永野三智

熊本県水俣市袋の出月生まれ。好きな魚順に、しろご→きびなご→タチウオ。伝え考え続ける組織、水俣病センター相思社/水俣病歴史考証館に勤務。患者の人生をまるっと聞きたい伝えたい。著書に「みな、やっとの思いで坂をのぼる-患者相談のいま」(2018年9月12日刊 ころから出版)

永野三智

熊本県水俣市袋の出月生まれ。好きな魚順に、しろご→きびなご→タチウオ。伝え考え続ける組織、水俣病センター相思社/水俣病歴史考証館に勤務。患者の人生をまるっと聞きたい伝えたい。著書に「みな、やっとの思いで坂をのぼる-患者相談のいま」(2018年9月12日刊 ころから出版)

マガジン

  • 日本の公害病

    日本に公害病はいくつあるのだろう。四大公害がなぜその名で呼ばれるようになったのか。当事者たちがあげた声が社会運動に発展したから? 裁判を起こし、支援の輪が広がり、勝訴したから? 一方で被害者の苦しみは同じであるにも関わらず、広がりきらなかった声や消されていった公害病がある。「四大公害病の一つ」と言われ続けてきた水俣から、いま他の公害地域を知りたい。

  • ただ魚を食べた人たちのこと

    不知火海で暮らし、魚を食べ、水俣病になった人たち。漁師さんや、行商さんや、農家さんや、木こりさんや、いろんなひとたちの言葉。被害や暮らし、家族、仕事のこと、聞いた話をそのままに。トップページの写真は対岸の漁師町、御所浦島。

  • 患者相談雑感

    日常の相談の中で感じたこと、考えたこと、揺れたことのそれぞれを綴っています。

  • 分けられないものたち

    どこに属させたらいいのか分からない。無理に分けずにここに寝かせておこうと思います。いまのところ水俣市のこと、講演のこと、ラジオのインタビューや、新聞での水俣病センター相思社の活動紹介などを寝かせています。

  • ものが伝える-水俣病歴史考証館

最近の記事

今日の昼、迎えてくれた老漁師

この前の台風は、あら大したことなかったな。あたは知らんどな、八十八夜時化(はちじゅうはちや じけ)ちゅうてな。今でいう、五月一日のことたい。八十八夜時化には気をつけろち、おら、こどもの頃からよう言われてな。漁師仲間が何人も、八十八夜時化で果てたもね。波にさらわるるとたいな。だけん漁師ちいうとはな、風と波が分からなんばつまらんと。分かったっちゃ、自然相手にゃつまらんとやけん。 それに比べれば、この前の台風は、風のなんのて、なんちなかった。それよりも大きかったとはな、昭和17年の

    • 水銀学者赤木洋勝さんのことと、2013年インタビュー(抜粋)

      世界的水銀学者、赤木洋勝さんが亡くなってしまった。まだ私は、このことを、どう捉えたらいいか分からない。赤木さんは、不知火海にゆったりと浮かぶ舟だった。 赤木さんは、1942年に満州で生まれたそうだ。敗戦後だからおそらく3歳くらいのときに枕崎に引き上げた。枕崎には金鉱山があった。そこでは、金の精錬のために水銀が使われていた。 金の精錬のためには、ひとまとまりの水銀を、採掘した岩石が入った容器に注ぐ。岩石に金のかけらが含まれていれば、金が水銀に付着して銀色のかたまりになる。そのか

      • お試しごんずい

        つい先程、相思社機関紙「ごんずい」155号発送作業を終えました。今回の特集は「なぜ私は、『ともに』水俣へゆくのか?」 寄稿者は皆、バラエティに富んだ方たちで、深くて、めちゃくちゃ読んでもらいたい号です! ということで、今号に限り、会員ではない方にもごんずいをお送りいたします。ご興味を持たれた方、ぜひお名前とご住所、電話番号をメッセージしてください。来週中に発送します。 「まえがき」より この夏、35 度超えが当たり前のような気候の中、多くの人が水俣を訪れた。なかでも相思社が深

        • 水銀汚染

          11月2日(土)、韓国随一の工業地帯、浦項(ポハン)へ行きました。浦項では2016年の6月頃、東海岸の都市を流れる兄山江(ヒョンサンガン)という川の河口付近で採れるシジミから韓国の基準値を超える水銀が検出されました。その後、付近の環境からも基準値を超える水銀が検出されています。 韓国国内では大きなニュースになって、特に水産が盛んな地元浦項の市民は大きな不安を抱えているにも関わらず、浦項市など行政の対応は後手後手で、水銀発生源も突き止められていない、というのが当時の状況でした。

