スマホがあるから勉強しても意味ない?
娘が言うのです。
「スマホで何でも調べられるんだから、勉強って意味なくない?」
確かに今や、PCどころか、スマホひとつあれば、世界の情報にアクセスして、瞬時に調べることができますね。
そこで、小学生にもわかるように、僕はこう返しました。
「じゃあスマホがあれば、事故を起こさない自動運転のシステムを小学生でも開発できるよね?」
「えー、ムリ!」
「スマホで調べたら解決するんじゃないの?」
そんなやりとりをしました。
世界の情報にアクセス出来るのは事実です。
しかし、だれもでその情報にたどりつけるかというのは別問題です。
仮に欲しい情報を見つけたとしても、それを使いこなすのはもっと難しいです。
小学生が自動運転の開発の例じゃないですが、試しにネットで調べるのOKで学校のテストを解いたらどうでしょう。おそらく、小学校のテストくらいなら、どの教科でも満点近く取れるでしょう。
では試しに、東大の2次試験だったら・・。
どんなサイトを調べてもいいんですよ。
かなりの割合の人が、それでも難しいチャレンジになると思います。
これはなぜかというと、情報とは、自分のレベルでしか収集することができないのです。(東大レベルの方が読んでいたら失礼しました(^_^;))
それもそのはず、まず単純に言葉がわからない。
文章の意味がわからない。
同じ日本語のはずなのに、自分が住む世界と違う次元の人が使う言葉は理解出来ません。
そして、知識とは、単体で覚えたり使ったりするものではなく、知識同士のネットワークがあって、初めて生きてくるものです。
例えば、スマホ片手に二条城で虎の絵が描かれた金襖を見て・・
「(検索)ふむふむ、狩野甚之丞という人が描いたのか・・」
となる人。
「あれ?京都国立博物館で見た虎とそっくりだな・・(検索)・・・なるほど、『粉本』というネタ本があって、同じモチーフが何度も使われている狩野派と呼ばれているのか」
という感じで、知識が膨らんでいく人。
知識とは、始めは「点」だったものが、「線」となり、「面」となっていくんですね。だから、自分が見えている線上か、同じ面にない情報は見つけることができません。
自分の知識に見合ったレベルの情報しか見つけられないのです。
学校の勉強、とくに算数、数学が難しくなってくると、必ず聞く台詞がありますね。
「こんなの絶対、大人になっても使わない!」
確かに、仕事で因数分解や方程式を使う機会は少ないです。
でも、小学校の読み書き計算、中高ではそれらの発展、そういう基礎知識を抜きに、難しい問題を理解することどころか、必要な情報にたどり着くこと自体難しいものです。
というわけで、どんなにテクノロジーが発展しても、学校の勉強はしておいた方が良いと言うことが、娘に伝わったのかどうか・・・(^_^;)