朱き空のORDINARY WAR(27/32)
第27話「赤い悪魔の羽撃き」
パイロットスーツに着替えたユアンを、再び激震が襲う。
再度エンジンを全開にして、特務艦ヴァルハラは不規則な回避運動で海面を泡立て始めた。格納庫でその振動を感じつつも、至近弾の爆風にビリビリと艦体が震える。
完全に先手を取られ、ユアンたちは空への道を閉ざされてしまった。
近接防御戦闘の最中では、艦載機は発艦できない。
秘密結社フェンリルの部隊は、潜水母艦からの魚雷と艦載機の空襲による波状攻撃を仕掛けてきた。最新鋭のイージス艦を凌駕する対空能力があっても、巨大な双胴戦艦であるヴァルハラは不利な中で逃げ惑うしかない。
仲間たちの苛立ちに、黙ってユアンも天井を見上げるしかできなかった。
「クソッ! 監視の連中はなにやってたんだ! あとでシメてやるっ」
「ラステル、そんなこと言わないで下さい。自分たちだって、ユアンと遊んでたじゃないですか」
「まあ、ユアンさんのお風呂掃除は遊びじゃないんですけどね。ふふ……さて、どういたしましょうか」
この場では唯一、隊長のナリアだけが落ち着いている。いつもの微笑を絶やさず、胸元を大きくはだけたままのパイロットスーツ姿で毅然としている。
二度三度と襲い来る振動の中で、誰もが重苦しい空気に忍耐を強いられていた。
今、エレベーターで機体を飛行甲板に出せば……真っ先に蜂の巣にされるだろう。
30機以上の編隊が交互に、爆弾と対艦ミサイルでヴァルハラを襲っているのだ。
こうして焦れている間も、艦の速度は徐々に落ちている。
落ち着かぬラステルは、自分の掌を拳で叩いていきり立っていた。
「あのクソ速ぇ船足で逃げれねえのかよ! 100ノット以上出るんだろうが」
「無理ですわ、ラステルさん。グレイプニールに接続して得たエネルギーを、ほぼ全て対空レーザーに回してますもの。それに、いくら快速を誇るこの艦でも、戦闘機からは逃げられませんの。……なら、決まりですわ」
「姐御? なんか手があんのか!? ……まさか!」
ナリアは小さく笑って、周囲を見渡しニックを見つけ出す。整備班を取り仕切る少年は、美貌の小隊長を見て表情を凍らせた。
ユアンもすぐに察した。
この場にいる全員が、恐らくそうだろう。
あの長い長い五十年戦争を、生き抜いた者たちが集っているのだ。今のナリアがことさら美しく、そして切なく哀しい笑顔に見えるのは当然である。
彼女は決意を決めた瞳で、顔だけは優雅ないつもの微笑みを湛えていた。
ユアンも今まで何度も見てきた、死を覚悟した戦士の顔だ。
「ニックさん、わたくしの"シャドウシャーク"にロケットブースターを。短距離離陸で制空権を奪回しますわ。その間に各員は、順次上がってきてくださいな」
「ナリア、そりゃまずいよ! オイラだってわかる、こんな鉄火場ん中で離陸なんて」
「リニアカタパルトの電圧をあげて、最大加速で打ち出してくださいな。大丈夫、上がってみせますわ……さ、皆さんも出撃準備を。ランドグリーズ小隊の方もよくて?」
騒然とする中で、格納庫の空気が緊張感に満ちてゆく。
そんな中で、誰もが押し黙る中……ユアンは一歩前へと歩み出た。
正直、もう沢山だと思った。
死にたがりを見るのは辛いし、仲間のためというのがやるせない。そしてそれは、この艦の艦長をやってる少女が、誰よりも強い気持ちで持っている献身の心だ。だが、その高潔な意思も、全員で生き残るために使わねば悲しみを呼ぶ。
ユアンは周囲を見渡し、ナリアを真っ直ぐ見据えた。
「無理だな、ナリア隊長。貴女の腕では無理だ」
半分は、嘘だった。
だが、周囲がユアンの冷たい一言でざわめきたつ。
