ブラック騎士団へようこそ!(10/27)
第10話「美少女騎士はだらしない」
ラルスが王都で迎える、初めての朝。
それは、いつも以上に忙しく始まった。
朝から大量の衣類を洗濯し、それを干してからの朝食の準備。母一人子一人のベルトール家には、一宿一晩の恩義もできていた。あのあと、リンナの母エーリルの寝酒に付き合わされたまま、泊めてもらったのだ。
忙しく台所に立つラルスを、気付けば笑顔のエーリルが見守っていた。
「悪いわねえ、えっと……ラルスん? そう、ラルスん」
「ラ、ラルスん!?」
「そ、ラルスだから、ラルスん。そう呼ぶわ、アタシ。キミにぴったり……あ、卵はスクランブルエッグにして頂戴? アタシ、ふわとろなのが好きなの」
「は、はあ」
朝からマイペースのエーリルは、テーブルに頬杖を突いて微笑んでいる。それは天使か聖女かという優雅な佇まいだが、彼女は全く家事をしないらしい。そして恐らく、リンナもそうなのだろう。
先程まで洗い物の山に沈んでいたフライパンを、綺麗にしてから火にかける。
「ラルスん、こうして見るとあの人にそっくり……ふふ、父親似なのね」
「父さんですか? そんなに似てますか、俺」
「ええ、とっても。キミのお父さん、アルスとは親しかったから、アタシ……どういう親しさか、気になるかしらん?」
「いっ、いえ! 大人と大人のすることですから」
フライ返しを片手に、フライパンへと油を敷く。すぐに香ばしい匂いが立ち込め、ラルスはベーコンを三枚焼いて、その横で割った卵をかき混ぜ始めた。
正直、気になる。
物凄く、知りたい。
しかし、それはどうやら、父の不名誉を裏付けるだけで終わりそうだ。そんな気がして、どうにも踏ん切りがつかない。人一倍責任感の強い父が、やはり騎士団の者達が言うように不義密通をしていたのだろうか?
そして……もう一つ、新たな疑念が生まれる。
「あ、えと……リンナ隊長、遅いですね。起きてるんでしょうか」
「あらん? 気になる? ラルスん、起こしてきてくれるかしら」
「い、いえいえっ! そんな、レディの寝室に勝手に入るなど」
「昨日は入ってたじゃないの、しかも……あの子のマントまで着ちゃって」
晴れてゾディアック黒騎士団へと入団を果たした、ラルス。彼にチャンスをくれた人間が、オフューカス分遣隊の隊長であるリンナだ。凛とした瑞々しさを湛えた、美貌の少女騎士。
だが、昨夜見たプライベートな彼女は、そのイメージを全く伝えてこなかった。
そのことも気になるが、やはりラルスは最大の謎に心をとらわれている。
「……リンナ隊長はもしや、俺の姉さんなんだろうか」
「腹違いの?」
「そう、異母姉弟というか……うわっ! エッ、エーリルさんっ!」
「ふふ、昨日もずっと、そのこと気にしてたわね? アタシから聞きたかったんだ……お父さんの、アルスの本当の話。アタシとアルスと……リンナとの関係を」
「いや、それは……話してくれないじゃないですか、エーリルさん」
「もち、話す気ないもの。秘密は女のアクセサリーよん? そでしょ?」
そういう仕草の細部まで、不思議な愛らしさが満ち満ちている。
純朴な田舎者の少年には、いささか目の毒なのがエーリルという女性だった。彼女が皿を出してくれるので、ベーコンとスクランブルエッグとを、取り分ける。その頃にはもう、隣のかまどではポットのお湯が沸いていた。
そして、二人の背後で台所のドアが開いた。
振り返ったラルスは、挨拶の言葉を驚きで飲み込んでしまった。
「あ、おはようご、ざ、い、まああああっ! まずいですよ! リンナ隊長!」
「ん……おはようございます、少年。母様も今朝は早いんですね……いい匂い」
そこには、大きなぬいぐるみを小脇に抱えたリンナの姿があった。
リンナそのものである意外には、上下の薄布しか認識できない。
彼女は昨夜寝入った下着姿のまま、眠そうなまぶたを擦りながら現れた。白い長髪も寝癖で跳ねており、なだらかな肩のラインをずり落ちているブラジャーなどは下着の役目を放棄しかかっていた。
そんなリンナに驚きもせず、朝食を手に入れたエーリルはごきげんだった。
「あら、リンナ。おはよ、よく眠れた? 最近忙しそうで、構ってくれないから……母さん、とても寂しかったわぁん?」
「……母様には、いつも殿方がいるでしょう。毎回別の、色々な殿方が」
