ブラック騎士団へようこそ!(24/26)
第24話「人智を超えた神威の権化」
ラルスの行動は素早かった。
そして、なにも言わずとも仲間達は各々に最適な行動を選んでくれる。目的は同じ……隊長のリンナを救うために戦うのだ。
森を分け入るラルスたちは、まだ疲れが残る肉体に鞭打って走った。
そんな中でも、相変わらずバルクの軽口は軽妙だ。
「しかし驚いたね、カルカ。お前さん、騎士団の利益にそぐわぬ行動は選ばないんじゃないの? どうしたのよ」
「あら、バルクさん。わたくしは常に騎士団第一がモットーですわ……ゾディアック黒騎士団のためなら、一日四十時間は働けますの」
「そんなに一日は長かねーよ、ったく。馬鹿が多いってことだなあ? オフューカス分遣隊ってな、揃いも揃って馬鹿ばかりだ、ハハッ!」
ラルスもそう思う。
馬鹿だ。
自分も含めて、大馬鹿者である。
だが、その愚直なまでの仲間への気持ちは、なにものにも代えがたいように思う。
「急ぎましょう、皆さん! 俺は、絶対……隊長を死なせはしない!」
走るラルスの少し前を、ヨアンが獣のように見を低く馳せる。
彼女には、この山野でも足跡が見えるという。重武装の騎士が踏みしめた土に、彼女の目は人の足取りを拾うのだ。
速度を落としてラルスに並んだヨアンは、短く言葉を切ってくる。
「この先、大勢いる……多分、そこにリンナも」
「山の方ですね! ゴブリンの砦の、さらに奥か」
「リンナの足跡も、その先」
「えっ? そんなの、わかるんですか?」
「リンナ、軽い。足、小さい。見て、足跡の深さ……全然違う」
「見て、って言われても……見えないんですけど。あと、軽いかなあ」
「……女の子、みんな、軽い。そう言えないラルス、ガッカリ……残念」
珍しくヨアンが、頬をプゥ! と膨らませた。
感情を表情に出す彼女を見て、バルクもカルカも笑った。
なんだか解せない、ラルスにとってリンナは確かな重みのある人間だ。とても大事で大切な、隊長と部下である以上の絆を感じるのだ。そういうことを言いたかったのだが、周りはラルスを残念な子だと笑ったらしい。
だが、そんな悠長なことを言ってられるのも、それまでだった。
不意に視界が開けて、川のせせらぎが満ちた渓流に出る。
そこでは、多くの負傷した騎士達があちこちでうめいていた。破れた旗はゾディアック黒騎士団、タウラス支隊を示すものだ。
ラルスは声を張り上げ、周囲を見渡しながら歩いた。
「タウラス支隊の皆さん! 撤退できた人数はこれだけですか? こちらに、オフューカス分遣隊のリンナ隊長はいらしてないでしょうか!」
皆、疲れた顔をあげてラルスを見た。
だが、その虚ろな目は全て、言葉にもならぬ否定を無言で語っている。
ゾディアック黒騎士団の十二支隊が一つ、タウラス支隊の最精鋭が今……無残な敗残兵となってそこかしこでうなだれていた。
その時ラルスは、訛の強い声を聴く。
「ラルス! おんめ、どしてここさ……オラ、オラァ……ラルス、どしたらええだ」
せっせと負傷者の手当をして回っているのは、ヌイだ。そのエプロン姿も、血で汚れている。恐らく、リンナが道案内にと連れ出したのだろう。そして、開けた水場で負傷者の世話を頼まれたと見るのが妥当だ。
「ヌイさん、どうしたんですか! リンナ隊長は!」
「うう、オラ、オラァ……道案内さ、頼まれただ。んで、んで」
泣きじゃくりながらヌイは、ポケットからなにかを取り出した。それは、王国が発行する金貨だ。その数、三枚。この土地であれば、半年は遊んで暮らせるという大金だ。
それを手の平に広げて見せながら、ヌイはさらにおんおんと泣き続ける。
「騎士様は、ここでいいと言っただ。ここで、逃げてくる騎士達の世話ばしてけろって。これは謝礼であり、オラが立派に村のために働いた証だって……そう言っただ!」
「隊長……またこんなやりかたをして」
「騎士様ぁ、わかってくれてたんだぁ。オラ、王都さ出稼ぎに行ったども、出戻っちまっただ。村でも居場所さ、なくて……でも、村のため、騎士様のために働いたって言えば、みんなわかってくれるって」
実にリンナらしいとラルスは思った。
全てに注意を払い、常に気を遣って冷静に対処する。
なにからなにまで、完璧に近い振る舞いだ。
そのことが、ラルスは無性に腹ただしかった。
リンナ自身を大事にしてくれないからだ
ラルスはヌイの両肩に手を置いて、静かに語りかける。
「ヌイさん、隊長は? 今、どこへ」
「この奥だぁ……上流さ行けば、滝があるんだども。その裏さ洞窟があって、ドラゴンはそこさ巣ば作ってる。次々とそこから、みんな逃げてくるんだども……騎士様は入ったきり、出てこねんだあ」
それだけ聞ければ十分だった。
そしてもう、ラルス達に迷っている時間はない。
ヨアンもバルクも、勿論カルカも臨戦態勢だ。
「金貨、いいな……羨ましい。わたしも頑張れば、もらえる?」
「うおーい、カルカァ! 契約騎士にもなんか手当出ねぇのか?」
「団規における団員の福利厚生及び賃金と手当の項、第三条の補足に――まあ、契約騎士は必要な時にはした金で雇って使い捨てますので、なんとも。……でも、それを許せないと思う人が、今も戦ってますわ。まずはお救いしてから、それから考えましょう」
