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「1%の子どもを変えたい」一般社団法人MORITOWA代表・北川勇夫さんに突撃してきた

こんにちは!「長浜森の生活史」第7弾は、一般社団法人MORITOWA代表の北川勇夫(きたがわいさお)さんにインタビューをしました。
北川さんが森にたどり着くまでのお話を、素敵な工房「木音工房」にてじっくり伺いました。
今回も楽しんでお読みください!

北川勇夫さん(北川さん)
1979年生。滋賀県長浜市出身。一般社団法人MORITOWA代表。他にも、土倉鉱山跡にて森林保全や産業遺産ガイドを行う「もりのもり」代表、木工品の工房「木音工房」代表を務める。

聞き手:辻本果歩(かほ)・土屋百栞(もも


職業は「森のおじさん」

もも:今日はよろしくお願いします!北川さん、森にかかわることをいろいろされていますよね。
北川さん:そうなんです。わかりにくいので、最近は「森のおじさん」と名乗っています(笑)。

北川さんの自己紹介「森のおじさん」

かほ:森のおじさん(笑)。ここの工房だけでなく、他のこともされているんですか。
北川さん:そうです。この「木音工房」では、主に生木を使った「グリーンウッドワーク」という手法で、木工品の制作をしています。
他にも、土倉の森の巨木林や土倉鉱山跡(※長浜市木之本町にある鉱山跡)のツアーガイドをしたり、子どものための森の遊び場づくりをしています。
土倉鉱山のツアーガイドは「もりのもり」という団体で行っていて、森の遊び場づくりは「MORITOWA」という一般社団法人を立ち上げて活動しています。

森とはほど遠い前職

もも:これまでも、森に関する活動を長いことされてきたんですか。
北川さん:いや、まったく(笑)。生まれは長浜市木之本町の山村ですが。

子どもの頃の北川さん

北川さん:大学の4年間だけ京都に出て、それ以外はずっと市内にいます。
もも:大学では、どういうことをしていたんですか。
北川さん:授業はそっちのけで、クラブイベントの裏方仕事をしていました。イベントのフライヤーを街行く人に配ったりする仕事です。イベント中は、イベントの中心にいるというよりは、外でひっそり友達やお客さんと飲んで喋ったりしていました。たまに飲み屋と間違えて来られたサラリーマンの方をフロアに連れて行って、一緒に踊ったり(笑)。
大学卒業後は、やりたいこともなかったので、当時バイトしていたガソリンスタンドの社員になりました。そのあと店長までなったんですが、友達のお父さんの勤めていた会社に引き抜かれて、小中学生向けの雑貨を扱うバラエティショップのコンサル会社に転職しました。

ストーブを囲みながら

もも:まさかの展開(笑)。ぬいぐるみとか、かわいい靴下とか、女子がほしいもの全部売っているお店ですよね。大好きでした。
北川さん:そうです。そういうお店に特化したコンサル業でした。所属はシステム開発部で、最初の仕事はシステムサポートでした。約20年前の当時はインターネットがまだ浸透していなかったので、電話でパソコンの使い方をお客さんに説明していました。
「デスクトップにあるアイコンを右クリックしてください」って言うと、「アイコンって何?」「右クリックって何?」「机の上には見当たりません」って言われる時代で、その人が分かるように説明をしないといけなかったので、そういう力が鍛えられましたね。その会社には10年くらいいました。

森に行って感じた「違和感」

北川さん:コンサル会社を退職したあとは、市内の工務店に勤めました。
もも:お、やっと森が出てきそうですね。
北川さん:いや、まだ森はそこまで出てこないんです(笑)。ただ、勤めていた工務店が「国産材100%の無垢の木を使った家づくり」の取り組みをしていて、自分の家もそれで建てたんです。だから、木の家の良さは住んで実感していました。
その家づくりの営業もしていました。国産材を使うことの時代背景とか、日本の森の手入れ不足の問題をお客さんに話していました。

