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コルク狩りの闇

Twitterのトレンドに「上納金3千円」というワードが上がっていた。

この地域を「コルク半」をかぶって走るなら、先輩に毎月3千円払えって話。そして、自分達はそれを守ってるんだからという理由で、そうじゃない人を恐喝しヘルメットを奪ったとか。

ニュースはコチラ。

「コルク狩り」っていうんだってね。

コルク半

逮捕された少年への言及はさておき、不謹慎なことを先に言っておこう。

これまだかぶってる連中いるんだね。懐かしい。
地域にも拠るんだろうけど僕は、「コルク半」と呼ぶ習慣はなかった。「半キャップ」か「半ヘル」って呼んでいた。激安のは発砲スチロールみたいなインナーで、ちょっと高いのは確かに中はコルクだよね。

かぶり方については、ニュースで書いてないけど、これは頭に被るのではなく、ストラップを首に巻いて、首の後ろにぶら下げるのがお作法だ。

そんなことしてコケたら、死ななくても良い事故でも死にそうって思ってた。

ちなみに、25年前の話ね。
良い子はマネしちゃいけない。

昔は、この形のヘルメット自体にステータスがあったわけじゃないと思う。

バイク乗ったことない人は相場を知らないかもしれないけど、それなりに有名なメーカーの一般的なモデルだと3万くらいはするし、ちょっと良い色とか、柄が入ったりすると、プラス1~2万高くなる。

10代で単車をイタズラしているようなガキンチョが買うには、ヘルメットって、かなり高い買い物なのだ。半キャップだと数千円で買えて、警察に止められても言い訳できるので、被っている連中が多かった。

その辺から、中でもちょっと高いインナーがコルクの半キャップが、ステータスになっていったのかな。

みんな被っていてダサイので、とりあえずは「正しくないかぶり方」で、尖ってる感じを出したかったんだろうね。今のやんちゃな連中は、どう被ってるのかしらないけど。

ボンタン狩り

昔は「ボンタン狩り」ってあってさ。

時代が違うので、若い人の為に一応野暮な解説をするけど、ヤンキーが好んで履いたダボダボでスソだけ絞ったズボンがボンタンって呼ばれていてね。学ランの下には、標準のストレートじゃなくて、そういうのを履いていたわけ。「ボンタン狩り」ってのは、自分の縄張りでボンタンのやつを見つけてはケンカを売るというもの。

「コルク狩り」って聞いた時に、いつの時代も同じような事やってんなって思ったよ。

しかしね。
考えてみると、ちょっとボンタン狩りとは毛色がちがうな。

昔のボンタン狩りは、ヤンキー同士が勝手にやっていたこと。
この地域でどちらが上か、決着付けようぜということだ。または、その器量が無いくせにカッコだけ調子に乗ってんじゃねーぞという、抑止力という意味合いもあったと思う。

ちょっと知的な喩えをだせば、武蔵坊弁慶の「刀狩り」みたいなもんだ。

当時も、弱そうな人を見つけてはカツアゲするような輩もいたけど、それはダサイ行為とされていた。

コルク狩りの対象

今回のニュースで被害者になっている22才の会社員男性って、どんな人だったのかな。

何かやらかしたら後ろ盾がヤバそうなチンピラ風とか、米軍基地から出てきたみたいなゴリゴリに強そうな人にケンカ売ったならたいしたもんだけど、そうではないと思う。

5才も年上に絡んでるんだから、きっと、真面目でおとなしそうな雰囲気の人だったんだろうなという想像をしている。あくまで想像だけどね。

つまり、ケンカしたら絶対に勝てそうな相手を狙って絡むんだ。
勝てそうっていうより、脅すだけで、ケンカしなくても済みそうな人だ。

そういうのが「コルク狩り」だとしたら、そうとう闇が深い。

自分より強い相手には服従させられ、自分より弱いヤツを見つけては服従させるという、典型的な暴力統治のシステムが出来上がっている。

暴力の矛先がない組織の末端の連中は、さらに弱い人を探している。

終わりのない治安維持

街にこういう奴らがいるというのは、困ったもんだ。

事件自体はくだらないと思うし、上納金って言ってもたったの3千円かよって思った人もいるかもしれないけど、問題はそういうことじゃない。

この17才の少年、今回捕まったのが幸運で、しばらくは周囲の大人達に潰されると思うけど、それでカッチリ落とし前をつけて、良い男になって欲しいよね。

闇は深く、コルク半を探してゴロついてる連中が、まだまだたくさんはびこっているということだ。

これも想像だけど、こいつらの上には怖い先輩がいて、さらにその上を二つくらい辿ると、反社会的な組織に繋がっているようにも思う。

「コルク狩り」を1件捕まえたところで、街の治安はまったく変わらない。
ヤンキーほど「上」を怖がって、そう簡単にはしゃべらないので、元締めを探すというのはそう簡単ではないはずだ。

こういう話になると、「悪い人」vs「警察」、みたいに傍観してしまう人が多いと思う。

小中学生をよく見ていると、それぞれの地域に既に悪の種はあって、彼らもまた、そういう地域や家庭の環境によって生み出された被害者であるとも感じることが多い。

つまり、その地域環境を作っているのは、僕ら大人であり、家庭環境を作っているのは、親としての自分ということね。

地域で目に付く悪い人が出てきたら、それは地域住民の心に潜む悪の象徴なんじゃないかなという気がしている。

家庭に絞って考えると、子どもがグレるというのは、それは保護者の心の中の悪が顕在化してるんじゃないかな。

とうぜん、周囲の環境もあるし、保護者自身も自分の境遇を生きるのが精一杯で、子どもに目を向けられない人も居る。だから、それだけで済む単純な話ではないけど、そんな風に思うのだ。

悪い事する人は悪いし、警察には最大限取り締まって欲しいけど、同じくらい、地域住民の心を手入れしないと、こういう問題は解決しないよね。でも、そういう目線にはなかなかなれない。なぜならみんなが、「私は悪いことしない」って思ってるから。

実際、解決されずに、ボンタン狩りから四半世紀が過ぎても解決どころか悪化している。数字は調べていないので件数は減っているのかもしれないけど、そのやり口が汚くなっている。

くだらない事件が、くだらないうちに。

それは、悪くないと思っている自分自身の問題と捉えるように考えたいな。


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ながおか@小中高学生の子を持つ経営者
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