ナリアは泰然と揺るがぬ笑みで、ユアンの視線を受け止め続けた。
「貴女も協商軍で戦技教導団、ないしはそれに準ずる部隊を率いていた。違うか?」
「あら、どうしてそんなことがわかるのかしら」
「パイロットの勘と、あとは見たままの全てでだ。飛んでる背中を見ればわかる。貴女の飛び方には、人を導き守ろうとする人間特有のクセがある」
「そう……お見通しって訳ね」
そうして初めて、ナリアの過去が自身の口から語られた。
彼女は戦時中、軍の航空学校で教官をしていたのだ。教え子が上手く飛べるよう、決して死なぬように厳しく、そして優しさを込めて鍛えた。
彼女の育てたパイロットは皆、莫大な時間を費やし羽撃いて……一瞬で奪われた。
激化する戦争の中で、使い捨てられるように死んでいった。
ナリアが実戦に出ることなく、戦争が終わるまで、ずっと。
「わたくしはこの艦で……エインヘリアル旅団で初めて、実戦を経験しましたわ。あの子たちが散っていった、戦いの空。わたくしの教え子たちを飲み込んだ戦争は、まだ終わっていませんの。まだ、続いてますのよ」
誰もが唖然とした。
ユアンも驚いた。
間違いなく、この艦ではナリアはトップエースだ。ユアンでさえ、空戦なら互角だろうが、彼女ほど上手く小隊を指揮する自信はない。抜群の安心で小隊を包む存在感……それは、多くの若者を死地へと追いやった慙愧の念がなせる技だったのだ。
「わたくしはラーズグリーズ隊の小隊長ですわ。上に立つ人間ならば、なによりも行動で示さねばなりませんの。この窮地……わたくしが打開してみせますわ」
「確かに貴女は隊長だ……今、俺は貴女が隊長でよかったと思っている。なら!」
ユアンは引き下がらずにナリアへと詰め寄る。
この人を失ってはいけないと思った。
嘗て、恐るべき吸血部隊の隊長として、一人の少女を歪ませてしまった。殺しを教え、殺意を統率する術しか教えられなかった。軍の英雄として祭り上げられる偶像に、それしかしてやれなかったのだ。
ユアンはナリアのなだらかな両肩を掴むと、噛み付くように言い放つ。
「俺に! 命令してくれ! 隊長! 俺なら、できる……地獄を飛ぶため悪魔の技を身に着けた、この俺なら!」
「ユアンさん……」
「まともな戦技では、絶対に空への道は開かない。この艦は今、地獄にも等しい海でのたうち回っている。それでも、ムツミ艦長を始め皆が足掻いて、藻掻いて、戦っている。なら……少しでも成功率の高い俺に賭けるべきだ」
「……勝算は?」
「貴女よりは高い。貴女は優れたパイロットで、俺たちエース集団にふさわしい隊長だ。だが、人に生きる術を教えてきた貴女と、俺は違う……俺は、戦いの空を血に染めるために、己を……己より大事な者さえ悪魔にしてしまった男だから」
ユアンの気迫に、ナリアは困ったような顔をして、そして小さく溜息を零した。
「死んだら……いけませんわ。死んだら、殺しますわよ?」
「もとよりその気はない」
「結構ですわ、ユアンさん……先行して制空権を奪回して下さいな。貴方の隊長として命じますわ。貴方の全てを、わたくしたちが生き残るために」
「了解だ、ナリア隊長」
すぐに話はまとまった。
ユアンの赤い"レプンカムイ"にロケットブースターが取り付けられる。短距離離陸用のオプションだが、元から高い推力を誇る"レプンカムイ"の性能なら、離陸距離は格段に短くなるだろう。
ロケットブースターを装備して、リニアカタパルトのフルパワーでの離陸。
それは、鍛えられたパイロットでも危険を伴う。
その上に今、飛行甲板は遮蔽物がない状態で爆撃にさらされているのだ。
それでも、ユアンは決死の想いで飛ぶ。
そして、決して死なないと己に言い聞かせる。
