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久米宏ラジオなんですけど→いまも聞けます

12月15日、久米宏さんという人がやっているラジオに出演しました。打ち合わせでは、患者の年齢層や不知火海周辺からの移住先、私の容姿が主な話題でした。終わりかけに、「久米さんは水俣病の何が知りたいですか」と聞くと、絶句し、沈黙が続き、それから向き直って「水俣病を語れない患者さんたちが、なぜ語れないのか、それが、知りたいです」と答えられました。見えないことに目を向けたい、というようなその言葉に、少し安心をしました。

ラジオは以下のyoutubeでいまも聞くことができます。46:00頃からです。

ラジオでは久米さんが水俣病の歴史を語り、その後、インタビュー形式で、永野の生い立ち、水俣病患者の数、最近の水俣病行政や、水俣病の「解決」、数日前に受けた患者さんの話、最近出版された本、「みな、やっとの思いで坂をのぼる」について話し合いました。
TBSラジオのHPに詳細が掲載されています、溝口秋生先生のことを詳しく書いてもらったことが嬉しかった。嬉しかったです。そして当日、話そうと思ってメモまで持っていって話せなかった「水俣病歴史考証館」のことを、細かに書いてくださっています。内容もまるで私の気持ちに添っているかのようです。

東京では他に、国立ハンセン病資料館を訪ね、水俣病支援者のお宅に遺品整理に行き、「ふぇみん」という新聞の取材を受け、患者さんと会いました。各所、時間は短く、でも重要な時間で、またありがたい機会でした。

そして今朝の9時、相思社の電話がなりました。
50代の女性は、どこへでも車で行きます。すぐに転んでしまうし、足の感覚が鈍いから。「リハビリに散歩をしなさい」と言われるけれど、「転ぶから、怖いから。車なら、どこへでも連れて行ってくれるから」。小さい頃からめまい持ち、頭痛持ち、けいれん持ち。家事ができず、こどもから、「母親失格」と言われます。「私だって頑張りたい。頑張りたい。こんな話聞かせて、ごめんね、ごめんね」。こどもが「母親失格」と言うのは、お母さんのことを嫌ってなじるわけではなく、お母さんを、ここに、つなぎとめておきたいからなのかもしれないと、お会いしたことのあるお子さんを頭に浮かべながら、勝手にそう、思いました。
東海に住む女性は、先日のMRIの結果を報告してくれました。「死ぬまでこの体でいないといけないのかと思うと、死にたい」と30分の電話で繰り返しました。否定はできずに、でも肯定はもっとできずに。水銀に汚染された海で、魚に浸る暮らしをおくっていた女性。緒方先生との間に入り、MRIを見た緒方先生の見解を伝えると、少し安心なさったようでした。良かった。
きょう退院してきた男性は、午後から菊の花を持って、相思社の坂をのぼってきてくれました。仏壇に、この花を供えたいと思って、と。嬉しかったです。


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