朱き空のORDINARY WAR(26/32)

第26話「痛みを止めて」

 耳に突き刺さる警報に、艦内の空気が張り詰めてゆく。
 ずぶ濡れのままでユアンは、仲間たちと上層の飛行甲板を目指した。こういう時はエレベーターを待つより、自分で走った方が早い。重々しい扉を蹴破るように押して、そとの非常階段へと躍り出る。
 そこにはすでに、手すりから身を乗り出す少女の姿があった。
 パジャマ姿でぬいぐるみを抱えているのは、ムツミだ。
 恐らく彼女も、突然のアラートで自室を飛び出てきたのだろう。

「かっ、艦長!? 危ない、落ちるっ!」

 あわててユアンは、ムツミへ駆け寄りその身を支えた。
 折れそうな程に細い腰へ腕を回しても、ムツミは海面を睨んで携帯端末へと叫び続ける。
 背後では「クソッ!」「お先に!」「艦長をお願いしますわ」と、ラーズグリーズ小隊の仲間たちが通り過ぎていった。ユアンだって早く格納庫ハンガーへと行きたいが、ムツミがどうにも危なっかしい。
 計画種プランシーダーと呼ばれる強化兵士の少女は、常に自分をかえりみず戦う。
 それは、見ているユアンの心をいつもえぐってくるのだ。

「ムツミ艦長、ブリッジに上がらなくていいのか! ここも危ない――」
「……来ましたっ!」

 ムツミがにらむ海の彼方から、敵意がやってくる。
 それは、白い泡を引き連れた魚雷ぎょらいだ。
 鍛え抜かれたパイロットの視力でユアンはそれを見つけたが、それより早くムツミの眼は察知していた。やはり、恐るべき身体能力を持っている。
 彼女は携帯端末に叫びつつ、目を逸らさない。
 抱き寄せる格好になって、自然とブリッジとのやり取りがユアンにも聴こえた。

「ブリッジへ、エンジン停止ですっ! 各員、静音! 静かにしてくださいっ!」
『了解。副長、エンジン停止です。お静かに』
「初撃はスクリューを狙って音波探知攻撃の可能性が高いです! やり過ごしてください」

 もう、すぐそこに魚雷の航跡は迫っていた。
 だが、特務艦とくむかんヴァルハラはエンジンを停止すると同時に静かになる。この瞬間、艦内の誰もが息を殺して時間が過ぎるのを待った。
 どんどん近付く魚雷が、肉眼でもはっきりと見える。
 永遠にも思える数秒が、ゆっくりと引き伸ばされてユアンをらした。

「直撃するぞ、艦長、ングッ!?」
「静かにしてください、ユアンさん。しーっ!」

 すぐ間近の横顔は、敵意を見詰めたままユアンの口を手で封じてくる。
 蒼い髪から果実のように甘やかな香りがして、海風が毛先でユアンをくすぐってくる。だが、ムツミは動じず身を乗り出したままユアンの腕の中で目を凝らしていた。
 そして、艦尾すれすれを魚雷が通過してゆく。
 不気味なスクリュー音が間近を抜ける瞬間、ユアンの背筋を冷たい汗が伝った。
 だが、次の瞬間にはムツミは声を限りに叫ぶ。

「エンジン始動っ! 最大戦速ですっ! 次は近接信管の魚雷を混ぜてきます……リッキーさんはもう上がってますか?」
『アイ・マム。リッキーがかじを取ってます。エンジン始動、最大戦速』

 こんな時でも、リンルの声は落ち着いている。普段と全く変わらぬ怜悧れいりな声が、不思議とユアンを落ち着かせた。だが、この鼓動の乱れは危機的な状況がもたらす綱渡り効果だけではない。
 先程からムツミは、ユアンのことなどお構いなしに……むしろ、ユアンが支えているのをいいことに、身を投げ出さん勢いで海を見渡している。その柔らかさを抱き寄せているだけで、伝わる体温にユアンは正直困惑した。人のぬくもりを忘れて久しい中での戦いが、生死の間際でムツミの息遣いを密着させてくるのだ。

「魚雷攻撃……潜水艦か? 例の潜水空母」
「だと思います。先手を取られましたね……艦のソナーは機材も人員も一流ですが、フェンリルもそれは同じです。数年前、新開発された音波吸収材を使った巨大潜水艦を売りつけようとしていたはず……ッ! 次が来ます!」

