ブラック騎士団へようこそ!(21/26)
第21話「その人は多分、絶対に姉さん」
危機を察したラルスの決断は、それ自体を迷う瞬間にも身体を押し出していた。
そして、すぐに躊躇しなかった自分を信じる。信じ込む。
ラルスは左手の盾をかざすと、リンナの命令に背いて前に出た。
その口から、咄嗟とはいえ初めての言葉が発せられる。
「危ないっ、姉さん!」
リンナが一瞬、驚いたように静止した。
僅か一秒にも満たぬ瞬間だったが、リンナがタクトのように振るう切っ先が止まる。ゴブリンたちに死を歌わせるシンフォニーが途切れた、その間隙にラルスは滑り込んだ。
手にした盾と自分とで、リンナを庇う。
同時に盾が攻撃を受けて、コァン! と金切り声をあげた。
ラルスが心配した通り、リンナは気付いていなかった……ゴブリンが持ち出した飛び道具に。
「なっ、少年!?」
「スリングショットです! 数は多くないです、確認できただけで一匹。お願いします!」
「わかりました」
「デカブツは俺が……おおおっ!」
次の瞬間には、二人は再び一人と一人になって左右に散る。
リンナはすぐさま、次の石を打ち出そうとするゴブリンへ迫る。恐らくその姿は、美しき死神に見えただろう……焦るあまり石を取り落としたゴブリンが、電光石火の一撃でのけぞった。
払い抜けるリンナの背後で、血飛沫をあげてゴブリンが崩れ落ちた。
その時にはもう、ラルスは先程の巨大なゴブリンリーダーへと迫っていた。
「お前の相手はっ、俺だああああっ!」
盾をかざしてラルスは瞬発力を爆発させた。
瞬間、肉薄。
接触と同時にくぐもる声を頭上に聴きながら、そのままラルスはゴブリンリーダーを押す。突進力を殺さず、そのまま身を浴びせるようにして床を蹴る。
決死の体当たりを敢行したラルスは、ゴブリンリーダーごと階下へ落下した。
その先はもう、周囲を取り囲む槍衾……一人孤立して落ちたフロアには、完全武装のゴブリンたちがラルスを取り巻いていた。
そして、背後ではゆっくりとゴブリンリーダーが身を起こす。
「狙うなら俺を、俺だけを! 望むところだっ!」
周囲から鈍色の穂先が繰り出される。
盾と剣とで、ゴブリンたちの突きを弾く。
その間も、背後では頭を振るゴブリンリーダーが立ち上がっていた。
冷静さを己に言い聞かせながらも、包囲される恐怖にラルスは竦む。思い出したように襲い来る疲労感に抗い、必死でラルスは戦った。
そして、救いの剣が舞い降りる。
背に真紅の日輪を託された、エースの中のエース……常闇の騎士。
「リンナ隊長、どうして!? 上は、バルクさんたちは」
「すぐに追いついてきます。昔から私を補佐してくれてるので、こういう時のバルク副長は期待を裏切りません。カルカさんも、騎士団に私がプラスだと思ってくれてるうちは信頼できます。それより」
「す、すみません……命令、破りました」
「あとでお仕置きですね。……姉さん、と呼んでくれました」
「は、はいぃ……」
「嬉しいです。でも、私は怒ってます……あとでお仕置きするので、生きて帰りますよ?」
次々と四方から刃が繰り出される。
ラルスは剣と盾とを使っても、手数で負けて運動量が増えてゆく。
身につけたライトアーマーを、無数の刃が擦過する。
一方でリンナは、一振りの剣で難なく守りつつ、隙を見て徐々に制空権を広げていた。そればかりか、余分に回避運動を強いられるラルスをフォローしつつ、背後にも気を配って立ち回る。
ずいぶん長い間、こうしている気がした。
ラルスが一階に落ちてから、まだそれほど経っていないのに。
両手両足が重い。
パンパンに張った全身の筋肉が焼けるようだ。
それでもラルスは、自分の生を繋ぎ止めるために戦う。
必死の抵抗で仲間を待つ二人へと、容赦なく大斧が振り下ろされた。
ゴブリンリーダーが縦一文字に叩きつけてきた刃は、避けたラルスとリンナを分断する。土砂を巻き上げ巨大な轍を刻んだまま、ゴブリンリーダーが二言三言叫んだ。
呼応するように周囲のゴブリンたちも、不気味な雄叫びを始める。
諦めずに立ち上がるラルスは、その時に見た。
リンナの動きが、変わったのを。
「姉さん!」
また、姉と呼んだ。
その少女は今、ラルスが目で追えぬスピードを纏い、風になる。
リンナの剣が描く軌跡だけが、その先へ馳せる少女を浮かび上がらせていた。
先程の優雅な戦いが嘘のように、リンナの剣が恐ろしいまでの凄絶さを演じる。
ある意味で別次元の殺戮美が広がった。
リンナはあっという間に、周囲のゴブリンたちの槍を叩き切る。
驚くゴブリンたちの表情が、そのまま絶命に固まり崩れてゆく。
「少年! 今です!」
「は、はいっ!」
すぐにラルスも、残る力の全てを敵へと向かう。
まるでギロチンのような大斧を、ゴブリンリーダーは軽々と頭上に振り上げた。
単調な大振りだが、当たれば絶命は免れない凶刃。
ラルスは迷わず、その先へと飛び込む。
盾が衝撃にたわんで、痺れる左手の感覚が失せていった。
