ブラック騎士団へようこそ!(22/26)
第22話「朝露へ溶け消える勝利」
激闘終わって、朝。
眩しい朝日の中の凱旋は、ラルスに心地よい高揚感を与えてくれた。
口に出さずとも、テンションはアゲアゲで上昇しっぱなしだった。
帰路を歩く五人の雰囲気は和やかで、自然と誰もが多弁になる。
その中でも、喋り続けているのはバルクだった。
「いやあ、今回もやってのけちまいましたな、隊長ぉ! いやはや、参った参った……エーリルも大概だったんですがね? 母子二代でハラハラさせてくれます、まったく」
そうは言っても、バルクは笑顔だった。その横では、満面の笑みでカルカが頷いている。ヨアンはお腹が減っているのか、しきりへその上を撫でながら静かになっていた。
先頭を歩くリンナも、心なしか歩調が軽い。
「私は皆さんの力を信じ、理解していたつもりです。それでも、よかった……あとは残った砦ですが、増援の騎士達が早ければもう到着している筈です。彼らと合流して、可及的速やかに撤去しましょう」
ゴブリンたちは一掃された。
だが、血の海になった砦自体は、まだ健在である。
そして、放置すればまた他の群れが棲み着く可能性はあった。オークやトロルといった、もっと危険性の高いモンスターが居座る可能性だってあるのだ。
それでも、村を見下ろす丘まで来て、リンナは立ち止まる。
吹き渡る朝の風が、常闇の騎士を象徴する黒マントに真紅の日輪を踊らせていた。リンナは白い髪を軽く手で抑えて、春風の中で振り返る。
「少年、それにヨアンさん。バルクさんも、カルカさんも。見てください……これが私達の守ったもの、騎士が守るべきものです」
朝餉の用意で、村の家々は煙突から白い煙を燻らしている。鳥がさえずり飛び交う中で、モルタナ村の平和な一日が始まろうとしていた。もうすぐ春の祝祭があるからか、挨拶を交わす村人たちは笑顔だ。
平和そのものな村を見下ろす道を、一人の少女が駆け上がってくる。
すぐにラルスには、転がるように走る矮躯がヌイだと気付いた。
「おーい、ヌイさーん! ゴブリン、やっつけましたよ! 安心してくださーい!」
「……待ってください、少年。なにか様子が変です」
リンナが、いつもの怜悧な無表情をことさらに緊張させる。
ヌイは五人の目の前まで駆けてくると、膝に手を当て倒れそうな自分を支えた。そうして肩を上下させながら、呼吸を整え深呼吸……そして、あげた顔は動揺と驚きに固まっていた。
彼女は開口一番、叫んだ。
「ラルス! 騎士様も、みんなも! てえへんだ、えらいことになっちまっただよ!」
全く要領を得ない説明が、緊急事態を告げてくる。
今しがた来たばかりなのに、ヌイは「とにかく、来てけろ!」と来た道を戻ってゆく。詳しい話もないままに、慌ててラルスたちもあとを追った。
モルタナ村の宿屋では、多くの笑顔がラルスと仲間たちを迎えてくれた。
勝利を実感させる雰囲気の中に、危機感は感じられない。
誰もが賞賛で祝ってくれる。
確かに、この村の危機は去った……そう思われた。
だが、その雰囲気が逆に、ラルスには心なしか不安だった。
任務完了の報告をするリンナを、じっと見詰めるラルス。彼女は握手を求めてくる村長に、静かに事実だけを告げた。
「おはようございます、村長。ゴブリンの砦を陥落させ、ほぼ全てのゴブリンを掃討しました。春の祭事は大丈夫でしょうし、これから増援を待って確実に砦を破壊します」
村長は握るリンナの手に手を重ねて、何度も満足げに頷いた。
周囲からも「おお!」と歓声があがる。
村長の言葉は、喜びに満ちて弾んでいた。
「いやあ、ありがとうございます! 流石は噂に名高いゾディアック黒騎士団ですな! これで我々も春を祝うことができます。本当にありがたい! 期日通り、完璧な仕事でしたな!」
周囲で大勢の村人たちが、頷き声を上げる。
既に朝から、祝宴の準備が始まっていた。
だが、村長の次の一言が事態を豹変させる。
「さあ、乾杯しましょう! 先遣隊だけでゴブリンを倒してしまった、タウラス支隊の栄誉に!」
流石にリンナも、ぴくりと片眉を震わせた。
そして、次の一言で小さく息を飲む。
「本隊は今朝方到着しましてな……なんでも、ドラゴンを退治するのだとか。最近、森の奥へと営巣してるらしいのですが、そいつも片付けてくれるそうで」
「あの、少し話が見えないのですが。……タウラス支隊の本隊は、今はどこへ?」
「さては、擦れ違いになりましたな! 朝早く、ドラゴン討伐に出てゆかれました。ゾディアック黒騎士団の手で、この村にもドラゴン退治の伝説が生まれますなあ。噂が人を運んで、ますます栄えてゆきますぞ、モルタナ村は!」
ラルスは戦慄した。
自分たちオフューカス分遣隊の手柄が、あとから来たタウラス支隊にかっさらわれていたこと。自分たちがタウラス支隊だと思われたこと。それは、いい。恐るべき事態の前では瑣末なことだった。
無謀にも増援のタウラス支隊は、村に到着するなり出撃したのだ。
この世界で最も強く気高い、神にも等しい存在……ドラゴンを退治するべく。
咄嗟に踏み出し声をあげようとしたラルスは、リンナに手で制される。
瞬時に落ち着きを取り戻していたリンナは、静かに言葉の意味を確認した。
「タウラス支隊は……本隊は、ドラゴン退治に出たのですね?」
