足元で振動を起こそう
二十歳の自分を思い出すことはほとんどありませんが、メールで届いた信濃毎日新聞の記事を読み、思い出しました。私はあれからも、小さな世界で小さなことを重ねながら生きています。記者さんの言葉は、そのことが、無駄ではないかもしれないと思わせてくれる。この活動が、広い世界のどこかで、血の通った誰かとつながっている、その誰かの存在を感じる記事でした。
熊本県職員や蒲島郁夫県知事の水俣病患者への対応に震えた昨年末の出来事を、私はいまも、追いかけています。逃げたくなる自分の弱さも感じながら。そして、記事を読んで、大塚さんも、蒲島県知事も、血の通った人だと、当然のことを思い出します。
二十歳の人たちを励ます内容だろうに、今の私を励ましてくれた記事でした。本を読み、共振してくれたことも、嬉しいです。社説には記者さんの名前は載らないから、どこの誰だか分かりませんが、ありがとうございました。
私は、諦めません。
1月13日 信濃毎日新聞社説 <成人の日を前に 足元で振動を起こそう>
熊本県水俣市。不知火海を望む高台に「相思社」はある。
水俣病の被害者たちのよりどころとして設立されたこの施設で、職員の永野三智さんは訪れる人と向き合い、語る言葉に耳を傾けてきた。昨秋、出版された本「みな、やっとの思いで坂をのぼる」は、その記録である。
あすは成人の日。大人として社会と自分に向き合っていく皆さんに、ぜひ知ってほしい人だ。
水俣で生まれ、近所に住む水俣病の人たちにかわいがられて育った。けれど、やがて疎ましく思うようになる。中学を出て地元を離れると、出身地を偽った。
二十歳になって転機が訪れる。子どもの頃に習字を教わっていた先生が裁判をしていると聞き、何の訴訟か分からないまま傍聴に行った。亡くなった母親の患者認定を求める裁判だった。
その後も傍聴に通い、水俣病の歴史を知って怒りがわいた。加害企業、被害者を放置した行政にだけではない。目をそらすことで差別に加担した自分自身にだ。幼い娘の就学を機に地元へ戻り、翌2008年に相思社に入った。
公式確認から60年余りを経て、水俣病の解決は遠い。患者認定の申請を何度も棄却された男性の言葉が胸を突く。「もう水俣病に認められようと思わない。だけど、俺の存在を認めてほしい」
<小さな声を聞きとる>
地域の断絶、差別意識は根深く、家族とさえ話せない現実がある中で、表立った声にはならない声。それを、なかったことにできないと永野さんはつづっている。
小さな声を聞きとることは、社会や世界のあり方に目を開くことに通じる。水俣病に限らない。原発事故が起きた福島でも、重い基地負担を強いられる沖縄でも、国家の論理によって分け隔てられ、置き去りにされる人々がいる。
どうすれば変えていけるのか。若い人たちにこそ、自ら向き合って考えてもらいたい。
ユースクエイクという言葉がある。アースクエイク(地震)になぞらえ、若者が起こした地殻変動を表す造語だ。英国のオックスフォード辞典編集部は2017年の言葉に選んでいる。
労働党が総選挙で若者の支持を集め、保守党圧勝の予想を覆したことが背景にある。ニュージーランドでも労働党が議席を増やし、30代の女性首相が誕生した。
もともとは1960年代に米国でつくられた言葉だという。ベトナム反戦運動、公民権運動、パリ五月革命、大学紛争…。若者の反乱が同時期に世界各地で起きた時代を象徴する。
当時と比べると、揺れは穏やかに見える。だが一過性でも局所的でもない。胎動は何年にもわたって続いている。
「アラブの春」はチュニジアから各国に波及し、独裁体制に公然と抗議する声が中東に広がった。強権で抑え込まれ、挫折や後退を余儀なくされてはいても、底流が絶えることはないだろう。
アジアでも、台湾では立法院(国会)に学生らが立てこもり、香港では幹線道路を占拠する大規模な抗議行動が起きた。日本でも、集団的自衛権の行使を容認する安全保障法制に反対し、学生たちが国会前で声を上げ続けた。
<私は何ができるか>
米大統領選の予備選で「民主社会主義者」のサンダース氏が若者の支持を集めたことも、米国社会の変化を映し出す。映画界に端を発した性被害の告発は、女性たちの「MeToo(私も)」の声を世界にこだまさせた。
一つ一つは小さくばらばらな揺れでも、連なり共振して大きな動きになる。それぞれの足元で振動を起こしたい。
身の回りで理不尽な扱いを受け、つらい思いをしている人はいないか。見て見ぬふりをしないことは、自分が生きる足場を確かなものにすることでもある。
動きだした同世代は少なくない。男性週刊誌が掲載した女性を蔑視する記事に対し、大学生が呼びかけた抗議のネット署名は4万人を超す賛同を集めている。性的少数者や外国人留学生を支援する団体を発足させた学生もいる。
壁が厚く、無力感を抱くこともあるだろう。永野さんも、被害者の苦しみを前に何もできない自分をふがいなく感じてきた。
作家の石牟礼道子さんはそんな永野さんに「悶え加勢すればよかとです」と話したという。一緒におろおろすることで、苦しんでいる人は少し楽になる。
今も支えになっている言葉だ。ただ、寄り添うだけでいいとは思っていない。本の最終章を結ぶ一文がそれを表している。
私は何ができるだろうか―。
永野さんが発したその問いを、ともに社会を担う一人として、若い皆さんと共有したい。
(1月13日) 信濃毎日新聞社説より
https://www.shinmai.co.jp/…/201901…/KT190112ETI090006000.php