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d news 「土地の物語を(使いながら)残す」

今から書く話は、沖縄でとある戸建物件を紹介して頂き、その素敵な佇まいに大きく心とそれまでの計画を揺さぶられて湧いたあるアイディアのお話です。

公開前物件のため、写真は全てイメージで今回の物件写真は使っていません。(本当は使いたいけど・・・・笑)



その家は意外にも町中に取り残されたように緑に囲まれてありました。周囲はお墓。そして豪邸。緑の先ははるか遠くに海。その丘の下の間には住宅が密集して幹線道路が走っています。でも、窓から見える風景は緑と海。そんな素晴らしい場所です。

建築はかなり古く、いたるところに残念なリフォームがなされていました。「残念な」と言うのは、おそらく元の建築は文化意識の高い家主さんによって間取りやテラス、駐車場から中庭に通じるアプローチ、わずかに残った上質な床材の選び方、今は使えなくなった特注の照明のスイッチ類・・・・。その一つ一つのセンスの良さが見え隠れする一方で、その感覚、センスを引き継げなかった修繕のそこここに、とても残念に気持ちになったのでした。

こんな話は、おそらく日本中にあるでしょう。
センスよく建てられたビルや戸建が残念な修繕で価値がどんどん下がってしまう様子・・・・。

意識の低い不動産屋によって「古い」とだけ価値判断され、それがある土地との親和性や、残されたものの価値、建物のセンスを取り戻し上質な借り手、住まい手に貸すことによって近隣周辺意識が少し取り戻されるというイメージができないことで「ただ古い」とされ、「現状のまま安く貸して、建物がいよいよ持たなくなったら更地にして、新しく建てる」と発想してしまう。「古いから好きにしていいよ」としてしまうことで、どんどん元の価値から遠ざかってしまう。

この物件に出会ったことによって、僕が求めていた「民泊とカフェ」という計画は一瞬で吹っ飛び、「このセンスを残したい(戻したい)」と思うようになりました。
もちろん、そこに導いてくれたのは、意識のある不動産屋さんで、僕の思いを今は東京に暮らす家主さんに伝えてくれました。
元のセンスに戻しながら、これからの使い勝手を考慮していく。そんなことができたら、次の借り手からも高い家賃が望めますし、将来的に大家さんが住むとなった時に、昔の品を保った時間の経過を楽しめる味わい深い暮らし、昔の親族から今に伝わる品が続いていく。そんなことになると思うのです。


まだ、何も起こってはいませんが、確実に僕の中には、自分ができることを探し始めていました。

写真はイメージです。


僕は「d design travel」という自社で出版している少し毛色の変わったトラベル誌の「沖縄号」の制作がきっかけで沖縄にのめり込んでいきました。
沖縄が日本じゃなかった頃のこと、日本にアメリカに侵略された頃のこと。戦時中のこと。終戦をむかえ、今もまだその爪痕は日々、朝晩関係なく爆音とともに脅かされている普段の日常。それをそれでも笑顔で暮らす人々のこと。
気がつくと小さなアパートを借りて今では一年の半年は暮らす場所になり、11年目をむかえています。

47都道府県を2ヶ月間かけて取材し「その土地らしさ」だけ紹介する本。現在33都道府県を完成。左上が沖縄号。それぞれの土地の印象を表紙に込めている。沖縄号の表紙は陶芸家の大嶺實清さんの作品。
10年暮らす沖縄の自宅部屋。宜野湾市。
D&DEPARTMENT OKINAWAがあるプラザハウスの2階。店頭の様子


そろそろアパートの賃料くらい稼ぎ出すような民泊でもして欲しいと、妻や会社に言われ(笑)、その当時、コロナのこともあり沖縄中が自粛ムードで店は夜の9時には閉まってしまう中で、それでもコロナはあけ、夜遊びの場所を探すのですがなかなか無い。
「ならば自分で立ち上げよう」と、いつもの調子で物件を探し、そこに引っ越して自宅として生活しながらその夜遊び場所を作る。そんなざっくりとした計画とも言えないやんちゃな夢の場所をディスペックの代表の古謝さんに相談しながら探し始めました。

