【山と私】自分だけの山の楽しみ方を大事にすることを学んだ編
「山を、歩こう。」というタイトルの雑誌を手に取った日から私の趣味登山が始まった。…のだが、「山」にいくと「登って」しまう。
いつの間にか、山は登るものだという固定観念がつきまとう。
登山を始めて間もないころに、もしかしたら今後登山を楽しめなくなってしまうかもしれない事件が起きた。
紙地図も入手して色んな人のYouTube動画も観て準備万端だと思っていた日光白根山登山
高尾山の1号路、4号路、6号路を歩き、奥多摩の登計トレイルに行き、関東圏のもう少し遠出する山に行きたいと日光白根山を選んだ。YouTubeで次に登る山を映像ベースで調べ、ネットでも色んな方のブログやらを読み、「初級者向け」の2000m級の山だと知り、行くことを決意。
さっそく山と高原地図を購入し紙地図の読み方を勉強し、どんな山なのかを自分なりに学んだ。
もちろんYAMAPでもデジタル地図をダウンロードし登山計画を作成した。レンタカーを借りて駐車場に到着したのが11:00。ロープウェイにのって山頂駅まで行き、そこから登山を開始した。今でこそ、そんなことはしないけど、登山の常識がまだなかったので早朝から登り始めるという考えが身についていなかったのがそもそもの反省点。(季節が夏で日が長いのも相まって)
日光白根山には13:30近くに到達。お昼休憩を取り、計画通りのルートで下山しようと思っていたが、下山ルートで通り過ぎたい日光白根山の最高点の山頂が分からず、奥白根神社あたりであたふたしてしまう。
当初立てていた登山計画は以下の画像のような小回りで最小限で帰ってくるようなものだった。
時間も時間だし、とにかくすぐさま下山し始めなければと焦りに焦ってしまい正常な判断ができない(自分でも正常な判断ができていないという認識はあったが、どうにもできない)。
そして通り過ぎたい山頂を見つけられなかった私たちは思わぬ判断をしてしまった。
遠回りして帰るルートを選択してしまったのだ。
これには2つの理由があった。
YouTube動画でそのルートで下山している人がいたのを覚えていた(どんなルートなのか想像ができた)
登りで通ってきた私たちには若干ツラく感じたルートをまた下りたくないという心理が働いた
ここで本来とるべき行動は、来た道をそのまま戻るということ。
いくら夏だとはいえなるべく早く下山するのが鉄則なのと、そもそもロープウェイの最終乗車時刻もある。間に合わなければ自力で駐車場まで下山となる。
かなり飛ばしに飛ばして下山したが、ロープウェイには20~30分間に合わず。ここから約1.5時間近く林道や車道を歩きやっとの思いで丸沼高原スキー場駐車場に到着した。すでに夜19時頃になっていた。
下山したころには足の皮がふやけて水ぶくれができており、皮がむけている箇所もあった。携帯の充電は私のはほぼなくなり、充電を節約していたパートナーの携帯も危なかった。(装備も不十分でヘッドライトも持っていなかったため携帯の懐中電灯を使っていた)
登ることだけにフォーカスするのをやめてみた
帰りの車中で私たちは反省会を始めた。
そこに山があるから。ウソのような本当の話。目の前に山があると人は身の危険を忘れてその目標に無我夢中で突き進んでしまう。そしていとも簡単に命を落としてしまう(こともある)。
私たちは今回自力で下山し帰宅できたので不幸中の幸いといった感じだが、これがもし冬山だったりしたら間違いなく死んでいただろうと思う。
反省会でふたりで話したのは、下山を開始するケツの時間を決めていなかったよねということ。無我夢中で突き進んでいるときに、ケツの時間を決めておけば自分たちでも割り切りがつけられるだろうと考えた。(これ以降の登山では必ず登りのペースとYAMAPの到着予想時刻をこまめに確認しながら、デッドを決めて下山を開始するようにしている)
そして、山は決して逃げないということ。いつまでもずっとそこに待っているから、また登りにくればいい。どうしてもせっかく来たのだからきれいな景色をみて帰らなきゃ損だと思い、時間も我も忘れて危険な判断や行為を冒してしまう。でも、山はずっとそこにいる。
登山は山頂までいかなければいけないものか。いいや、そんなことはない、というのが私たちの結論。自分たちがその地点を山頂と決めたらそこが今日の山頂でいいじゃない。そういう考え方をしてみようとふたりで決めた。
だって私たちは山や森や自然を楽しみたくて山に行っているのだから。
楽しむことを一番の目的に据えていたなら、自分たちの体力や時間配分なども考慮して、山頂までいかずに五色沼でゆったりして帰るでもよかったはずだ。
私たちは一体なにを目指していたのだろうと自問自答した。
すると、YouTubeでみていた山頂からの絶景が鮮明に浮かび上がってきた。そう、私たちはあの映像と同じものをみるために、自分たちの登山レベルや装備、登山開始時刻/下山時刻などの観点を考慮せずにひたすら山頂を目指していた。
その山にいく目的と自分たちの身の回りの条件を加味していれば、自分たちなりの日光白根山の楽しみ方があっただろう。
登山は山頂まで登ることがゴールではない。自分がイメージした山の楽しみ方を具現化することがゴールだ。
何をしに山にいくのか再定義したら自分だけの山の楽しみ方を見つけた
こうして私たちは恐怖の登山体験をしたことで、以降の登山にこの経験を最大限活かすことができている。
山の選定、登山計画、その山へいく明確な目的、YouTubeではなく本や活字ベースでの情報収集、装備、体力づくり、登山前後の食事、、、。
様々なことを総合的に考え、山や自然を楽しむための準備を入念に行う。
それでもまだまだ学ぶことは無限にある。自然がもつ美しさと脅威の二面性を理解しながら山遊びを楽しむために。
長野に移住してからもいろんな種類の山を登ってみた。そして、私は高原や湿原が大好きだと気づいた。(広い空間が好きなので、目の前にただただ広がる緑を眺めるのがフィットしたのかもしれない。それと幻想的に感じる湿原歩きも。)
いまはそういった高原や湿原を探しながら山へ行っている。山と自然を楽しむために。
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