朱き空のORDINARY WAR(19/32)
第19話「漂白されてゆく空」
妄念を乗せた翼が今、静かに舞い上がる。
瞬間、戦場を支配する空気は戦慄に凍り付いた。
全速力で逃げるヘリが、まるで牛歩の如き遅さに感じる。ユアンはただ、その中で揺られるしかない。ストレッチャーへ横たわるムツミの手を握ってやりながらも、震える彼女に自分の震えが重なった。
――"白亜の復讐姫"
五十年戦争末期の混沌が生んだ、凄絶なまでに美しい死神。
その血に濡れた大鎌が、ユアンの喉へと既に触れていた。
エルベリーデの白い"レプンカムイ"は、強烈な殺気をユアンへ向けてくる。
圧倒的に不利な状況でも取り乱さず、神業にも等しい戦技で離陸した彼女は……あっという間にヘリへと肉薄してきた。
無線を通じて話す仲間たちの声が、一気に緊迫感を帯びる。
『各機、ヘリを護衛して! イーニィ、後続の追撃を警戒しつつ牽制! ラステルは好きに動いてよし! さて……わたくしも久々に運動させてもらいましてよ』
おっとりと優しかったナリアの声が、不意に凄みを増した。
同時に、背後に迫る白い影が翼を翻す。
ラーズグリーズ小隊は三人、数の上での優位は明らかだ。
だが、ユアンは知っている……吸血部隊と恐れられた、第666戦技教導団のパイロットにとっては、多対一など初めから想定された前提条件に過ぎない。
あらゆる状況で劣勢をひっくり返す、圧倒的戦技の一騎当千集団。
その猛者たちを率いる人間として、ユアンが育てた美貌のエースがエルベリーデだ。
ノイズが交じる無線へ、彼女の凍れる声が入り交じる。
『……アン……ユアン、聴こえてるでしょう? ……まだ、間に合うわ……投降し――』
『クソッタレが! イーニィ、あの白い奴を黙らせろっ!』
『やってます、ラステルさん! 喰らいついてくので、精一杯ですよ!』
鈍足のヘリを見下ろす中空に、巨大な闘技場が出現していた。
三人の戦乙女が連携し合って挑むは、巨大な白竜……見る者全てを魅了し、その瞬間に惨たらしく屠る魔物だ。白い翼は空気を引き裂き、音の速さで敵意を滲ませている。
行き交うナリアたちの声の中で、エルベリーデはユアンにだけ語りかけていた。
『殺すなら……パイロットの貴方がいいわ……ユアン。貴方の空飛ぶ棺桶は、そんなトンボじゃないでしょう? ……ねえ、ユアン……飛んでる貴方を、殺したいの』
たまらずユアンは、窓へ張り付き外を見やる。
特務艦ヴァルハラ所属、ラーズグリーズ小隊の"シャドウシャーク"……カナード翼とエンジンチューンを得た改修機は、善戦していた。やはりあの三人は並の腕じゃない。ラステルとは模擬戦の経験もあったし、イーニィも小さな少女とは思えぬ働きだ。
そしてなにより、隊長機のナリアはエルベリーデに匹敵する腕を見せ付けてくる。
牽制に徹するイーニィと、喰らいついてゆくラステルとを俯瞰しながら……常にエルベリーデの二手三手先にナリアは回り込む。
だが、実力伯仲だからこそ、馬の差は如実に現れる。
ほんの僅かな機体性能の差は、生死の狭間で勝敗を決定的に分かつのだ。
『ッ! 今のを避けやがるかっ! こちとら緊急発進で駆けつけてんだ、ミサイルなんじゃ積んでねえしよっ!』
『条件は撃ち終えたあちらも同じ筈です。でも、このままじゃ――』
『はいはい、無駄口が多くてよ? 勝てないまでも負けないようになさい? わたくしのかわいい貴女たち。ヘリの離脱まで抑えるのよ。よくて?』
海が見え始めて来たが、特殊部隊を満載しているヘリの動きはいかにも鈍重だ。そして、ノロノロと飛ぶユアンたちの頭上で死と死が行き交い擦れ違う。
狭い窓の視界で、ユアンは必死に味方の動きを目で追った。
否……エルベリーデの動きをこそ、目を見開いて探した。
「相当に腕をあげたな、エルベリーデッ! やはりあの時も、俺の"レプンカムイ"が不調だっただけではない。奴は……あの女は、俺が知る頃より強い!」
機銃の火線が空を裂いて、何度も宙に光の線を引く。
直線的に三方向から注がれる敵意の中で、エルベリーデは踊っていた。
狂い咲く徒花のように舞い、翻弄してあざ笑うように咲き誇る。
極限までドッグファイトのための性能を追求した機体、Fv-67"レブンカムイ"……その動きは抜き身の刃のように鋭く、舞い散る花びらよりも軽やかだ。
エルベリーデは間違いなく、自分専用機を完全に乗りこなしていた。
そして、堂々と三機を交互に背後へ連れては翻弄する。
ようやくラステルの"シャドウシャーク"が張り付いて、ロックオンの距離へと加速してゆく。あくまで優雅に飛ぶエルベリーデの動きに、思わずユアンは窓を叩いて叫んだ。
「ラステルッ! 挑発に乗せられるなっ! その動き、あの女の術中に陥るぞ!」
"レプンカムイ"の方が、"シャドウシャーク"よりエンジン出力で勝る。スペックで優位にある機体は、上昇での回避機動を選択するのがセオリーだ。
だが、エルベリーデは急降下で地面へと吸い込まれてゆく。