ディスペックの古謝さんと物件を探す様子。
写真はイメージです。


僕が探していた夜遊びの場所とは、静かに本が読めるカフェ。本に囲まれながら静かにゆったり過ごせる場所。他の客はいるけれど、みんながその場所を理解していておしゃべりはできるけれど、周りへの配慮がある。店は予約制限で一度に10人までしかそこには入れず、入店時に3,000円ほどを払い、ワンドリンクを受け取る。もちろんお気に入りのソファやテーブルなどの利用状況を事前に把握できる案内のもとで席を予約できる。営業時間は夜8時から深夜2時。どこかで夕食を食べて自宅に戻り、それでもどこかに行きたいと思った時に行く場所。

沖縄でそれを探すと「真夜中ブックス」という古書店がヒットはしたものの、僕のイメージとはちょっと違う。(笑)

真夜中ブックスの知花あかりさん。なかなかユニークな店主とそこに集まってくる人たち。


そこで本格的に探し始めること4年。ついにこの物件に出会ったのでした。

4月のある雨の日にこの物件を見せて頂き、そのセンスに感動しつつも、かなり建物が古くなっていて、2バスルームの一つは残念なリフォーム、もう一つはおそらく使えない。もともとセンスよく配された埋め込み型の照明類は前に使っていた借主によって違うものに付け変えられ、上書きされた壁へのペンキは、平気でサッシやドアノブをもはみ出して塗られていました。

僕は最初「どこを古書カフェにして、ゲストはどこに泊めようか」と、今ある間取りを少しもいじらず生かして考えていましたが、やがて、このセンスを取り戻して自分の夢の場所の実現をするには、ものすごく改修費がかかるような気がしてきました。
そして、もう一つの大きな問題は駐車場がこの家のための2台分しかないということ。カフェをやる以上、最低でもあと2台〜4台分は欲しい。とはいえ、早くここを借りる判断をしなくては家主さんもいつまでも待ってはくれないだろう。

まずは借りる。

家賃はなんとか頑張れば払える金額でしたが、やはり「収益」を出してそこはクリアしなければ長くは続きません。
その時、僕の中で僕のように「この建物は、まずは借りなければ」と、共感してくれる友人の顔が浮かびました。

改修費は僕が頑張って出して、みんなには毎月の賃料を分担してもらえたら・・・・。20人くらいいれば毎月わずかで済む。みんなでまずは借りて、借り続けて、僕が快適に過ごせる環境を作る。その時はとにかく「借りなきゃ」という焦りしかありませんでした。そして、なんと、毎月のそんな家賃の出費に対して賛同する友人で家賃分の目処が立ちました。

感動しました。

毎月の生活もみんな大変なのに「なんだか面白そうだからいいよ」と言ってくれました。その背景には、おそらく3年前に立ち上げた同じようなことの実績があったのではと自分なりに思いました。

僕は故郷の愛知県知多郡阿久比町に「d news agui」というカフェ付きのショップを3年前に立ち上げました。ちょっとその話を書きます。

3歳から18歳までを「阿久比町(あぐい)」で育ち、町に何も刺激が無いのが嫌で東京に飛び出し、56歳の時に町の商工会青年部から「町で講演会を」とのお誘いを受け、すでに実家も無くなって行く理由もなくなっていた故郷からのオファーに、とても嬉しく思い当日を迎え、講演も終えて質疑の時、こんな言葉を頂きました。

「何かナガオカらしいこと、自分のふるさとでやってみては?」

阿久比町の真ん中を走る名鉄電車。


僕の店「D&DEPARTMENT」は全国に今14店舗。数年前に「愛知店」を名古屋駅周辺に計画したことがありました。その時にも「同じ愛知県のふるさと阿久比町に愛知店を作る」なんてことは微塵も考えませんでしたから、「何かやって欲しい」と言われたような気分になり、改めてふるさとを散歩してみました。

のどかな米どころ。28,000人が暮らす少し大きめの町。町のいたる所にノコギリ屋根の機屋の跡。知多木綿の日本を代表する産地の名残は、そんな工場の跡で感じ取れる。当時は50社もの工場が朝5時から夜10時くらいまで稼働していた活気は、今は2社となり、それでも元気に木綿を織っている。

