【阿南町】山田百次さん 阿南探訪(5月) 2日目
5月16日、2度目の阿南探訪の2日目が始まりました。
宿泊したのは前回に引き続き「まるはち旅館」。早朝から旅館のご主人である坂井さんから、盆踊りの際に歌われる「盆歌」についてお話をしていただきました。
現在残されている盆歌のほとんどは新野以外で産まれており、人やモノの流れとともに要衝地であった新野にやってきました。そこからさらに独自のアレンジが加えられて新野に蓄積されていったようです。
盆歌は7・7・7・5の音で構成されており、櫓の上にいる「音頭取り」が上の7・7を歌うと、それに続く7・5を下の輪で踊る踊り子が「返し」が歌います。返しは、豊富な種類の盆歌から音頭取りの出した歌を返さなくてはなりません。また、音頭取りは数多くある盆歌を上手く組み合わせて、途切れることなく次々と歌を出さなければなりません。例えば、天竜川が歌われている歌の次は、浜松の歌、その次は浜松から「松」の字を取ってきて松の歌、「松」が「待つ」となり恋の歌、といった具合にストーリーを組み立てて歌を出していくそうです。
山田さんは坂井さんに盆歌の分からない部分などを伺ったりしながら、新野の人々の心に着実に近づいていきます。
まるはち旅館の目の前には阿南町立の小中学校が建っています。新野だら実行委員会の金田さんと合流したのちに見学することになりました。
この小中学校は非常につながりが強く、PTAも小中一つの「新野学校PTA」という団体になっています。全校生徒は小中学校合わせて50名ほどです。自然と伝統芸能豊かな新野で、のびのびと地域の人々と交わりながら学んでいます。地域おこし有志団体の「新野から☆元気にしまい会」の移住支援活動により、ここ1年で数家庭が移住し、少しずつ子どもの数も増えてきているようです。
金田さんから、この小中学校に関連する人物として、篠原健吉先生のお話を聞くことが出来ました。
篠原健吉先生は昭和5年に自ら僻地を志望して、現在の小中学校がある旦開尋常高等小学校に赴任。生きていくことに必要なことを学校で教える必要性を説き、座学だけではなく畑を開墾したり、家畜を飼育したり、社会人青年向けの短歌会を開催、高等学校の分校誘致など、様々な実生活に基づいた教育を行っています。一度は転勤で新野を離れることになりますが、地域住民からの強い要望によって再び戻ってきます。それ以来、通算33年6ヶ月も新野学校に勤務し続けました。晩年には産業教育功労者として文部大臣により表彰。信濃毎日新聞教育賞受賞。校長一代一校論を提唱し、「山間へき地の小規模校にこそ、教育の掬すべき味わいがある。」と新野を愛し、地域と一体となった深いレベルの教育を行いました。
篠原健吉先生の精神は今でも新野住民に深く根付いており、生徒数は少ないながらも地域住民による「子ども芸能教室」や豊富な社会教育活動、社会体育クラブ、自主的な地域おこし団体など自主自立の精神は、新野の生活や文化芸術に色濃く残っているようです。
小中学校の近くに金田信夫さんのご両親の家があるということなので、一行はご両親のお宅にお邪魔させていただきました。ここでも、貴重な昔の話を聞くことが出来ました。
信夫さんのご両親は、当時の阿南高校新野分校の卒業生で、なんとお二人とも演劇部だったそう!新野分校は定時制の学校で、卒業後、女子は豊橋の紡績工場に就職する人も多くいたそうです。在学中は高校のPRとして、演劇部が飯田まで行って演劇をしたりと、かなり活動的でした。昭和30年には村の有志が結成した劇団があったりしたそうで、新野は昔から演劇が盛んであったことが伺えました。演劇活動には篠原健吉先生が呼んだ先生が深く関わっており、熱心に指導をしていたそうです。
今まで聞く機会がなかった時代の新野の話を、山田さんはどのように受け止めたのでしょうか。
昼過ぎになり、一行はお昼ご飯を食べるために新野を離れ、売木村の「農家ゲストハウスポレポレ」に立ち寄ることにしました。
ここはゲストハウスとして利用できるほか、無農薬野菜のカレーや手作りピザが食べられます。近くに温泉もあり、ドライブで訪れるなら最高です。食事をしながら金田さんから次に立ち寄る場所のお話を聞きます。
本日は生憎の雨。しかし雨でなければ会えない人たちとのアポイントが取れたとの事でした。売木村から飯田方面へ下り、前回訪れた和合地区の山奥に、その井上さんご一家は暮らしていました。
井上さん一家は6人家族です(猫ちゃんワンちゃんもおりました)。和合に移住してからは、やりたい範囲で自給自足をすることを目標にしているとの事ですが、我々の想像を絶するレベルでの自給自足を実現させていました。
元々は一軒家を借りていたということですが、井上さん家族には各々小さな家があり、それを自作したというのです。食料は畑から調達し、煮炊きはかまどで行っています。味噌や醤油も自家製で、未完成の醤油を味見させていただきましたが、塩辛い中に確かに醤油の味を感じました。所有している車は天ぷら油で動き、近隣の施設から使用済みの天ぷら油を頂いてきているそうです。古くて新しい、エキサイティングな生活を目の当たりにしました。
今回も、様々な人から様々なお話を聞くことが叶い、阿南町・新野のことをより広く、より深く知ることが出来ました。
山田さんが今回の探訪をこれからどのように作品に落とし込んでいくのか、非常に興味深いです。(文:「信州art walk repo」取材部 清水 康平)
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