疫学調査の朝(熊本県とのやり取り②)
熊本県水俣病認定審査課の、水俣病認定申請者への疫学調査に、疑問を感じています。東京で、水俣病の認定申請をしているBさんのお連れ合いから電話がありました。
「熊本県の方がね、何日か前に電話と手紙をよこして、4日後の朝10時に疫学調査に見えると言うんですけどね、妻は最近60になって、足が動かなくなって、杖をついても歩けなくて。おむつをしないといけなくなってね。構音障害っていうんですか?口が回らなくて言葉もうまく出ないんですよ。それで気が滅入っちゃって。熊本県の方が来て、何時間も家でああだこうだと聞かれるって、知り合いに聞きました。私も東京の生まれで水俣のことなんて分からないし。妻はずっとこんな感じだから、4日経っても変わらないと思って、さっき、熊本県に電話して断りました」。
直後、同じく東京にお住まいの別の患者さん、Cさんから電話。
「永野さん!いまね、熊本県の職員さんから電話があったんです。4日後の朝10時に疫学調査に来るっていうんです!私びっくりしちゃって、、、」というCさん。「急ですね、なんとお答えになったんですか?」と尋ねると、「分かりましたって言いました。だって。だって。即答してくださいって言うから、、、ダメだったんですか?でも、即答してくださいっていうから。引き受けちゃったけど、本当に、どうしたらいいのかしら」「あなたが一緒にいてくれたらいいのに」と、Cさんは軽いパニック状態になってしまいました。
普段から精神的不安を抱えておられて、相手の言葉の端々を「私のことを否定していないかしら」と注意深く見つめているようなCさん。だから私もCさんとの会話には、あなたのことを否定していませんよ、というメッセージを込めるようにと思っています。
Cさんは水俣病多発地区に生まれ、母や叔母やその他の親戚の多くが患者、父はサラリーマンだったけど、休みの日には必ず好きな魚釣りに行きました。自分で浜に行ってとった貝や、行商さんたちが売りに来る魚や、父がとってきた魚たちを、毎日毎日食べました。東京に出たのは20代になってから。若い頃から体の怠さ、体の痛み、頭痛、全身のこわばりがあり、医療従事者の夫がこの40年の間、家事をし、体を支えてくれなければ、生きてはこられなかったと言います。自分が水俣病ではないかと思ったのは、読売新聞を読んだ数年前のこと。母に電話したら、なんと母は、水俣病でした。それで、相思社に電話をしてこられたCさん。
Cさんの症状は、加齢とともに重くなり、家事全般を担っていた夫には、重い病気が見つかりました。パニック状態のCさんに何かできないかと考えて、その日の夜、Cさんのご自宅近くにお住まいのお医者さんに連絡を取りました。わたしたちの関東の医者の掘り起こし活動に応じてくださったお医者さん。毎年、東京都のニコライ堂で行う患者検診に参加くださり、Cさんの診察をしていただいています。あったことをお話すると先生は、「疫学調査の1時間前にCさん宅に伺っておしゃべりをして緊張をほぐし、調査中にも医師として付き添います」と言ってくれました。離れたところで何もできない中、先生の一言が、どんなに心強かったか。
Cさんに連絡すると、「そうしてもらえたらどんなにいいか」「申し訳ない」「本当にありがたい」と話されました。
そして迎えた当日。私は水俣で、なにもできずに待機していました。
お医者さんから、朝9時にCさんのお宅へ着かれたと連絡があり。そして10時、Cさんのお宅に熊本県の職員が到着した直後、私の携帯が鳴りました。付き添ってくださっているお医者さんからでした。
「若い熊本県職員に【個人情報が流出するおそれがあるから』と部屋を追い出された」というのです。再度「医者だから、守秘義務がある」と訴えても締め出され、「若い男性職員が慇懃無礼に『Cさんとどういう関係か』、『九州から来たのか』、『名前はなにか』を上司の指示を電話で受けながら聞き出そうとする」と。
「医者の同席がなぜ、許されないのか」と、何度熊本県に電話をして交渉しても、「個人情報の流出につながる」との答え。
お医者さんは別室で待機することになりました。Cさんのお連れ合いが気の毒がって、何度もお医者さんの待機している部屋をのぞきに来て、熊本県職員の聞き取りを「警察の事情聴取のようだ」と言いました。若く余裕がなく、質問要旨から顔もあげない。祖父母のこと、何歳から何の魚を食べたか、など同席して構わない話をしている、と。「○○病院にはどの位通ったのですか?」という質問に、Cさんが「ちっとも効かないから5ヶ月」、と答えると、「ちっとも効かない」を落として、「5ヶ月ですね」と。
結局お医者さんは、12時半まで別室で待機してくれましたが、午後から病院で診察があるということで帰られました。
Cさんは相当疲れていたので、お連れ合いが症状について答えたそうですが、控えめに答えたそうです。早く終わらせたいがために、言いたいことを言わず、言えずに終わりました。
Bさんの疫学調査がキャンセルになったからと、突然Cさん宅に電話して、「4日後に行きますから即答して下さい」と返事を迫り。「水俣病」と診断し、患者の付き添いのために来訪した医者を追い出し。患者さんが一人にさせられたあとに、県職員が患者に「同席をしてほしいか」尋ね、「もういいです」と答えさせられ。被害者が加害者のように扱われるこの状況。せっかく医者の掘り起こしを続け、患者さんの自宅近くのお医者さんに協力を仰いでも、力になれない状況。悔しく不甲斐ない。
この間の熊本県の振る舞いに疑問を感じています。
例えば認定申請者を「申請取り下げ」に誘導したり、
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例えばこんなに大勢、棄却をしたり
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2179052128848353&set=a.350429498377301&type=3&theater
酷いことが続くと、慣れて、諦めてしまいそうになります。いつもこうだ、とか、熊本県だから仕方がない、とか。
でも、慣れても、諦めてもいけません。今回、熊本県の振る舞いを見て、県はCさんの被害を、なかったことにしようとしていると感じました。ものを言うことは怖いけど、体力もいるけど、でもこのことにわたしたちが慣れてしまった瞬間に、BさんやCさんの存在が、被害が、本当に、ないものにされてしまうように思うのです。おかしいことは、やっぱりおかしいのです。
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熊本県のHP、その他から
https://www.pref.kumamoto.jp/kiji_19936.html
2014年度
処分保留者 1007名
認定件数 0名
棄却件数 11名
取り下げ 19名
2015年度
処分保留者 1264名
認定件数 2名
棄却件数 97名
取り下げ 19名
2016年度
処分保留者 1146名
認定件数 2名
棄却件数 246名
取り下げ 55名
2017年度
処分保留者 890名
認定件数 0名
棄却件数 314名
取り下げ 48名
2018年度(10/30現在)
処分保留者 719名
認定件数 0名
棄却件数 191名
取り下げ 27名