poemes d'un jour 334
嘘の世界から脱出した。
私に還る。
人生に、地球の神秘に熱中していた若かりし頃、前の続きを生きよう。そして、さらに、もう一度、物心ついた幼い時に戻って、世界を見直そう。与えられたもので、何が本当で何が誘導だったのか。
(フランス革命以降、今の支配層のサタニズムの力が働いているらしいと分かった。またもや、想像を超えていた…。)
地球に人間として、生まれてきて、生きるということ。それをまた最初からやり直したいと思いました。
真偽そのものより大切なことを思い出させてくれました。子供の頃の純粋さを踏みにじられたようで、悲しくて泣きもしましたが、逆に今まで自分で感じていたことが気のせいではなく、本当は世界は人間は素晴らしいこと、本物と偽物が明確になったことで、また本来の自分自身で生きれる喜びの方が大きい。
本物の喜びは至福であって、それは本来稀なものではなく、日々あるもので、20代の頃、数年間は私自身毎日感じれていました。その体験のおかげで、またここに戻れたのかもしれない。
私に還る。
科学は嘘が混ざっている。
本当はありのままなのに、ややこしい計算で自分には分からないから権威者が言うのが本当だろうと思わされている。それ以上、考えても私に分かるはずがないと思い込まされている。頭では分からないが、人間が持っているものは頭だけではないのに。
地球は、自然はありのままだった。
また、写真が撮りたくなってきました。音の意味、芸術の使命も分かりました。好みだとか単なる一分野ではなく、本来の人間にとって、当たり前に必要な自然なことだった。
必然。
昔から頭に浮かんでは気になっていた数字、図形、言葉の力を見直す。地球のエレメンツ、現象を見直す。社会ではなく、地球を理解していく。誰かの話から学ぶのではなく、体験と観察で理解していく。
日曜日は二人で第二農園で作業。前の人が植えていたダイコンを収穫した。
また植物が昔のように見えてきた。
ただの植物ではなく、存在。
食べると、植物たちの生きた証、優しさ、地球の光、水、土、色んなものを感じた。
本来の感覚に戻れてよかった。
植物がただの植物ではなく、また仲間だと感じる。
形。
計算ではなく、形。
図形の連なり。
もう科学は使用したくない。
世界のことを調べ始めて10ヶ月くらい経ったと思う。やっと辿り着いた。ニュートンもダーウィンも詐欺で、ガリレオも、アインシュタインも、子供の頃に読んだキュリー夫人、エジソンも偽物。西洋医学も今の基礎になっているものから紛い物の可能性があるまま承認されている。グレートリセットへ向けて、またはその時々の重要なプロパガンダのために、嘘の科学を入れ込んでくる。NASA、WHO、国連なども偽物という可能性がさらに膨らんだ。
1つずつ調べるのはそろそろ終わりでいい、真偽より大切なことがある。
自分で体験、深いところの直感から見出していく。それが生きるということ。それで足りる。
自分の身体の中に、または植物や虫や鳥や動物、鉱物、自然現象、そんな中に地球の真実がある。
そして、今から社会は人間はトランスヒューマンになっていく、もしくは、もうなっているのだと思う。私はそれを受け入れません。
やはりもう昔の自分より劣化していて、それは加齢ではなく、ネット世界や世界観によるもの。これ以上、知識やスキルと引き換えに、本質や感覚や時間の感じ方を歪められる訳にはいかない。脳疲労、倫理感も。
地球と共鳴して、私の思う楽園を作る。
それは庭で、畑で、生活で、魂で調和する人生。
まずは既にここにある自然を見つめよう。
自然と在る時間が、本来の時間で、私が死ぬまでにまた浸りたかったゆったりと詰まった豊かな時間。
それを死ぬまでにと言わず、また今から取り戻そうかと。
今まで知った中でも一番の衝撃、と感謝。
辿り着けて良かった動画。
フラット・アースは最も馬鹿にされる類の説だと思いますが、軽く調べるだけだと間違う、間違いかけた。その本質は、自分で考えること、自分として生きることを教えてくれるものだと思います。
第13回まであり、長い旅になります。
違う考えを持つことは普通のこと。
13回まで辿り着く人、居たら嬉しいです。
私の身体もそのように軸を持って、歩いていきたい。
この調子だと、天国、地獄、前世、来世も本当にあるのかもしれません。
ドームの外に。
そして、一番大切なのが、何を信じるか。それが私の土台となり、そこから派生していく全ての源になる。
これから起こる未来に対して、自分を準備し終わったようにも思う。
劣化していく、世界と人間。
私は自分の楽園を作る。
また音楽もしてもいいかもしれない。
その前に、
言葉にできないけど、静かに感じたいものがある。
地球の地面が丸いというより、空がドーム。プラネタリウムみたいに。
循環。
自然界のシステムは循環。
エネルギーが循環するものが本物。
噴水みたいに。
ドームの中で循環しているとすると、別に宇宙は存在していなくても成立する。
宇宙より地球が好きだし、無より有が好きだから、循環を追っていきたい、しばらく忘れないようにしたい。
地面がものすごい速さで回転している感じはしない、少しの振動、圧力、何も感じず、静かに立てる。風がないと、静止画のように静かに。音もなく。
新幹線や飛行機は圧力を感じる。
地面は身体が慣れているから感じないのかもしれないけど。
止まっていてもおかしくはない。
そうやって、自ら、体験、観察をしていくこと。それが人間、私、であると私は思う。
自分の物語。