        マガジン

        • 日本の公害病
          5本
        • 患者相談雑感
          6本
        • ただ魚を食べた人たちのこと
          14本
        • 分けられないものたち
          9本
        • ものが伝える-水俣病歴史考証館
          2本
        • 熊本県とのやり取り
          2本

        記事

          韓国は蔚山の斗東小学校で講演

          韓国は蔚山の斗東小学校で、講演をしてきました。現地の「蔚山ジャーナル」の]이동고記者の記事が掲載されました。翻訳機にかけたものと、綴った日記を掲載します。→【水俣病センター永野三智さん、斗東の子供たちと会う】 【蔚山ジャーナル= 4日、蔚州斗東小学校で日本人の特別な講演が行われた。講演者は、日本の水俣病センターソシエテ・シャー(相思社)の常任理事である永野三智氏。 「水俣の人々の話に耳を傾けてください」が講演テーマであった。この席には、将来共生研究所が設けた学生だけでなく、学

          韓国は蔚山の斗東小学校で講演

          寺尾紗穂さんとの対談

          去る7月27日、寺尾紗穂さんという方と対談をしました。 その朝、私は高知空港の到着出口で、タナベヨシカさんとふたり、寺尾さんを待っていました。降りてくる人びとの中に寺尾さんを見つけたとき、娘だと思いました。私の娘本人が、「寺尾さんって私とそっくりね」と言うのですから、本当に似ているのです。 かと思うと母のような空気を醸し出す寺尾さんに、知らない土地で不安と期待がないまぜになっている私は次々と話しかけました。それも自分勝手に。水俣病事件やその現状を、車のなかで、彼女の娘と三人き

          寺尾紗穂さんとの対談

          潮谷淑子前熊本県知事への尊敬と幸山政史熊本県知事候補への応援

          数日前、水俣病犠牲者慰霊式で、私は蒲島郁夫熊本県知事の言葉を聞いていました。患者さんたちの声やお顔を思いながら、言葉と行動が一致しない彼の背中を見つめていました。 慰霊式が終わって、患者さんたちと次の会場へ向かう途中、潮谷義子前知事にお会いしました。彼女は「知事を見つめるあなたの目を見ていましたよ。あなたは、変わりませんね。貫いておられる。ずっと変わらずにここにおられる」と、私の手を握りました。潮谷さんは、式の間、私の向こうにいる被害に遭われた方たちのことを、見ておられたのだ

          潮谷淑子前熊本県知事への尊敬と幸山政史熊本県知事候補への応援

          話し合いと慰霊式と大臣との懇談と夕食と

          今日は朝から、ふたつの島から、またお近くからの患者さんたちを迎えました。テーブルを囲み、環境大臣と熊本県知事に伝える言葉について、誰が何を言うか、自分の経験を含めるか、過ごしてこられた時間と歴史と体のつらさ、医療と福祉の不十分さ、認定患者との格差、認定申請者の扱いなど、出し合ってきた意見を、出来上がった要望書を見ながら再確認しました。患者さんたちは、私の普段のことも聞いてくださって、その声を含めてくださいました。そのことに、私は救われた思いがしました。 午後からの慰霊式では、

          話し合いと慰霊式と大臣との懇談と夕食と

          幸山政史さんを熊本県知事に

          今日、幸山政史さんが熊本県知事選への立候補を表明されました。これからの半年、全力で幸山さんを応援します。 幸山さんは、水俣に通い、私たちとの対話を続けている人です。私は彼のおかげで政治に希望を取り戻し、支えられてきました。 この11年、水俣病事件に関わりを持とうとするなかで壁にぶつかり、国、熊本県行政、熊本県議会、熊本県民、水俣市民の多くの人たちが「水俣病」に蓋をし、終わらせることを願っていると感じてきました。大きな力に飲み込まれる自分を感じたこともありました。幸山さんは飲み