ジリジリ距離を詰めるラステルを、奈落の深淵へ引きずり込むように誘う。
ユアンはこの数秒後の光景を知っている。
自分が教えたマニューバで、自分と仲間たちの十八番だ。定められた結末へと今、ラステルは自分でも気付かぬ内に取り込まれようとしていた。
目を凝らすユアンの叫びが、ナリアの声に重なる。
「追うな、ラステル! 罠なんだ、追い詰められているのは奴じゃない、むしろ――」
「ヴァルキリー2、ラステルさん。仕掛けてきます、気をつけて……"白亜の復讐姫"の、その動きは!」
大地を舐めるような低空で、ラステルがエルベリーデに最接近する。
ヘリから見下ろせばもう、点にも等しい大きさの二機は重なりそうだ。だが、さらなる降下を続けるエルベリーデの"レプンカムイ"がバレルロールで一回転。失速スレスレの中で速度を殺した。
やり過ごされたラステルの背後に、純白の殺意が張り付く。
『なんだありゃっ、クソがっ! オレのケツを舐める距離だぜ、畜生ッ!』
『ラステルさん! 今、援護に向かいます!』
『待って、ヴァルキリー3! 落ち着いて、イーニィさん! ラステルさんも!』
そこから先は、ユアンの中の記憶をリフレインさせる一人舞台だった。
エルベリーデは嬲るようにラステルに機銃を浴びせつつ、決して当てようとしない。しかし、必殺の距離で命を握られた方はもう、冷静さを維持することが難しかった。
そして、助けに入ろうとしたイーニィの安直な動きがあっさり避けられる。
死を運ぶ白鳥は今、追い縋る全てを嘲笑いつつトドメの牙を剥く。
急いでユアンは再びヘリのコクピットへ飛び込んだ。
パイロットのインカムを通して、ラステルへと声を張り上げる。
「ラステル、タイミングを合わせてダイブしろ! 奴は確実で堅実な撃墜のために、銃爪を引く前に少しだけ距離を取る! その隙に合わせて離脱するんだ!」
叫びつつ、ユアンもわかっている。
言うは易しだが、エルベリーデはそこまで甘くない。そして、彼女の声が入り交じる回線の向こうで、彼女自身が聞き耳を立てているのだ。
だが、癖というのはなかなか抜けることがないものだ。
昔は常日頃から、ユアンはエルベリーデに釘を刺していた。ロックオンしたら迷わず撃て、戦闘機はどこに銃弾が当たっても撃墜は免れない、と。御丁寧にエンジンへの確実な直撃を狙う、その僅か数秒の間に攻守が入れ替わることだってあるのだ。
その隙に漬け込むことができる人間を、ユアンは自分以外に知らない。
豹変とさえ言える成長を遂げた今のエルベリーデでは、自分でも自信がなかった。
そして、運命が交錯する。
『見ていて、ユアン……貴方の技の全てを使って……殺すわ。殺し続ける、撃墜マークを稼ぎ続けるの……まず、一つ』
『ラステルさん! ダイブしてください! ……わたくしの部下は、もう誰も、誰一人として!』
ラステルが上昇と同時に翼を翻した。
可能性を削ぎ落とされた先の、唯一の逃げ場へと飛ぶ。その先へ既に照準を合わせていたエルベリーデもまた、射撃ポジションを失い距離を取る。
ギリギリで滑り込んだナリアの一撃が、エルベリーデの演出した狩場を破壊した。
そう、狩りだ。
戦いを楽しみ、楽しんでいる自分を無邪気にユアンへと見せつけてくる。彼女はまさしく、ユアンという狩人が育てた猟犬だ。そして、野蛮な狩猟の時代が終わっても狩りを忘れられず、狩りが手段である前に目的な狼へと変わってしまったのだ。
『あら、残念……でも、本当なら確実に……撃墜してたわ。それは感じてもらえたかしら? ユアン……楽しめてもらえてる? ……私を殺さない限り、ずっと続くわ。ずっと、ずっとよ』
ナリアの機転でラーズグリーズ小隊は危機を脱した。
しかし、その時にはもう……ユアンの乗るヘリにエルベリーデは迫っていた。ジェットの轟音が近付くのが、ユアンにもはっきりと感じられる。
だが、現世への別れをもたらす鉛の礫は飛んでこなかった。
そして、ヘリは港の上空へと到達する。
既に臨戦態勢のヴァルハラは、停泊したまま対空火器で空を照らし始めていた。濃密な弾幕の中で、舌打ちを零してエルベリーデが去る。
実質的に、ラーズグリーズ小隊の惨敗だった。
「俺は……なんてものを育ててしまったんだ。クッ……もう、俺でしか奴は止められない。俺があの女を殺すしかない」
ドン! とヘリの内壁を拳で叩く。握り締めた内側へと、己の激昂が圧縮されてゆく。手の平へと食い込む爪の痛みさえも、今日の悔しさを忘れさせてはくれない。迂闊にもエルベリーデを街で見かけて追い、囚われた。そのせいでムツミに単独での危険な救出ミッションを選ばせた。その上、危うく新しい仲間を失うところだったのだ。
ヘリはヴァルハラの飛行甲板へと降り始めた。
自分の引き起こした惨事の結果に、ユアンの忸怩たる想いだけが胸の奥に広がっていくのだった。
はじめまして!東北でラノベ作家やってるおっさんです。ロボットアニメ等を中心に、ゆるーく楽しくヲタ活してます。よろしくお願いしますね~