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【長岡雑記帳】長岡の図書館の断片的雑記(特に互尊文庫に思うこと)

 長岡市立互尊文庫は、長岡市で最も歴史のある図書館だ。1918年に野本恭八郎という地元の実業家の寄付によって作られた図書館は、太平洋戦争末期の空襲での焼失と再建、高度経済成長期の建て替えを経て、百年以上にも渡って長岡の図書館の象徴的存在であり続けている。
 もっとも、現在の互尊文庫は地域図書館としての役割がメインである。というのも、これとは別に市立中央図書館があるからだ。
 1987年、新潟大学工学部のあった場所の一部に完成した市立中央図書館は、それまで互尊文庫が担っていた「長岡の文化拠点」の役割を、2年後に完成した長岡市民体育館と共に果たす事になる。相対的に規模の小さい互尊文庫は地域図書館に格下げされた。とはいえ、中心市街地に最も近い図書館が互尊文庫であり、かつ、中央図書館以上に長い間親しまれている図書館であることは言うまでもない。

 そんな互尊文庫に通っていた頃がある。今でもたまに通うが、その頃ほどではない。それは高校生の頃のこと。私が通っていた高校に近い図書館が互尊文庫だった。10年ほど前の昔話だが、今の施設が54年前(1967年)の完成なので、それに比べれば大して古い話ではない。長い歳月を経たコンクリートの色合い、少し暗めで狭いけれどもノスタルジックな空間は、私の青春の思い出の一つであると同時に、愛おしい空間でもある。

 話は変わるが、長岡市内にある、互尊文庫と平成の大合併による合併地域を除く他の地域図書館は、全て1990年代以降に建設された。西地域図書館が1995年、南地域図書館が1998年、北地域図書館が2000年である。北地域図書館以外には行ったことがあるが、いずれもイメージとしては中央図書館の分館色と同時に「現代的かつ開放的」な色が出ている。
 この当時、長岡は文化拠点の構築(?)に随分熱心だったようだ。1994年にデザイン系大学の長岡造形大学が開学。1996年に音楽ホールの長岡リリックホールがオープン。県立ではあるが、1993年に近代美術館、2000年に歴史博物館もオープンしている。1998年の国営越後丘陵公園も加えて良いだろう。
 様々な経緯で結局頓挫したが、現在アオーレ長岡のある場所にあった厚生会館を取り壊して文化フォーラムなる建物を作ろうと言う計画もあったという。

 こうした流れの中でも1967年に現在の施設が完成して以来ずっと変わらずにいた互尊文庫は、2023年頃、かつてデパート大和のあった場所の再開発事業の一環で移転することが決まっている。大きな要因としては老朽化と駐車場の問題になるだろうか。
 新しい互尊文庫は、現在とはかなり異なる方向性を持った施設になるようだ。市内大学や高専の交流施設や商工関係の各施設が同時に入り、それぞれが繋がりあう「長岡の産業拠点」としての図書館になる。ただし、今の互尊文庫に愛着のある人たちの中にはそうしたイメージチェンジを歓迎しない向きもあるようではある。
 現在の互尊文庫の施設が今後どうなるかは現状分からない。昨年民間により歴史的建造物としての評価はされたものの、衰退著しい長岡を取り巻く現状などを考えると、保存に動く可能性は(現段階では)僅かなのだろうと思われる。
 ただ、何かの幸運があれば、互尊文庫が移転した後も施設を新たな形で残すということもあり得るかも知れない。現在の施設を愛する市民がいる事も確かである。何らかの形で今の施設が活用出来ないものだろうか、と個人的には考えたくなるものだ。

※その後、現在の互尊文庫の建物は長岡戦災資料館として活用が検討されていることが明らかになった(2022年3月23日追記)。

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