。最初からするつもりはないけど。
いや、でもちょっと魔が刺したらやってしまうかもしれない。自分の言葉で勉強したことをまとめている。それを友達に有料で見せる。それはセーフなことなのではないか?
そんなことを考えた。
でも、仮にそれが無償の記事として公開するならどうなるのか。
研究をしている学生が自分の進捗を含めて書くノートをnoteに投稿するとなると、それはセーフな気がしなくもない。
分からなくなってきた。もしかすると自分がおったまげた学生の所属している大学は授業資料の公開を認めているかもしれないし。知らないけど。
とりあえず今日も真面目に板書を書いて、それからぼちぼち今日もnoteを書く。ジムにも行って疲れてきたのに偉いものだ。
今朝から、行きの電車ではTOEICの単語の勉強をすることに決めている。
80単語が片道の電車で読んで反復するピークだと分かったので、これからは80単語ずつ進めてみようと思う。
まだ簡単な単語ばかりだから変動するだろうけど、とりあえずはこれでやってみます。
帰りはDisney+のドラマを観ます。さっきもジムで走りながらバキ翼を見ていたけど、1話から面白そうな予感が止まらない。楽しみです。
とりあえず今日はこの辺で。ではまた明日。