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第1回:自己紹介|地方スタートアップ起業家の挑戦

はじめまして、マークです。東京から長野に移住・起業して4年、一念発起して2022年秋から海外MBA(LIVE ONLINEコース)@Hult International Business Schoolにチャレンジすることにしました。(2021年はマクドナルドでバイトしたり、EOという起業家ネットワークに所属してみたりして、自己変革を試みてきました)会社のコトは会社ブログで綴ってきたのですが、自己変革テーマネタは、それとは別にしてここに集約していこうと思います。備忘録的な意味合いが強いですが、個人や会社の成長鈍化に悩まれている起業家の方々の参考になったり、意見交換ができる場になれば最高に嬉しいです!

「どんな人がそもそも書いているんだろう?」

当然気になるかと思うので、まずは簡単な自己紹介をします。(下のグラフは、自分のライフライン)

ライフライン


①幼少〜小学校時代(0〜6歳):泣き虫からの地元でも有名な悪ガキになり、皆の迷惑になるため、小1〜6までほぼ別室で授業(昔話とか九九とか)を受ける。IQテストを受けさせられたり、児童相談所に小6の時に行くほどでした…。

②中学校時代(7歳〜15歳):心労で母の髪が真っ白になり、「真面目な子になろう」と中学校入学を機に気持ちを入れ替え、殴られることはあれど喧嘩も勉強もせず、朝から晩までサッカーしてました。中三の一学期終わりの三者面談で、担任から「行ける高校が定時制と偏差値30位の埼玉の私立高校しかない」と言われ、人生で初めて真面目に半年間勉強して都内の私立進学校(偏差値64位)にギリ入学。

③高校時代(16歳〜17歳):三角関数や高次関数の数式のシンプルさと美しさに魅せられ、数学にどっぷり浸かり、これまでとは別人のように毎日勉強する日々を送る。高校1年から高校2年の終わりまで、学年1~3位をずっと維持。しかし、軽い嫌がらせを継続的に2年間してきた不良達を(母と相談後)ぶっ飛ばし、高校2年終わりで中退…。

④バイト・米国留学時代(18歳〜27歳):中退後、3年ほど日雇いや工場でバイトをして300万円ほど稼ぎつつ、母から借金して1年間語学学校に行き英語を勉強。21歳で渡米して、カリフォルニア州の短大からユタ州の四年制大学に編入。そして、25歳から大学から全額授業料免除・生活費支給を運良くいただき、大学院で応用数学を学び、27歳で修士号を取得。
※補足:この時初めて乗った飛行機で、初めて降り立った空港がカリフォルニア州サンノゼ空港でその時に感じた「とてつもなく真っ青な空、とてつもなく広い道路と壮大な大地」がずっと自分の米国に対するイメージで、自身をありのままに自由に表現してもユニークな個として受け入れてくれる環境に対する喜びを噛み締めました。

⑤新米社会人時代(28〜31歳):自身の数学者としての超えられない壁にぶち当たり、挫折して帰国。28歳で日本で社会人デビュー。起業する優れた諸先輩に憧れ自分自身にしか出来ない日本への貢献を形にするため、35歳で起業すると心に決めて目標とマイルストーンを設定。ただ、当時は「お疲れ様です」と「ご苦労さま」の違いが分からなかったり、「もしもし、○○です」と会社にかかってくる電話に脊髄反射して出てしまうレベル。上司に笑われたり、怒られながら社会人としての基本的なマナーをお勉強させていただきました…。
※補足:ロジカルさと学びに貪欲なので次々吸収していきましたが、正論で相手がぐうの音を言えないようにすることが正義だと思っていたり、空気を読めない自分を受け入れてくれた周りの先輩・上司の方々に思いっきり甘えていました。

⑥サラリーマン仕上げ時代(32歳〜35歳):調子に乗る→失敗・挫折する→乗り越える→調子に乗る→…の負のサイクルを繰り返しつつ、楽天子会社で新規事業開発責任者を3年近くさせていただく。周りの方が私の短所を補ってくれ、長所を活かしてくれたため、短期間で非常に大きな成果を生むことができました。
※補足:楽天入社時に「3年以内に楽天本社で執行役員(事業長レベル以上)になるかor35歳で起業する」と決めていたため、35歳11ヶ月で起業しました。

⑦起業家新米時代(36歳〜39歳):14歳から移住の地として憧れだった長野県の多くの町が急速な人口減少・過疎化で苦しむ中、地方創生×日本の魅力(伝統工芸品)発信に本気で取り組むため、東京から長野県に移住。SOPHOLA株式会社を起業して1ヶ月後に付き合って2ヶ月の彼女と結婚したりで、
・住居:東京都→長野県
・雇用形態:正社員→起業家
・ステータス:独身→既婚
・子供有無:無→有(2期目)
と4つのとてつもない大きな変化に戸惑いつつも何とか会社経営。会社2期目で年間売上約1.1億円、経常利益約1,700万円くらいまで成長。その後も売上・利益、事業は紆余曲折を経ながらも成長する中、3期目のコロナ禍や自身の人間・経営者としての未熟さにより、組織拡大が出来なかったり、夫婦喧嘩が絶えなかったりして4期目(毎年20-30%の売上・利益成長率)を迎えました。この4期目は、創業メンバーの退職、離婚危機、月の売上が90%急に落ち込む出来事など、まさに「4=死期目」でした。自身を改めて客観視して、自己変革に取り組むきっかけにもなりました。
補足:創業1〜4年目は下のグラフみたいな感じでした。

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次回は、なぜ地方の小さいなスタートアップ起業家が海外MBA@Hult International Business Schoolに挑戦することにしたのか詳述できればと思います。宜しければ是非引き続きご一読ください!