 先程の数倍の数の魚雷が、群れなすおおかみのように迫ってきた。
 その数、8本。
 これが本命、初撃で航行不能になったヴァルハラにトドメを刺すための魚雷だ。ムツミがエンジンを止めてやり過ごしたことも織り込み済みで、恐らく半数は近接信管……接近しただけで艦の磁気を探知して爆発するタイプだろう。
 だが、ムツミは大胆な指揮で艦を守る。
 ユアンもまた、自分を忘れて没頭するムツミの肉体を守った。

「リッキーさん、お任せします! センスで避けてください! 総員、耐ショック防御!」
「か、艦長!? リッキーに丸投げって」
「大丈夫です、ユアンさん! リッキーさんの操舵そうだは天才的ですから。……今回は完全に、このヴァルハラの弱点をかれました」

 ムツミのつぶやきを飲み込むように、艦が微動に震えながらエンジン全開で走り出す。大きく傾き、面舵いっぱいで回避運動を取り始めた。しかも、その動きは鈍重な外観の双胴戦艦とは思えぬ程に鋭い。
 その場でターンするような形で、ヴァルハラは左舷からの攻撃に対して水平に、そして右舷を盾にするように向き直る。回れ右をした形だが、こんなことは通常の艦では不可能な操艦そうかんだ。操舵手の美丈夫びじょうぶ、リッキーの腕に寄せるムツミの信頼を、ユアンはその肌で感じ取る。

双胴戦艦そうどうせんかんというレイアウトにも利点はあります。ブリッジ、そのまま超信地旋回ちょうしんちせんかいです! 右舷、垂直発射セルから短魚雷を打ち上げてください。デコイを4発、発射と同時に全速前進っ!」

 まるでコンパスで描く円のように、ヴァルハラは魚雷に対して右舷を見せながら加速を始めた。そして、パノラマのような視界が大きく転換する中で、激震。爆発の水柱がすぐ近くであがって、激しい衝撃からユアンはムツミを守った。
 恐らく、近接信管の魚雷が至近距離で爆発したのだ。
 だが、ムツミはユアンの腕の中でテキパキとブリッジに指示を出す。
 呆気あっけにとられるユアンの視線に気付くと、彼女はようやく勝気な笑みを見せてくれた。

「ヴァルハラは双胴艦、通常航行時は左右にエンジンとスクリューがあります。左舷側を前進、右舷側を後進させれば」
「なるほど、戦車のキャタピラみたいにその場で超信地旋回できる訳か。だが」
「はいっ! この艦にも弱点が……構造上の欠点があります。敵は今、その死角を狙ってきました」

 ユアンもすぐに察した。
 雷撃は左舷側、空母となっている元客船側から行われたのだ。
 ヴァルハラは右側が砲艦になっており、火器は右舷に集中している。しかし、飛行甲板と格納庫を持つ左側、左舷の防御は手薄だ。正規空母でさえ必要最低限しか搭載されていない火器が、左舷側には全くないのだ。
 そのことを双方が把握しているということ。
 それは、ユアンがまだ知らなかった頃から、この間が秘密結社フェンリルと戦い続けてきたことを意味していた。

「対艦ミサイルなら対空レーザーで落とすことも……でも、海中の魚雷に対しては通常の洋上艦と同じ戦術オプションしか存在しません。海面でレーザーは撹拌してしまいますから」
「なるほど……だが、これで終わりじゃないんだろ?」
「勿論ですっ! ブリッジ、右舷側の銃座に通達してください。目視で魚雷を迎撃! 先程のデコイが着水と同時に、再びエンジン停止です!」

 空にはパラシュートが開いて、先程垂直発射セルから打ち上がった短魚雷が落ちてくる。艦体を傾斜させて右舷側に魚雷を集めつつ、原始的な有視界での近接防御戦闘が始まった。
 ハイテクとオーバーテクノロジーのかたまりに見える艦にも、弱点がある。
 だが、ムツミの指揮はそれを補って余りある程に冴え渡った。
 ならば、ユアンのやるべきことも一つだ。
 そう思って口を開こうとした瞬間、肩越しに振り返るムツミが顔を近付けてきた。