町じゅうにある工場跡の風景。この町の風情の大切な一部
D&DEPARTMENT 京都の様子。本山佛光寺の境内に元々ある建物を使って営業して10年。左が食堂。右がショップ。そこにあった建物を現代に沿った使い方でそのまま使うことで、その場所の物語は続く。



「そうだ、このノコギリ屋根の工場跡で店をやろう。そうすればこの風景は残る」


貸してくれる空き工場を探すこと半年。快く貸してくださった鈴木純平さん、雅喜さんと出会い、数万円の家賃で借りることができました。そして完成までの費用の全てをクラウドファンディングで全国に呼びかけ、およそ1,000人近い理解者からの計4,000万とそこに足りない分を僕も足して完成。

町に暮らす住人を中心に呼びかける。「こういう場所はこの町に必要か」を。クラファンをきっかけに考えて頂き、「必要です!!ぜひ!!」というアクションとして支援が集まり実現したそんな店は、多くの支援者が大切な友人を連れて賑わう場所に、普段は入ることができない機織の工場の中に入れることで、昔の話や、同じような機織仕事をしていたおばあさんらが「懐かしい」と話し込む場所になりました。

みんなで町の価値に関わり続けるという幸せ。

今日も町内から、隣の町から、隣の県から、機織工場にみんなが集まって楽しそうにしています

d news aguiの外観。横から見るとノコギリ屋根が見えます。
お客さんたちと店内の様子
カフェスペース
建物の一部に作ったゲストルーム。ノコギリ屋根の大きな窓は「直射日光」が入らない方角に作られている。そこからの朝の光が清々しい。


話を戻しますね。笑


個人的に払えなくはないけれど、僕の生活にも負担がかかる金額の家賃を、友人に呼びかけてなんとか集まり、「なんという幸せだろう」と思うのもつかの間。2度目の建物への内見でなんとなく夢見がちにみていたイメージは少し具体的に見れるようになる。駐車場が必須であるが、現実は今のところ、他に空きがないこと。実際に快適にリフォームするのには自分がホームセンターに通ってDIYするレベルをはるかに超えそうだということ。

せっかく友人たちから「私たちも応援するから、実現してね」という応援をもらったのに、自分の手持ちの資金ではそれを達成できそうにない。
友人たちには「みんなで分担して家賃を負担してくれたら、年に数泊は使えるよ」と提案して理解もしてくれたのに、その「使える」状態にたどり着けない。みんなからお金を頂く前に気づけて本当によかったけれど、そんなことも考えつかなかった自分が本当に恥ずかしく思いました。

みんなで維持する、ということ。
立ち上げメンバーという仲間がいること。
この建物を建った当時の想いと一緒に戻し、使いながら残すこと。

自分の単なる趣味のような「深夜古書カフェと民泊」構想は、徐々にその発想の質を変化させ、同時にすでに愛知県で立ち上げた場所の再認識が自分の中で渦を巻き始めました。
そして、修繕するならこの人に頼みたいというデザイナーの真喜志奈美さんに相談しました。

真喜志さんはヨーガンレールや最近ではミナペルホネン(どちらもファツションデザイナー)からの信頼を得て、作家性というよりは建物の物語や素材を生かしたリデザインで評価の高い方。
僕の店「D&DEPARTMENT」の沖縄店の立ち上げも彼女によるもので(ミックスの比嘉さんと共同経営)、昔から信頼が深くありました。

そんな彼女に相談したところ、

この広さとこの質を取り戻すには、少なくとも1,500万くらいはかかりますね、と。当初僕が頑張って負担をしようとしていた500万の3倍・・・・。予想はしていましたが、これは手も足も出ません。

毎月を家賃を出してくれると言ってくれた友人一人一人に説明し、ひとまず白紙に戻し、さて、この大金をどう集めるか・・・・。
その前に、一つのことが頭の中にポッと湧きました。

そもそも、この建物の家主さんは、この動きをどう思われるのだろうか・・・・。


つづく

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ロングセラー「ナガオカケンメイの考え」の続編として、未だ、怒り続けているデザイナー、ナガオカケンメイの日記です。

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あの「ナガオカケンメイの考え」の続編です。基本的に怒っています。笑なんなんだょ!!って思って書いています。

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