だが、恐るべき一撃を受けきった刹那、ラルスは身を声に叫ぶ。
「うおおっ! 俺だって……民を、村を……姉さんを、守れるんだっ!」
瞬間、脳裏に在りし日の父が蘇る。
幼少期の自分を鍛え、育ててくれた父……名のある騎士だった、ラルスの誇れる父。その言葉を思い出すままに、ラルスは呟きと絶叫とを織り交ぜ放った。
剣を手にし、鍋の蓋を盾代わりに研鑽を積んだ日々が思い出される。
「剣と盾とは攻防一体、一対の武器! だから、こうだあああっ!」
ラルスの盾にヒビを走らせ、ゴブリンリーダーが刃を押し込んでくる。
力任せに押し切ろうとする攻撃を、ラルスは盾で受けきりつつ……その勢いに己を吸い込ませる。盾が受ける衝撃を支点に半回転、上手く力を逃しつつ半歩踏み込む。相手の力を利用しての逆襲に転じる。
そして、まるで盾と見えない糸で繋がったかのように、剣が繰り出された。
父は以前、言っていた……盾と剣とは、互いに役目を分かち合う番のようなものだと。
――絶叫。
剣を通して伝わる、鈍い感覚。
ゴブリンリーダーは大斧を手放し、流血する腕を抑えて引き下がった。
「や、やった……? っ、か、身体が」
「少年!」
余力の限りを振り絞り、死力を尽くしたラルス。
その全身から力が抜けて、彼はその場に片膝を突いた。
さらなる強さでゴブリンたちを蹴散らしつつ、リンナが側で守ってくれる。
武器を落として手負いになったゴブリンリーダーは、激昂に瞳を充血させて吠えた。
「すみません、姉さん。俺のせいで」
「構いません。それに、簡単に諦めていては立派な騎士には……私達の父様みたいな騎士にはなれませんよ?」
リンナの声が余裕を取り戻す。
珍しく息のあがった彼女が、ゴブリンリーダーを見据えて背にラルスを庇う。
ラルスは、彼女が睨む先に見た……頼れる仲間たちの姿を。
小さな小さな少女が、階段を転げるように降りて、途中から跳んだ。
「ラルス、助ける! わたしが! リンナも、ラルスも、助ける!」
逆手に短剣を握ったヨアンが、スカーフを棚引かせながら宙を舞った。彼女は得意の軽業で、ゴブリンリーダーの肩へと飛び乗る。
そのまま彼女は、人間で言えば頸動脈がある場所へ刃を突き立てた。
絶叫が響いて、ゴブリンリーダーが大きくよろける。
ヨアンは容赦なく、返り血を浴びながらもトドメを放つ。
ヒュン、と空気が小さく震えた。
ラルスの目には、ゴブリンリーダーの首を軸にヨアンが一回転したように見えた。そのままぐるりと回ると、ヨアンはふわりと着地する。
同時に、輪切りになったゴブリンオークの首が、鮮血と共にずり落ちた。
まるで手練の暗殺者のように、この砦に巣食うゴブリンの長を屠るヨアン。
そして、周囲のゴブリンたちに動揺が走った。
それは、バルクとカルカが駆けつけるのと同時だった。
「ヒョー! すんげえ技……おーい、ボウズ! 隊長も! 怪我ぁねえかい?」
「それより、ゴブリンたちが逃げ出しますわ。駆逐、殲滅、根絶やしですの! ゾディアック黒騎士団の評判のためにも、任務は完璧に……すなわち、皆殺しですわ!」
ゴブリンたちは武器を捨てて潰走を始めた。
皆、作りだけは立派な正面の門へと殺到する。
だが、ヨアンは勿論、バルクやカルカも容赦がなかった。狭い門へ我先にと群がるゴブリンを、背後から三人が掃討してゆく。門が内開きなのも手伝って、いよいよ混乱に陥ったままゴブリンは討伐されていった。
あとはもう、一方的な戦いで、戦いにすらならなかった。
ついさっきまで、命のやり取りの中にいたラルスは脱力する。
それでも辛うじて、立とうとしたところへ白い手が差し出された。
「少年……つかまってください」
「あ、ありがとう、ございます……リンナ隊長」
「そうですね、任務中はそう呼んでください。任務中だけは……わかりましたか?」
「は、はあ」
「不思議な気分です。私には母様以外、家族がいないと……ずっと、そう思っていました。父様はラルス以外、なにも残してくれなかったとも。でも、違ったようですね」
「俺もラルスですけどね、でも……あのイタチのラルスと一緒に、リンナ隊長を、姉さんを守りますよ。姉さんの守りたいものも、一緒に」
「イタチではないと思いますが……嬉しいです」
疲れでフラフラだったから、少し様にならない。
それでも、リンナの手を借りてなんとかラルスは立ち上がる。
その頃にはもう、門は押し開かれて外には朝日が満ちていた。眩い陽の光を背に、バルクとカルカ、そしてヨアンが振り返る。多くのゴブリンの死骸が、砦の中に血の臭いを充満させていた。だが、そんな濁った空気を清めるように、真っ赤な太陽が燃えていた。
ラルスはリンナと共に、逆光の中へと歩み出す。
こうして予定外のアクシデントに見舞われながらも、ラルスたちオフューカス分遣隊は予定通りの任務を達成した。砦こそそのままに残ったが、住み着いたゴブリンの群は一匹残らず駆除されたのだった。