誰一人として、逃げる者はいなかった。
ヌイにその場を任せて、ラルスたちは走り出す。
川沿いに上流へ進んで程なくすると、巨大な瀑布の轟音が聞こえてきた。
側に寄れば、会話も難しいくらいの水音が空気をかき混ぜている。
滝壺には澄んだ清水が満ちていたが、遥か頭上から流れ落ちる滝は白い飛沫を泡立てていた。その奥に回り込めば、確かに水のカーテンが隠した洞窟がある。
「皆さん、気をつけてください! 足元が滑ります」
ラルスは腰の剣を抜き、背から降ろした盾を左手に装着、洞窟内に侵入する。
急いで来たため武具はそれしか持っていない。鎧を身につける時間も惜しみ、鎧の重さが消耗させる体力を温存して駆けつけたからだ。
それは仲間達も同じで、元から軽装のヨアンもそうだ。
バルクは自慢のハルバードを構え、カルカも巨大なウォーハンマーを手にする。
ヨアンは両腰の短剣を抜くより先に、前に立って地面に屈んだ。
「ここ、人の出入り、沢山。その中に……あった。これ、リンナの足跡。……行ったまま、戻ってない」
「まだ奥に! ……ん? なにか聴こえる」
大質量の水が雪崩落ちる音に、微かに響く金属音。
それは、何かを刃が弾いていなす剣戟の音だ。
水滴したたる洞窟の奥から、剣が舞い踊る声が伝わってくる。
そのリズムはきっと、必死に剣を振るうリンナの鼓動だ。
彼女はまだ、騎士として戦い、騎士として生きている。
「急ぎましょう! リンナ隊長を救出し、殿に立って撤退します。タウラス支隊の方もできる限りの救助を! そっちはバルクさん、お願いできますか?」
「おう! ここいらで恩を売っとくのも悪かねえ」
「カルカさんは俺の背後をお願いします。俺は目の前のドラゴンだけを見て戦いますので」
「あら、わたくしなんかに背中を預けて……ふふ、承りましたわ」
「では、行きましょう! ヨアンさん、先行してください……無茶せず、危ないと思ったら離脱、下がることを躊躇しないでください」
「わかった。……で、こっち。この、奥」
進む先が時々、真っ赤な光の照り返しで揺れる。
天井から垂れ下がる硝石の輝きが、炎の光だと無言で語っていた。
その先へと、ラルスたちは用心深く進む。
先頭のヨアンは、薄暗い中で目に足跡を拾い、耳で拾える音を頼って進む。次第にラルスたちにも、耳をつんざく咆哮が聴こえてきた。
その絶叫は正しく、神威の体現者が歌う死の福音。
反響するドラゴンの声を聴くだけで、全身が恐怖でこわばった。
そして視界が開けるや、ヨアンが逆手に短剣を抜刀して走り出す。
「ヨアンさん! 無理しちゃ駄目ですからね! ……あ、あれが……ドラゴン!?」
そこに神はいた。
あるいは、神が送り込んだ神罰の代行者……大自然の摂理を司る絶対強者。神にも等しい、食物連鎖の頂点に君臨する王者だ。
天井が高く広い洞窟内で、純白のドラゴンが翼を広げていた。
見上げる程に巨大で、背の翼を広げた姿は何倍も大きく見える。
立派な角が枝分かれしながら生えた頭部では、赤子の頭ほどもある巨大な瞳が紅い。その視線の先にラルスは、肩越しに振り返った少女を見つけた。
間違いない、リンナだ。
「リンナ隊長っ! 助けに来ました! 下がりましょう!」
ラルスは絶叫と同時に、近場の岩陰へと身を投げる。
それは、リンナへ向かって走るヨアンと同じ選択だった。
背後でも仲間たちが、各々に回避を選んで身を隠す。
そして、豪炎。
吼え荒ぶドラゴンの口から、真っ赤な焔の奔流が吹き荒れた。
今までラルスたちが立っていた場所が、紅蓮の炎に包まれる。
一瞬前のラルスたちを殺した烈火は、逆巻く渦となって次第に消えてゆく。
あとには、硝子と化してキラキラ光る溶けた岩盤が残るだけ。
改めてラルスは、ドラゴンの恐怖におののいた。
そんな彼の耳朶を、リンナの声が震わせる。
「少年! 皆さんも! どうして……いけません! 戻ってください! 危険です!」
ドラゴンのすぐ足元、岩場の影から飛び出したリンナが剣を構える。
その背中を見るラルスは、まるで吟遊詩人が歌う叙事詩の詩篇を見るような気持ちだ。だが、あれは伝説の英雄でもないし、救世の勇者でもない……同じ生身の人間、そしてそれ以上に騎士であろうとした姉なのだ。
そう思ったら、ラルスは自然と走り出していた。
背後ではバルクが雄叫びを轟かせる。
「ああクソッ! なんてヤンチャな姉弟だよ! ……へっ、そういうことでいいんだろ? 戦友よ、アルスよぉ! なら、支えてやんなきゃな、オラアアアアッ!」
豪腕を振りかぶるバルクが、勢い良くハルバードを投擲した。
空気を切り裂く鈍色の刃が、純白の鱗と甲殻を砕いて割る。
「刺さった!? やりましたよ、バルクさん!」
「いえ……浅いですの! かすり傷程度ですわ」
カルカの言う通りだった。
半端に刺さったハルバードを腹に生やしながら、ドラゴンはいよいよ怒気を荒げて吠える。その中でラルスは、リンナの元へと駆け寄り、押し倒すようにして岩陰に身を隠す。
再び爆炎が頭上を通り過ぎた瞬間……ラルスの目の前で、リンナが見上げていた。互いの呼気が肌をくすぐる距離で、二人は身体も視線も重ねて業火の収まるのを待った。