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マンガは嫌いじゃない 2
ジパング結局最後まで読みました
焼け野原にならなければ日本は変われないと言ってきた米内が和平工作をしたような結末が描かれた
米内はもともと大艦巨砲主義の建艦設計者だった平賀に近かった故に逆に現実を受け止め和平工作に傾いたという発想で作られたとも考えられるがやはり何処か不自然に思える
そもそも、ジャニーズ問題と同様に戦前から日本型マスコミは迎合型の記事特性と思想を持っている
大政翼賛会は国民に迎合したマスコミが生み出した泡沫だったが結局日本人を迎合型のレトリックで支配した
また、日本人そのものがこういったものに感化されやすいという特性をもともと持っていたというのも大本営に支配されてしまった要因の一つだろう
本作最後の戦後処理において列強のエゴをどう抑えたかは戦闘本編が終わると興味を失ってしまい読み飛ばしてしまったのでよくわからなかった
タイムトラベルが抱えるパラドックスにパラレルワールドを認めるかどうかの選択がある
アインシュタイン科学の思想的側面や宗教的側面から導き出したのがタイムトラベルだと捉えている
光の速度を超えて移動するものは時間の軸に変異を生じる(多くは延長する)という宗教的仮設だと受け止めている
何故宗教的かというと光の速度を超える移動手段がない以上実証はできない仮説に過ぎないからだ
物理学的に時間の軸に歪みが出るとしても科学という宗教の中ではパラレルワールドという発想は無かったと思う
後の夢想家または小説家の生み出した仮説には賛成できぬ
今回の結末でも描かれたが進化の過程のような枝分かれした二つの世界があるという小説的仮定は2つの世界にそれぞれ同じ人物が生きていても良いのではと思われるが、人の存在は常に一つというパラドックスが支配する
具体的には1人の人物はその背景となる風景が2つ存在するにも関わらず同時に2つのパラレルワールドには存在しないという立場を取るというのはいかにもご都合主義の推理小説的手段としか言えるかもしれない
まだ、ドクが暴れ回るバックトゥーザフューチャーのほうが歴史が変わった時点でほかのワールドは存在しないぶん潔いよくて好きかなぁと思った
第二次大戦の平和的な終結。そのような新世界的な結末が描かれた
考えようによっては過去のタイムトラベルものより一歩踏み込んだ結末かもしれない
ベタだが、再度嵐に巻き込まれ再び何事もなかったかのように死者も生き返って元の世界に戻ってくるハッピーエンドなタイムトラベル世界を描いたほうが個人的としてはエンタメ的にも納得がいくのだが、この結末のように歴史事実変更に一歩踏み込んだ場合は新しい世界を有耶無耶にすることができなかったからなのだろうか
もっとも映画化を目論んで、最初から映画版的エンタメ結末を使わず残しておいたのだとすると作者に脱帽するしかない
とまれ面白く読ませてくれた作者に敬礼