          幸山政史さんを熊本県知事に

          今日は公害認定の日

          今日は水俣病公害認定の日。そう思いながら一日を過ごし、一日が終わりに向かういま、また考えています。 熊本水俣病が公式確認されたのは1956年ですが、公害認定はその12年後、それも新潟水俣病患者たちの力によるもの。 水俣病公式確認ののち、漁民や患者たちは声をあげました。しかし、原因企業のチッソ(現JNC)は熊本県知事立ち会いのもと、水俣病の原因をあいまいにした低い金額の見舞金契約を患者との間に結び、水俣病事件の収束を図りました。 水俣病の被害拡大を防ぐ機会はいくつもありました。

          今日は公害認定の日

          【公述人9】

          私は今までずっと発言をされた方々の話を聞いていまして、少し変わった発言をしてみたいというふうに思います。 何故ならば、私は生まれ落ちての漁師でございます。今もやっぱり漁師です。漁師でたまに出ているわけでありますが、そこで、不知火海、海と山、こういったことから一つ話をしてみたいというふうに思いますが、まずはじめに結論から申し上げますと、私はこの処分場建設に対しては、絶対反対でございます。これが私の結論でございますが、その理由を少し述べさせていただきたいというふうに思います。

          【公述人9】

          語らい

          今日は早朝から船に乗せてもらい、対岸の天草の島へ渡りました。ひかり凪で、鏡のような海でした。ゆらりゆらりと揺られながら、本を読んだり、外を見たり、風に吹かれたりしていました。そうして患者さんのお宅に行って、仏壇にお参りをして体の調子を聞きました。患者さんは朝から刺し身を用意して待っていてくれて、「久米仙」という沖縄の焼酎をすすめてくれました。30度もある焼酎で、私は義理堅くいきたいと心から思いながらも、でも「あとがあるので」といって断ると、「そうか、永野さんな飲めんとかな」と

          謀圧事件

          いまから40年数年前。熊本県議会の公害特別委員会の杉村委員長らが環境庁に陳情した際に「水俣病の認定申請者にはニセ患者が多い」と発言。 一番の理解者であってほしい公害特別委員会の発言を受けた患者らは、次の公害特別委員会が行われるのにあわせて、150人でバス3台に分乗し、県議会に陳情に向かいました。議会前ではすでに30人以上の私服警官が待ち構えていました。 会の中で杉村委員長は「陳情の際の発言の内容は真意とは異なり、誤解を招いたのは遺憾」との声明を読み上げただけで退席、数人の患者

          「公害」という字が削除されました

          先日、水俣市議会の「公害環境等特別委員会」の名称から「公害」という字が削除されました。それは突然、水俣病の原因企業チッソが支援する議員らで作る最大会派や自民系、公明の各会派の過半数から提案されたものでした。いま、水俣では市長派(チッソ派):反市長派は、10:6の割合です。 「公害」の削除提案に関して決議が行われた日、開会直後、「藤本としこ議員(相思社元職員)の今会期中の発言が不適切」との動議が突然チッソ派の議員からあがり、不適切と決議、藤本議員の発言を議事録から削除するため、

          「公害」という字が削除されました

          一人の男性が死にました

          一人の男性が死んだ。最初の記憶は小学生の頃、眼の前の海で、家族みんなで魚をとったこと。きょうだい5人の中で、自分は特に釣りがうまく、褒められた。大きくなると父と一緒に、水俣市の百間まで行った。母は毎日、おいしい魚を食べさせた。同じ頃、父の手が震えはじめ、しばらくして父は死んだ。中学を卒業後、東京に出て仕事をした。 東京に出てすぐの頃から、手が父と同じようにして震えることが気になり始めた。細かい作業が困難だと気がついた。手足がしびれていて感覚が分からない。体がだるくて疲れやす

          一人の男性が死にました

          7月20(土)~22日(日)の水俣合宿へのお誘い

          【7月20(土)~22日(日)の水俣合宿へのお誘い】 人と自然が水俣病によってどれだけ傷つけられたか、加害企業はどうやって成長したか、なぜ原因究明が遅れたのか、被害者の訴えはどう抑圧されたか、政府の解決策にはなにが足りないか、水俣病事件の記憶をどう子どもたちに、または家族や友人たちに伝えるのかを、三日間、一緒に考えてみませんか。 星槎大学と協働する教員免許更新講習は、ハードだけれど、この数日で私たちが手にするものは、きっと一生モノになる。 期間:2019年7月20日(土)9時

          7月20(土)~22日(日)の水俣合宿へのお誘い