幸山政史さんを熊本県知事に
今日、幸山政史さんが熊本県知事選への立候補を表明されました。これからの半年、全力で幸山さんを応援します。
幸山さんは、水俣に通い、私たちとの対話を続けている人です。私は彼のおかげで政治に希望を取り戻し、支えられてきました。
この11年、水俣病事件に関わりを持とうとするなかで壁にぶつかり、国、熊本県行政、熊本県議会、熊本県民、水俣市民の多くの人たちが「水俣病」に蓋をし、終わらせることを願っていると感じてきました。大きな力に飲み込まれる自分を感じたこともありました。幸山さんは飲み込まれようとする私に鏡を見せるようにして、気づかせてくれた人です。真実を追求することを諦めない。
二十歳で知った水俣病の溝口訴訟は小さな声の老人が、熊本県を相手取ったものでした。途方もない闘いに思えていましたが、それは人や場所や形を変えていまも続いてます。闘いを、患者ひとりに押し付けて、見て見ぬ振りをする熊本県民の私たち。「水俣病は私の原点」という現熊本県知事さえもが、その終息を図ろうとする今抱く悲しみや失望。たまらない思いをもつことが、たびたびあります。水俣病事件とは、患者さんたちの人生は何だったのだろうかと。
水俣に通う幸山さんにそうしたことを話すとき、必ず患者さんや私の立場に立ってものを言おうとする姿勢。ひとりの人間としてどんな場にも飛び込み、どのような人からも学ぶ姿勢をもつ幸山政史さん。
あぁそうだった、と思いました。15年前、熊本市に住んでいた二十歳の私は、環境問題に取り組む同世代の大学生たちの片隅にいました。熊本市長として私たち若者たちの活動に足を運び、ともに考え悩んでいた、当時30代の幸山政史さんは、一方で、市議会で、前例や慣習に縛られることなく、おかしいことはおかしいと発言をし、議案が否決されたり、辛辣に誹謗中傷されても、公の場で発言すること、問題点をさらけ出すことを辞めず、いくつもの壁に向かいあっていました。その姿に、私の夢を託したいと思ったのだったと思い出したのです。
その青臭さは、いまも変わっていません。当事者の声を大事にし、物申し、現状を変えていこうとする幸山さん。諦めない。おそれない。公約は「県民参加型の県政運営」。
地域の現状を変え、水俣病事件のこれからの歴史を、自分たちの未来を、自分たちで決めていくために、力を尽くしたいと思います。
写真は今日、対岸の島に渡るときにに船の上から見えた船。島の人たちが私に語る言葉の多くは冗談で、その中にキラリと大事なことやとても真面目な話が含まれていて気が抜けない。