彼が思い出す過去は、安全な離陸の方が少なく珍しい。燃え盛る基地から、轟沈する傾いた空母から、鉄板を敷き詰めただけの仮設滑走路から……常に悪魔が飛び立つ場所は、戦火で燃え盛る煉獄だった。
ユアンは愛機に飛び乗り、艦のブリッジを呼び出す。
「こちら格納庫、ユアンだ」
『なにか? ユアン中尉。今、少し立て込んでます』
「艦長に伝えてくれ、ほんの少しの時間でいい……艦を直進させて欲しい。そして……進路上にミサイルをばらまいてくれ。爆破高度はランダム、高度100mを最低ラインにして全弾発射だ」
『……言っている意味がよくわかりません。死ぬ気ですか!?』
「君でも声を荒げることがあるんだな、リンル軍曹。頼む、ムツミ艦長に言えば伝わる筈だ……俺がなにをやるのか、すぐにな」
それだけ言って通話を終えると、エレベーターへと誘導されるままに愛機をゆっくり走らせる。
艦の弱点である左舷側、飛行甲板を狙わないのは敵の狡猾な作戦だ。
こうしてのこのことエレベーターで上がってきた艦載機を、甲板上で撃つのである。その機体の救助に出た人員や機材も撃つ。だが、エレベーターと飛行甲板は残す。空への道が残されてる限り、飛ぼうとするのがパイロットだからだ。
いたぶり嬲るような攻撃が続く中……ユアンの機体が飛行甲板へと躍り出る。
誘導もなく、全てのチェック手順を省略しての緊急発進。
あっという間に上空へ、ユアンを狙う敵意が殺到した。
その頃にはもう、リニアカタパルトと同期した機体が飛び出そうとしていた。
『ユアン中尉、艦長に伝えておきました。ミサイル全弾発射、進路上にばらまきます』
「助かる! ん、これは……」
『スモークディスチャージャーを作動させました。艦長が、気休めだけど、と』
「ありがたい!」
艦の傾きが水平に戻って、直進で加速を始める。
向かい風に舳先を立てたヴァルハラを、白い煙が包み始めた。全てが濃霧のような煙幕に沈んでいく中で、視界が急激に失われてゆく。
「進路クリアとする、離陸。……先の見えない離陸というのは、俺でも初めてだな」
『人間なら不可能でしょうね。でも……中尉、悪魔なんですよね?』
「自称な」
『この旅団に招かれた勇者なら、神でも悪魔でも構いません。グッドラック!』
リニアカタパルトが暴力的な力を解放した。
白い闇の中を走る赤い閃光は、フルパワーで飛行甲板を走り出す。急激なGに押し潰されそうになりながらも、ユアンは操縦桿を維持して目を見開いた。
先に打ち上げられていたミサイルが、天空から逆さに落ちて爆発する。
敵を欺く業火の中へと飛び込み、足元の感覚が消えると同時にフル加速。
ユアンは危険な大道芸での離陸と同時に、使い切ったロケットブースターをパージした。
交錯する通信が無数の感嘆符を叫ぶ。
『なっ、なんだ今のは! ……一機、出てきたぞっ!』
『赤い……ま、まさかあれは!』
『落ち着け! 第三小隊、処理しておけ。数で封殺、押さえ込めば倒せる!』
『いやでも、あれは……噂は本当だったんだ。伝説の"白亜の復讐姫"を守護するエース、返り血に塗られた真紅の……"吸血騎士"ッ!』
返答の代わりに、ユアンは急上昇して日の光で身を包む。見上げる誰もが太陽の眩しさで、恐るべき敵の姿を見失った。
ユアンは逆に、はっきりとその眼で視認した。
傷付き煙をあげながらも、まだヴァルハラは浮いている。
果敢に抵抗して、群がる敵機と戦っている。
瞬間、喉の奥から言葉にならない声が迸った。
復讐を超え、"吸血騎士"の名を捨てた男は……赤い翼を瞬時に急降下で血に染めた。
爆発の花が咲いて消える、その僅かな時間が次の血を呼ぶ。
混乱する敵のド真ん中で、ユアンの雄叫びが瞬時に3機の敵を叩き落とした。