北川さんの実家の山で遊ぶ子どもたち

北川さん:そんな営業トークをするかたわら、ふと実家の山に行ってみたんですが、自分が子どもの頃の山と全然違ったんです。
子どもの頃の山は、雨が降ったら、雨水が地面にしみこんで、その水が川に流れ込んでいました。けれども、そのとき見たのは、雨水が地面の表層をザーッと流れる光景でした。
そのとき、「なんか山汚いな」ってぼんやり思いました。
かほ:違和感があったんですか?
北川さん:そうかもしれない。単純に、子どもの頃の記憶と違うなと思いました。森って、もっと走り回れたんです
当時、父は普通の会社員だったんですが、週末は家族で山に行っていました。父とおじいちゃんは枝打ちをして、僕はおばあちゃんとスギの木を起こしていました。昼間は山の中でおにぎりを食べて、走って山を降りました。そのとき、「どの木に手をかけてスピードを落とそうかな」とか、そういうことを考えながら走るのが怖いのに楽しくて、いまだに記憶に残っているんです。

森の水の恵み

北川さん:でも、そのときは違和感を感じるだけで、森とつながる行動は起こしませんでした。
そのあと工務店を辞めて、現在の個人事業主になりました。自由な時間ができたので、2020年の春頃、ながはま森林マッチングセンターのグリーンウッドワーク(生木で木工作品をつくる技法)の講座に申し込んだんです。
そこから芋づる式に、集落のおじいちゃんおばあちゃんに話を聞く会に参加したり、今一緒に活動している人たちに出会うことになりました。

生木からスプーンを作る「グリーンウッドワーク」

もも:そのときのグリーンウッドワークの学びが、今の工房での活動につながっているんですね。
北川さん:講座が終わってから、スプーンを何本も作ったりして、なんとなく続けていたんです。そうこうしているうちに、ここの倉庫と、倉庫にあった機械をご縁でお借りすることができたので、自分でも設備に手を加えて工房をオープンしました。

1%の子どもが変わったら

原動力は、森で遊んだ原体験

北川さん:グリーンウッドワークの講座から始まり、土倉鉱山のガイドをする「もりのもり」などの活動を通して、だんだんと森に関わるようになっていきました。そこから、「どうやって森を保全していくか」という問いが生まれたんです。
そのきっかけは、「100DIVE」というビジコンにたまたま参加したことです。そのお題が「森林資源を活用した、規模2,000万円のウェルネスビジネスを創出する」というもので、チームでビジネスを生み出すことになりました。
そのとき、「なんで自分、こんなことやっているんだろう」ってふと思ったんですよ。ガソリンスタンドの社員になって、女の子の雑貨のコンサルをしていた自分が、なんで「自然を守ろう」と言ってるのかを考えてみたんです。

インタビュー中の北川さん

北川さん:そのとき出てきたのが、「結局、なにか分からないけど残したいんだ」という思いでした。家族で山仕事しているとき、お昼に食べたおにぎりって、僕の記憶の中でめちゃくちゃ上位にあるうまい食い物なんです。
そういうのがいっぱいあるんですよ。「5月頃は茶摘みして山椒を取ったな」とか「夏休みは溺れたら絶対死んでしまうような川で遊んだな」とか「学校帰りにクワの実を食べ過ぎて真っ黒にして怒られたな」とか。
そういう記憶がずっとあるんです。森や集落で生活した、それがよかったなという記憶が。「こんな田舎つまんない」じゃなくて、「それが壊されたら嫌だな」という思いがあって、僕は自然を守りたいんじゃないかなという答えにたどり着きました。

木登り少年を見守る北川さん(黄色いTシャツ)。
子どもたちには「いっくん」と呼ばれている。

北川さん:じゃあ、今の時代はどうなんだと考えたとき、自分のまわりの同世代を見ていると、子どもを森に連れて行く人なんていないんです。本当は、自然の中で遊ばせたいと思っているけども、遊ぶ場所や遊ばせ方がわからないんです。このままだと、今の子どもたちはもう森遊びができないんですよ。そうなると、森での遊び方がわからないので、森の楽しさもわからないんです。
かほ:私も、森に連れて行ってもらったことはなかったです。
北川さん:そういう環境で育った子にとって、森は不要なものか、もしくは活用されていない土地になってしまうんです。例えば、大人になって電力会社に就職したとき、太陽光パネルを設置する場所を探すときに、森を見て「いい土地がある」という発想になるじゃないですか。森は不要で、使われていない広大な土地だから、何も考えずに壊しても大丈夫とみなされる。
でも、子どもたちに、僕が育ったときのような原体験を植え付けておけば、変わるかもしれない。長浜市では、1年で約760人の子どもが生まれています。そのうち、たった1%の7、8人の子どもが変わったら、森に関わる仕事を将来してくれたら。今、森に関わっている人数の少なさを考えると、めっちゃすごくないですか。
同級生7、8人が森の仕事をする。それなら、なんとかなるんじゃないか。だから、「1%でもいいんだ」と思ったんです。そこから、気軽に遊びに来れて森遊びができる場所をつくろうと100DIVEのチームメンバーと決め、今の「音羽の森ジョイパーク」ができました。

