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海外移住を夢見ていた人が長野に移住してみたらどうなった?

海外移住を夢見ていた人が長野に移住してみたら…

  1. 独立心・起業意欲をかき立てられた

  2. いままでと豊かさの種類が違うと気づいた

  3. 自分が知らない日本がまだまだあるなと知った

結論:長野に移住してきてめちゃくちゃ良かった!価値観・人生変わった!

長野移住に至るまでの道のり

私とパートナーは以前からずっと海外移住を目指していた。海外移住を実現するために職種まで変えてその職種でスキルアップを図ってきた。職種を変えたキャリアチェンジでまだまだ未熟すぎる頃に、コロナウイルスが世界に猛威を振るっていた。今は仕事的にも、世界情勢的にも、耐えしのぐときとふたりで心に決めてあくせく頑張ってきた。

ひたすらそれぞれの職場で自己研鑽する日々。家に帰れば専門書や参考書をめくり翌日にはそれを実践して試す・失敗する・また勉強して身につけるみたいな繰り返し。未熟ながら仕事と勉強を続ける過程で関連する資格や試験にも合格してきた。

それなりに忙しくて初挑戦した職種でスキルアップしていくプロセスにおいてはある程度充実したものだったのかな。

プライベートではコロナの感染拡大で、(みなさんもご存じのとおり)もちろん近所に出ることもなかなかできなかったし、海外なんてなおのこと。海外旅行を毎年のGWと夏休みの楽しみにしていた私たちにとっては、とてもツラくうずうずしてしまう数年間だった。

そんなこんなで一定期間海外へ移住するまでの時間を経て、考え直す余裕を持てた。

正直、コロナがだいぶ落ち着いてもう海外へも行けるぞ!ってなった頃、私たちは海外に移住して何がしたいんだ?とある意味海外移住に前向きになれなくなっていた。日本の医療の安心感、治安の良さ、公衆衛生の高さ、人種差別の少なさ、日本人の規律を守る精神、、、そういったものをコロナ流行中に世界と日本を比べた場合の圧倒的に日本に住むメリットを実感したから。ただ海外に住みたいという欲望がそのメリットを超えるだけの強さまではなかった。

みんな大好きニッポン!

地方移住を決断させた3つのこと

どこか別のところに住もうと思った際に、まず私たちの選択肢に「海外」はなくなった。無理やり移動するわけではないけれど、マンションの契約更新が3度目(=6年目)を迎える前に更新をせずにほかの場所に住みたいと話していた。

  • 海外

  • 東京都内

  • 地方(他県)

生まれも育ちも東京という私にとってはもう東京は住み慣れた街で便利・なんでも揃う・速い、そんな街だ。学生時代も新社会人時代も東京で好きなだけ遊べたからもう満足って気分。東京都内で広い家に住もうと思ったら家賃が高くなるため無理して東京に住むのもなというので東京都内もすぐに選択肢から消えた。となるともう残るは地方移住しかなかった。

東京から出たこともない、祖父母の田舎が地方にあるわけでもない、そんな私(とパートナー)が地方移住に踏み切れたわけ。

  1. 長年(約18年間)育ててきた実家のワンコが亡くなった

  2. リモートワークで仕事ができる

  3. 自然が好き(不便でも生きていける・欲しいモノがない)

ワンコが亡くなったショックもあったけど、同時に安堵感も生まれたのが正直なところ。寂しさはあるけれど一区切りついた気もした。ワンコが「もう自由に好きなところ行きなよ!」ってしてくれた気さえした(感謝)。

知らない土地で知り合いもいないなかで、仕事を探すというのは私たちには結構なハードルに思えた。かつ、家が見つかったらできるだけ早く移動したいと思っていたからリモートワークなら仕事を続けながらスムーズに移住できると思った。

そして自然が好き。好きというか好きになったが正しいかな。森、山、川、池、花、、、登山を始めて日本の自然の素晴らしさに魅了されてしまったから。それと、自然がある程度近い環境に住むということは不便が生じるということ。コンビニやスーパー、医療機関など都会と比べると必要最低限。ガソリンスタンドも日曜日は休業日とか普通。それでも私たちは生きていける自信と許容範囲の広さがあると思った。お金(稼ぎ)があまりなかった時期のなんでも自分でやらなきゃならない不便さが案外恋しくて逆に不便な方が楽しいやんって思えるふたりだから。そして、物欲がない。物質的なものよりも目に見えない経験や贅沢な時間の過ごし方などを重視している。

長野に移住後なにがどう変わったか

シンプルにこの3つ。

  1. 休日が最高に楽しくなった

  2. 周囲の人との交流が増えた

  3. 生涯かけてやりたいことが見つかった

まず、休日がめちゃくちゃ楽しい(いや休日だけでなく平日までもたのしくなると最高なんだけどまだまだ)。毎週長野県を大移動して登りたい山に登って、みたい景色をみにいく。たんまり写真を撮って満足したら下山してじっくり調べた温泉に浸かりにいく。帰ってきたら爆速でおうちごはんを作って「やっぱ山のあとの家ごはんっていいよねー」って言いながら一日を振り返ってくつろぐ。そんな週末の過ごし方が最高。

早朝4時頃 火打山 高谷池ヒュッテから

農業をやってみたいというところから、市役所の農林課の職員の方々や借りた農地の隣農家さんとの交流が始まった。ジャガイモ収穫を手伝ったり、自分の農地の草むしりをしていると隣のお父さんが見かねて色んな種類の鍬を貸してくれたり、自分の畑で採れた野菜を大量におすそ分けしてくれたり。もう訳わからないくらい人や地域との関わりを作ることができた。東京ではこんなこと一ミリも想像できなかった。コロナでリアルな人と人の交流が減ってしまい仕事もリモートに慣れきってしまった今、こういう人間本来の今まで当たり前にやってきたことの大切さや感謝を身に染みて感じる。人とつながるって楽しくて幸せになれる。学びもたくさんある。

借りたばかりの農園 雑草大量


だいぶ草むしりしてここまできた


近所の農家さんから大量の野菜を頂き感謝

長野に移住して、今まで会ったことないような色んな人たちと出会って交流して、色んな山や森に行って、生涯やっていきたいことを見つけることができた。いつか必ず自分で事業を起こしたいと思いながら大学生の頃は経営スクールに通ったりコミュニティを作って企画を立てたりして、社会人になってからは仕事やキャリアチェンジをとおして様々な企業をみたりスキルを身につけたりしてきたが、どんなことで独立したいのかが明確ではなかった。長野にきて新しいチャレンジをいくつもしてみた。例えば、長野県自然保護レンジャーへの応募(通った)、インタープリタートレーニングセミナー修了、(パートナーが)温泉保養士養成講座を受講(合格・認定も!)、登山道整備を体験など。そういった経験を通じて、感動や衝撃、驚き、使命感、、、色々な感情が交錯した。

大好きになった自然から助けられ魅了され、この自然と共に生きていきたいと思うようになった。そして自然の魅力をより多くの人に伝えながら、未来の次世代の人々にもこの素晴らしい自然を継承して(残して)いきたい。

そんなミッション・ビジョンも生まれた長野移住。トータルで最高。

登山道整備場所まで角材をもって一歩一歩進む(火打山)


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