ブラック騎士団へようこそ!(17/26)
第17話「姉と弟と、そうでない時と」
階下ではまだ、宴が続いている。
陽気な笑い声も、村娘たちの踊りと歌も、どこか遠くに聴こえた。
ラルスは今、千鳥足のリンナに肩を貸して階段を昇る。簡素な村の宿屋は、一階が酒場になっていて、客室は全て二階だ。さほど規模は大きくなく、随分と古い建物らしい。
「大丈夫ですか? リンナ隊長。お酒は強くないんですよね、多分。無理して飲まなくてもいいのでは」
「少年……これも、仕事の一つ、ですから。勿論……私も少年と、同意見、です。しかし」
「しかし?」
「大人の社会では、相応にして……酒の席で互いに飲めば、相互理解が進むという、悪しき慣習があります。それが……ちょっと、私には……」
リンナはラルスより二つ上だから、18歳だ。
18歳はこの時代は立派な成人、大人だ。どこに行っても発言権があるし、一人前として扱われ労働力を期待される。
ただ、密着して支えるラルスにとっては、リンナはどこにでもいる普通の女の子だった。
そして多分、姉だ。
ゾディアック黒騎士団の象徴たる、常闇の騎士の一人。そして、遊撃戦力として集められたオフューカス分遣隊の隊長。ラルスが尊敬する父の子、かもしれない人でもある。その実、完璧な美少女騎士である表の顔は、裏に生活力のない母親譲りのだらしなさを秘めている。
そんなとこも含めて、ラルスはリンナを守りたいと感じるようになっていた。
「隊長、お部屋です。えっと、鍵は」
「これを……すみません、少年。中まで」
「は、はい。荷物は宿の人が運び込んでくれてますね」
「なんだか……手間を取らせてしまってますね。常闇の騎士たる者が、だらしないです」
リンナから鍵を受け取り、ドアを開ける。
簡素なベッドが一つだけの、シンプルな部屋だ。
リンナが持ってきた二つの大きなトランクは、そろって脇に置かれている。
ラルスがベッドへ座らせると、リンナはトランクを指差した。
「そっちのトランクを開けてください」
言われるままに、部屋の隅に置かれたトランクの片方を開く。
ラルスの視界に、摩訶不思議なイキモノのぬいぐるみが飛び込んできた。トランクの中身は、自分と同じ名を持つリンナの親友、大きなぬいぐるみだった。
それを両手で持ち上げ、しばし見詰める。
やはり、よくわからない。
あらゆる動物の特徴を持っているような、そうでもないような。
とりあえず、それを手にラルスは振り返った。
そして、絶叫。
「リンナ隊長、やっぱりこれを連れてきたん、です、ああああっ!?」
リンナは脱いでいた。
そこらじゅうに騎士団の制服を抜いでは投げ、下着姿になっている。
据わった目はぼんやりと潤んで、火照った頬が上気していた。
白い肌と髪とが、真っ白なシーツに横たわる。
「ラルス……こっちに」
「あわわ……リンナ隊長! まずいです、凄くまずいですよ!」
「少年、早くラルスを……その子がいないと、私……眠れないんです」
「あ、ああ、はい……えっと」
彼女が呼ぶラルスとは、大きなぬいぐるみのことだ。
それを渡してやると、リンナはぎゅっと胸に抱き締めて丸くなる。膝を抱えるように、胎児みたいになって身を畳んだ少女。下着しかまとわぬその半裸から、慌ててラルスは目を逸した。
酔っているからだろうか?
それとも、弟だともうわかっているのだろうか?
どちらにしろ、鈍くて朴念仁なラルスにも刺激が強い。
「リンナ隊長、とりあえず……風邪、引きますよ? 何か着て、あと何かをかけて寝ましょう」
「ん……面倒な訳では……ただ、億劫で……」
「ですから、それは同じことで。あーもぉ!」
もはやリンナに、動く気配は全くない。
このまま寝入ってしまうようだ。
ラルスはとりあえず、床に散らばった制服を拾い上げる。栄えある常闇の騎士を示すマントも、丁寧にたたむ。
そうこうしていると、背中に弱々しい声が投げかけられた。
「少年……今回は本当にすみません。隊の皆さんにも、悪いことをしました。……ごめん、なさい」
「どうしたんですか、隊長? なんか、今日は随分と弱気ですね」
「そうでも、ないです……もともと、私は……ネガティブな駄目女、なんです。どうしようもない母様の産んだ、どうしようもない娘……自堕落な女なんです」
「少し疲れてるだけですよ、そんなことないですし」
そうは言いながらも、ラルスは知っている。
ラルス達家族だけに見せる、リンナの本当の姿。
常闇の騎士を脱ぎ捨てた、素の彼女は……どうしようもなくだらしない。服は脱ぎっぱなし、部屋は散らかりっぱなし、そして脱いだら下着姿になりっぱなし。
凛とした気高い騎士の仮面を脱ぐと、彼女はラルスの駄目な姉だった。
その駄目さ加減が不思議と不快ではなく、むしろなんだかかわいらしい。
「……以前から、スコーピオン支隊の隊長には、目を……つけられて、いたんです。彼は、何かと、私に……便宜を、図りたがって。すぐ、ベタベタしてきて」
ちらりと横目でベッドを見る。
大の字になったリンナの、上向きに重力へ抗う胸の膨らみが上下していた。
彼女は半分寝入ってるかのように、とりとめもなく話し続ける。