「ユアンさん! ここはもう大丈夫です。格納庫の方へ!」
「あ、ああ……でもな、ムツミ艦長。大丈夫と言われても、その……危なっかしい。君はいつも、仲間のために、艦のために……自分を投げ出して戦う。あの時は、俺のために」
「はいっ! それがわたしの使命ですから」
「なら、約束してくれ。使命も義務も君のもので、俺はクルーたちと一緒にそれを支える。こうして今も支えている。それでも――」

 きょとんとまばたきするムツミに、ユアンはなんとか言葉を絞り出す。すぐ間近に迫る可憐かれん美貌びぼうが、青臭い自分の気恥ずかしさを倍増させていた。

「それでも、もっと自分を大事にしてくれ! みんなにはムツミ艦長、これからも貴女あなたが必要だ! ……お、俺にも、きっと、そうだ」
「ユアンさん……あ、あのっ!」
「わかってる、君が普通の人間じゃないことを知ってしまった。でも、それでも!」
「ユアンさんっ、ちょっと痛いです!」
「……へ?」

 同時に、衝撃。
 ムツミの携帯端末から、リンルの声が被弾を告げてくる。右舷側に魚雷が一発、弾幕をすり抜けて直撃したのだ。今頃はダメジーコントロールのために、クルーが必死の応急処置に走っているだろう。
 そして、こちら側が放ったデコイの魚雷が着水すると同時に、再びヴァルハラはエンジンを停止した。
 ムツミはじっとユアンを見詰めつつ、目を逸らさず携帯端末を手で抑える。
 ブリッジに聴こえぬように彼女がささやいて、初めてユアンは手の中の弾力に気がついた。

「胸、痛いです。もう少し優しくお願いします、ユアンさんっ!」
「あ、いやっ! 待ってくれ、これは、違うんだ! 艦長が落ちそうになるから、こっちも必死に!」
「……胸が、痛かったです。さっきの言葉。でもっ! 大丈夫です! わたし、平気なんです。兵器なんです……だから、頑張れちゃいますっ!」

 ムツミを支えるユアンの手は、彼女の豊かな胸の膨らみを鷲掴わしづかみにしていた。慌てて離した時にはもう、ヴァルハラは完全に停止した状態で臨戦態勢を維持している。
 ようやく手すりから降りたムツミは、いつもの笑顔でブリッジに通達する。

「被害状況を知らせて下さい」
『アイ・マム。右舷に被弾、浸水してます。ダメージ軽微、あと……レーダーに感アリ、魚雷の次は大編隊ですね。機影は30、対艦装備の攻撃機です』
「わかりました、復旧作業を急いで下さい! 対空戦闘用意、全動力をカットしグレイプニールを起動、接続! 合わせて次の魚雷に警戒して下さい。止まってるので、直撃弾が来ますっ!」
『アイ・アイ・マム』

 そして、小脇にぬいぐるみを抱えたまま、ムツミはユアンを真っ直ぐ見詰めてきた。
 ユアンもまた、自分の仕事を思い出す。
 空には既に、無数に連なるジェットの轟音が近付いていた。

「ユアンさん、ラーズグリーズ小隊出撃ですっ!」
「了解だ、艦長。艦の方は任せた……ま、連中に思い知らせてやるさ。かつて"吸血騎士ドラクル"と呼ばれた男の腕をな」
「嘗て? ……今は違うんですか?」
「ああ。そのつもりだ」
「わかりました、空をお任せします! ちゃんと帰ってきてくださいね。胸の痛み、こんなの初めてです……この痛み、止めに戻ってくること! それでお願いしますっ!」

 大きく頷き、ユアンは走り出す。
 背後でムツミも、ブリッジに向かって駆け出した。
 背と背で交わした約束の相手が、真逆の方向へと去ってゆく。
 ユアンは格納庫への通路を走る中で、再び衝撃に襲われる。恐らく、第三波の魚雷がデコイに喰らい付いて爆発したのだろう。そして……頭上には天井の遥か先に、無数の殺意が飛んで来るのが察知できた。
 その瞬間にはもう、ユアンは復讐を忘れた紅き翼を求めて走る。
 飛び込んだ格納庫では既に、あわただしい緊迫感があちこちで叫ばれていた。

NEXT……第27話「赤い悪魔の羽撃き」

はじめまして!東北でラノベ作家やってるおっさんです。ロボットアニメ等を中心に、ゆるーく楽しくヲタ活してます。よろしくお願いしますね~