「確かに言うとりましたわ。なんでも、竜殺しの名声は騎士の最高の栄誉だとか。いやはや、御伽噺や伝承の世界ですなあ」
「無謀な……戦力はどれほどの規模だったでしょうか。人数や装備は……あ、いえ、すみません。そこまで詳しくはわからないのが道理ですね」
「大勢の騎士たちでしたぞ? 威風堂々、まさに大騎士団の陣容でしてな。あれならもしや――」
「なんて愚かなことを」
「は? いやしかし、支隊長が直々に指揮をとる最精鋭だと」
リンナの表情が、逼迫に凍りついてゆく。
それを隣から見て、ラルスも事態を察した。
ドラゴンに人が挑むなど、狂気の沙汰としか思えない。神話の世界は、あくまで昔の崇拝を語っているに過ぎないのだ。
だが、現実にタウラス支隊の主力はドラゴン討伐に行ってしまった。
リンナは小さく溜息をつくと、毅然と前を向く。
「村長、せっかくの祝宴ですが申し訳ありません。私達は取り急ぎ、タウラス支隊の主力を援護せねばなりません。私達でなにができるか……しかし、なにもしない訳には」
「お、おお、そうですな……では、それが済みましたら改めて」
「ありがとうございます。できれば仲間たちに休息と食事を……部屋に運んでもらえると助かります」
それだけ言って、恭しくリンナは一礼した。
相変わらず、流麗なる所作に一分の隙もない。礼を尽くして辞退を告げると、リンナはラルスたちを振り返る。
「各自、部屋に戻って少し休憩しましょう。昼食時にまた、この酒場へ集合してください。今後の行動についても、その時にお伝えします。では、解散」
珍しくリンナが、即断即決を避けた。
常に冷静沈着、類まれなる判断力を発揮してきたリンナが、である。
思わずラルスは、一歩踏み出し声をあげてしまった。
「リンナ隊長っ! 事は一刻を争う緊急事態です! すぐに追うべきですよ!」
だが、振り返るリンナは短く言葉を切ってくる。
「いけません。判断を誤れば、私たちも共倒れになります」
「しかし! 仲間がが危機にさらされているのです。駆け付けずになにが騎士道でしょうか! 今すぐ追いかけて、止めましょう!」
ドラゴンと戦う、その選択肢は最初からラルスの頭にはない。
自分たち五人が加わって、それで倒せるほどドラゴンは甘くはないのだ。それでも、同じ騎士団の仲間を見捨てるわけにはいかない。
しかし、そんなラルスとは別の意見が突然持ち上がる。
その声は、嫌に冷静で、ともすれば冷酷に思えるほど澄んでいた。
「隊長、よろしいでしょうか。意見具申を」
振り向くと、そこにはいつもの微笑みを浮かべたカルカが立っていた。彼女の笑みは、目元だけが眼鏡のレンズに覆われ見えない。光を反射する硝子の底から、カルカはリンナを射抜くように見詰めていた。
リンナが発言を促すと、カルカは静かに喋り出す。
「タウラス支隊の暴走は明らかに独断、そして騎士団の利益にそぐわぬものですわ。本来、彼らはわたくしたちと合流し、砦の完全な破壊が任務の筈ですし」
リンナはカルカを真っ直ぐ見据えて、静かに言葉を選んだ。
「カルカさんの言う通りです。しかし、現実には竜殺しの栄誉に目が眩んだ騎士達が、死へと向かって行軍している現実があります。それを見て見ぬふりは――」
「それです、隊長。見て見ぬふりができずとも……今のわたくし達で何ができるでしょう? わたくし達五人で、用意する棺を五つ増やしてどうするのか、と」
カルカは周囲の村人たちを見渡し、リンナの前に歩み出た。
彼女は、オフューカス分遣隊の一員、仲間だ。
だが、不思議と彼女の背後には、以前から別の大きな力を感じることが多い。それをラルスにはまだ、はっきりとわからないが。
「隊長、わたくし達は任務を完璧にこなしましたわ。そして、タウラス支隊の暴走に関して、責任を負う必要はありませんの。……わたくしの主も、そう考えておいでの筈です」
「……カルカさん、貴女の主というのは」
「それは勿論、ゾディアック黒騎士団そのものですわ。わたくしの全ては、騎士団のために……故に、わたくしは騎士団の意思と使命の代弁者として、この場所におりますの」
「それは以前から知っています。しかし」
「こうは考えていただけませんか? タウラス支隊、恐らく多くは生きて戻らないでしょう。無謀な独断専行で騎士団の利益を損ね、大切な団員を多く失った……そうなれば、タウラス支隊長の失脚は不可避ですわ。隊長なら、これをチャンスに変えることができますの」
ラルスには少し、難しい話になってきた。
そして、リンナに話を難しくするつもりはないらしい。
リンナは静かに結論を下した。
「私は組織の中での地位や利権、名誉や名声に興味はありません。ただ、限られた戦力でどうタウラス支隊をフォローし、最小限の被害で食い止めるかを考えています」
「……そう、ですわね。隊長はそういうお人でした。今の話は忘れてくださいな」
「とりあえず、全員に正午までの休息を命じます。その後、昼食時に今後の方針を伝えますので……ゆっくり休んでください。今日は朝からお疲れ様でした」
それだけ言うと、リンナは宿屋の二階へ引き上げてしまった。
ラルスには心なしか、その足取りが重く鈍いように感じる。いつでも凛として気高く、美しい所作で振る舞うリンナとは別人に見えた。