MORITOWAの活動概要

ビールで都会と森のつながりをつくる

もも:音羽の森ジョイパークは、いつ開放しているんですか。
北川さん:毎月1回、土日どちらかで遊びの日を設けています。それ以外の日も来てOKで、募金箱にお金を入れてもらう仕組みを考えています。長浜市内の子どもじゃなくても大丈夫です。
アスレチックみたいなものはないですが、自由な発想で遊ぶことができる場所だと思います。
かほ:森で遊ぶって、確かにないです。ワクワクする。
もも:楽しさの質が違うよね。ゲーセンで遊ぶのとは全然違う。
北川さん:森でぼーっとしたり、読書したり、なんならテーブルを持ってきて宿題をやっちゃうとか(笑)。
ただ、音羽の森ジョイパークの活動だけでは資金的に厳しいので、森の素材を使ったビールも売り出す予定です。
かほ:森の素材で作れるんですか!

クロモジビールでできる循環

北川さん:クロモジという、とてもよい香りのする中低木の木を使うんです。「森を都会に届けたい」という想いがあって、本当は森ごと都会に持って行きたいけどそれは大変なので(笑)、はしょって「森の香りを届けよう」となりました。ビールの素材となるクロモジの植樹券に、ビールがついてくる売り方を考えています。
そうしたら、植樹券を買ってくれた人の植えた苗木がビールになるという、3、4年のサイクルが生まれるんです。ビールを通して、都会の人と森とのつながりが生まれるんじゃないかと思っています。

森で遊ぶことが当たり前になる未来

北川さん:結果としていろいろ活動していますが、やっぱり「子どもに森で楽しいことをさせるのって大事なんじゃないか」という想いに結局たどり着きますね。子どもたちと木で遊んだり手を動かすのに、どうアプローチしようかなと、自然と考えちゃう。
この工房にも、子どもが遊びに来たときに使えるように、子どもが使いやすそうな材を置いているんです。
もも:人が集まる工房を目指しているんですか。
北川さん:そうですね。普通に遊びに来てほしいです。それは、工房に限らず、音羽の森ジョイパークも。行きやすい場所だなって思ってくれて、そこでコミュニティが生まれたらいいなと思います。
もも:北川さんが、これからやりたいことはありますか。
北川さん:音羽の森ジョイパークが、学校じゃない場所で学ぶ選択肢の1つになって、その結果、森とか木で遊ぶ子どもたちが増えることです。それが当たり前になって、森に行くのが特別なことじゃなくなったらいいなと思っています。

素敵な工房でお話を伺いました!

今回のお手伝い

今回は、北川さんが制作した商品のサイズを測るお手伝いをしました!

ランプに手を伸ばして、測る!

お皿やお椀からランプまで、多種多様な商品の直径・高さを測りました。
今回置いてあった商品のほとんどは桜の材を使っていて、その中には北川さんの知人が持ちこんだ倒木もあるそうです。
不要木や倒木をつかったものづくりは、どれも温かみが感じられました。測りながら、木の手触りにすっかり癒やされました✨

編集後記(もも)
泣く泣くカットした部分もありますが、北川さんが森の活動を始めるまでの紆余曲折がとっても面白かったです。クラブイベントの裏方仕事や、バラエティショップのコンサルなど、一見森と関係なさそうな仕事で培われてきたスキルが、今の活動にも活かされていることを感じました。
「音羽の森ジョイパーク」に、私も遊びに行きたい!
次回は、なんと編集メンバー同士での相互インタビュー。どんな話が出てくるでしょうか?次回もお楽しみに!

<聞き手・ライター>
辻本果歩(かほ)
1998年生。兵庫県西宮市出身。2023年秋より、長浜市の地域おこし協力隊に着任。テーマは、シェアリングエコノミー。

土屋百栞(もも)
1997年生。茨城県つくば市出身。2022年秋より、長浜市の地域おこし協力隊に着任。森林浴などの活動を通じて、自然との結びつきを感じる機会づくりを模索している。


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