「以前から、上層部に……上申、していました。団員の格差……正騎士と契約騎士、そして各支隊で異なる待遇。なにより……団員の過酷な任務に対して、適当とは言えない報酬。加えて、装備品や遠征費などの、団員の負担」
リンナの敵は、国と民を脅かすモンスターや野盗、山賊だけではなかった。
彼女は、剣を振るうより過酷な戦いへと身を投じていたのだ。
ラルスにははっきりとはわからないが、彼女が酒精に促されるまま零す言葉を、自分の中で噛み締めてゆく。
「ゾディアック黒騎士団は……大きくなりすぎ、ました。以前のような、崇高な理念、理想に燃えていた時代は、もう……過去に去りつつあります」
「それでも、リンナ隊長みたいな騎士がいてくれるから。常闇の騎士たる者はまだ、誰もが憧れ敬う立派な騎士だから……大丈夫ですよ、隊長」
「ハインツ殿がそうであるように……常闇の騎士もまた、半数以上が、実力以外で地位を得た者たち、です。そうして騎士団の運営に影響力を持つ者たちは、今……正義ではなく、利潤に仕えているんです。一方で、同志たる団員に、それを還元しようとしない」
身を切るような吐露だった。
「少年……私は、変えたいんです。あの方が……父様がいたころの、高潔な騎士達の集う、ゾディアック黒騎士団に」
「父さんの……できます! できますよ、リンナ隊長なら!」
「私も……そう、思っていました。でも、自信がなくなりました」
少し、泣いているのだろうか?
リンナの声が湿り気を帯びる。
彼女はぬいぐるみのラルスを両手に抱き直して、そのふさふさの毛並みに顔を埋める。そうして、弟のラルスにだけ本心を打ち明けてくれた。
「組織を変える……改革するには、とても力がいります。ですが……正当性のない手段を用いれば、どんな力でも反発を呼び、歪みを生むでしょう」
「それは、つまり」
「各支隊の隊長、そして上層部……そうした者達を粛清しても、なにも変わりません」
「しゅっ、粛清!?」
「私は、みんなで……幸せに、なりたいです。騎士団の利益も、名声も、名誉も……分かち合い、たい。それが、どうして……こんなに難しいんでしょうね」
ラルスは黙るしかなかった。
つい先日王都へ到着したラルスは、父の語ってくれたゾディアック黒騎士団に憧れていた。事実、憧れを具現化したリンナに出会えた。
そのリンナが、泣いている。
組織の中でよかれと思い、手段にもこだわりながら目的の達成を模索している。
正当な道筋で、彼女が思う理想を現実と擦り合わせようとしているのだ。
それは、今や巨大な組織となった騎士団の幹部には面白くないらしい。
「少年……もっと、いい騎士団に……したい、ですね」
「え? あ、はい……でも、俺は今でも好きですよ。ゾディアック黒騎士団には、昔は父さんがいて、隊長の母上もいてくれて……今は、仲間のみんながいて、なによりリンナ隊長がいる。俺、難しいことはわからないですけど、リンナ隊長を支えたいですよ」
「私を、ですか?」
「ほっとけないですよ。それに、リンナ隊長って自分で思うよりずっと、一人じゃなにもできなくて。でも、騎士団に絶対欠かせぬ一人なんですから」
ラルスに深い考えはない。
だが、ここ数日の違和感がようやくわかった気がした。
今のゾディアック黒騎士団は、まるで商社だ。採算を重視し、利益を追求するために組織として運用されている。そこには、奉仕と挺身を持って敵と戦う、本来の騎士道が薄らいで見えた。
形骸化した騎士道を派手に掲げて示し、その実は世知辛い。
それはまるで商売だ。
そして、商売でありながらも、商道には背いている。
「少年……私は、少年の姉、でしょうか? あの方はやっぱり、私の……父様? なら……私という存在が、父様の地位と名誉を、奪ってしまったのでしょうか」
「それは違いますよ! 違う筈です! 結果的にそうなったとしても、父さんはリンナ隊長を祝福した筈です。父さんが昔、言ってました。騎士とは常に、弱き者のために戦い、牙無き者の牙になるのだと。騎士団を離れることもまた、隊長を守る父さんの戦いだった筈です。そこに後悔は絶対ない筈なんです!」
気付けば熱くなっていたラルスは、発した言葉を反芻してみて口を噤む。
ラルスの中で頑なに否定されていた、父の不名誉な不義密通……その果ての追放処分。そのことをラルスに語らなかったのは、決して恥じ入り秘密にしていた訳ではないと思える。
きっと、納得の過去だったのだ。
自分が去ることで、リンナとその母を守ったのだ。
「あれ? でも……なんでエーリルさんとの間に子供をもうけると、不義密通になるんだろうか? ……職場恋愛、禁止なのかな? あの、リンナ隊長?」
ラルスの問いかけに、既にリンナは応えられなかった。
安らかな寝息を静かに奏でて、少女は眠る。
その腕に抱かれた、自分と同じ名前のぬいぐるみがラルスを見上げていた。
ゾディアック黒騎士団の現状と、父の秘密の過去と、リンナの奮闘と。その全てが断片的にだが、わかった気がした。
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