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子育てと受験

今日はセンター試験だね。

自分が受けたのはもう20数年前。
そして、そのセンター試験も今年が最後。来年からは大学入学共通テストということで、出題形式なんかもいろいろ変わるという話が聞こえてくる。

進学すべきか

僕が通った高校は、学力で言うと札幌市内では「中の上」くらいのレベルで、ほとんどの子が進学し、就職は理系ではクラスで1~2名だった。文系ではもう少し多かったかもしれない。

卒業式に時、トヨタの系列会社に就職が決まっていた友人が妙に大人びて見えたことを覚えている。

普通科だった高校三年のころ、どんな道に進もうか色々考えた。「色々」と言っても、今振り返ればとても狭い選択肢でしか人生設計していなかったということに気づく。就職は考えた事無かったし、進路も工学部系のイメージしかなかった。

当然ながら、40代になった現在の生き方は、高校生の頃に考えていた大人像からは完全に想定外なのは言うまでも無い。

受験や進学、就職してからどうだ?みたいな話になると、親の刷り込みで高偏差値なレールを走らされてきた子という話題がよく出てくる。そういう意味では、僕の両親は、勉強しなさいと急き立てることはなかった。

* * *

いよいよ大学受験の願書を出すような時期、父に言われたことは今でも覚えている。

「大学行かないなら中古のフェラーリくらい買ってやるぞ」

本当に買ってくれるはずもない。進学するということは、それくらいの金がかかるということを伝えるための、父なりの方便である。単に経済的な問題ではなく、大学に行くことの価値をよく考えなさいということを言いたかったのだ。

センター試験からの国立大受験、そして滑り止めの私立大の受験をいくつかという同級生が多かった。僕は、私立大も1つに絞ったが、特に目的もなく、志望の国立大よりやや入りやすく、似たようなジャンルで通いやすいくらいの理由しかなかった。

それを見透かしたように父に言われたのは「私立のほうも本当に行きたい学校なのか?」ということである。

僕は私立大の受験を辞めた。

「あー、無駄な受験代がかからなくてよかった。これは好きに使っていい。」と、私立大の受験料3万円は小遣いとしてくれた。

志望大学の前期日程は二次試験もなく、僕の受験は20数年前のセンター試験、たった1回で終わった。

無事、国立大への進学が決まったわけだが、父のおかげで、その意味をかみしめて巣立ったのである。

その後、大学生活では色々失敗をして両親を裏切ることになるが、その話はまたの機会に。

現役子育て中に思うこと

うちの子達は今年の時点で3人とも小学生。
都会の教育ママ達は、高学年ともなれば色々ストレスも多いかもしれないけど田舎暮らしではまだ受験など意識するようなこともない。

そういう地域格差が大人になってもそのまま続くことは問題なのかもしれないけど、田舎の人が無理に受験戦争に乗り込むことを望んでいるわけでもないことを考えると、国による是正はなかなか進まないのはよく分かる。

ある程度以上のレベルの学校になると、首都圏の子達しかいなく、その偏った傾向は霞ヶ関まで続いているのだろう。

この辺でも小学生のうちから塾や通信教材で一生懸命やっているうちもあるけれど、うちはほとんど教育費用を掛けていない。

毎年4月になると、その学年の問題集を買いに本屋に行く。
1000円前後の問題集を1人数冊、3人分だと1万円くらいになるが、年間でそれくらいなので安いものである。

問題のレベルは、とびきり難しいものを選ぶ。
難関私立中学を目指す子達が使うような物だ。とうぜん、並の頭のうちの子達が1人では進められない問題も多いが、そうやって親子の時間を強制的に作っている。

この作戦で、高校の二次関数や微分積分くらいまで行ってやろうと思っている。できるかどうかは、また別問題だけど。笑

今、乗り切るしかない

現役受験生のみんなは、とにかく今期にベストを尽くして乗り切って欲しい。合格、不合格は、まるでその後の人生を決めてしまうように錯覚するが、自分自身のレベルがそれで変わるわけではない。

合格すれば嬉しいし、不合格なら落ち込むが、大人になってしまうとそれはほんの一時的なこと。浪人経験をした人、第2志望の学校へ進学した人が不幸な人生を送っているわけではない。

それよりも、なんのために自分が進学したいのか、何のための受験なのか、よく考えて欲しいと思う。

みんなが行くから?
親が望んでいるから?
と問われたら、ほとんどの受験生が、これは自分の意思だと答えるだろう。でも、さらに突き詰めると、いつの間にか世間の「普通」に流されたり、親や先生の話が、自分の夢とすり替わっていないだろうか。

将来設計とはまったく当てにならないので、変更になっても気にすることはないが、近い未来のことでさえ、なりたい自分像が見えていないと、成功も失敗もその後の肥やしにならない。

大人は、子ども達が自分と同じような未来を共有していると安心する。
でも、それは大人がイメージしている未来であって、子ども達の時代には通用しないことも多い。

自分のために、まずは今を精一杯がんばってほしい。

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