「やぁねえ、だって寂しいんですもの。あ、ラルスん! この子、目玉焼きにしたげて。黄身が半熟のやつ!」
あぐあぐと焼きたてのベーコンを食べながら、先に出されていたパンを千切って口に運ぶエーリル。どうやら彼女にとって、あられもない姿の愛娘は珍しくない光景らしい。そして、当のリンナ自身がまだ状況をよく理解できていないようだ。
まだ、リンナは夢見心地で、んやりとしている。
「リンナ隊長! 服、服を! なにか着てください! 服!」
「……めんどい、です。どうせこのあと、制服に着替える、ので」
「と、とにかく、隠して! 隠してください!」
据わった半目で、ぼんやりとリンナがラルスを見詰めてくる。
やがて、ようやくその瞳に光が戻り始めると……次の瞬間、ボンッ! とリンナは真っ赤になった。耳まで赤くなって、彼女は抱えていたぬいぐるみを胸に抱きしめ、その大きさで自分の起伏を隠す。
「しょっ、少年! どうしてここに……あ、いえ、違うんです! この子はラルスといって、大事な友達なんです! ただの親友です! 父様がくれた唯一のもので」
「いえ、まあ、そんなことより」
「違うんです、勘違いしないでください。偶然、名前が同じだけです!」
「は、はい。とりあえず、なにか着てもらえると、その」
「あっ! これは面倒くさいわけじゃないんです。ただ、億劫なだけですので」
「……同じ、ですよね」
「私、駄目なんです! 家に帰ると母様みたいにだらしない女になってしまって! でも、これには深い訳があるんです、ですから、少年!」
フォーク片手に「聴こえてるぞー?」と、エーリルはニヤニヤ笑っている。
とりあえずリンナは、そのままあれこれ言いながらテーブルについた。
因みに、服を着るという選択肢はないらしい。
あまりのことに動転しているのか、彼女は普段のイメージを裏切り続けていた。だが、ラルスには意外な一面が見れたことが、少し嬉しい。清楚で可憐、玲瓏なる常闇の騎士は、家ではどこにでもいそうな普通の女の子だ。生活力に乏しい、ズボラな少女なのだった。
「えっと、じゃあ……ラルスん? 改めて紹介するわ、アタシのふしょーの一人娘、リンナよ! どう? かわいいでしょ」
「……わ、私も、紹介しておきます。ふしだらな母のエーリルです」
それは、奇妙な親子だった。
父と二人暮らしだったが、男だけの生活にラルスは満ち足りていた経験がある。父は時によき兄であり、よき友、そしてよき師だった。だが、リンナとエーリルの関係は少し違うようだ。
うりうりと肘で小突くエーリルに、リンナは普段は見せないような表情を向けている。
ちょっと、かわいい女の子がしてはいけないような顔をしている。
眇めるような、睨むような、心底面倒なものを見る眼差しだが、どこか子供のようでラルスには好ましく見えた。鉄面皮の生真面目隊長は、こんな一面を持つ年上の少女なのだ。
「ラルスん、お茶淹れて! お茶! ちょっとリンナ、いつも思うけど……その格好、なぁに?」
「家でぐらい、くつろぎたいのです。いけませんか?」
「下着が子供っぽいって言ってるのよ。もっとレースがドーン! すけすけバーン! っての履きなさいよ。ラルスんだってがっかりするでしょう?」
「……そもそも、どうして少年が私の家にいるのですか?」
「あら、言わなかったかしら。アタシ、昨夜は彼と一緒だったわ。ラルスん、泊まったの。あ、そうだ! 住むとこ決まってないのよね? いーからウチにいらっしゃいよ」
ポットのお湯で茶を用意しながら、ラルスは変な汗が止まらなかった。
だが、平坦なジト目でラルスを見詰めていたリンナが、意外なことを言い出す。
「それも、いいですね。母様、彼はやはり、その……私の」
「ふふ、それはねぇ……ひーみつっ! 駄目よん? リンナ。答を欲して真実が知りたくば、自分で調べなきゃ。ただ、ラルスんはあの人の子、それだけは確かネ」
姉と弟。
そんな言葉がラルスの脳裏を過ぎった。
ぎゅむとぬいぐるみを抱き締めるリンナも、次第に普段の理知的な表情を取り戻してゆく。
「まあ、一緒に住むのもいいですね。私は構いません。家に男手があるというのは、いいことですから。……それに、あの人のこと、私ももっと知りたいです」
「はーい、けってーいっ! ラルスん、どの部屋がいい? 好きな部屋使っていいわよぉん? 掃除は自分でしてね、うふふ」
思ってもみないことで、願ってもないことだった。
ラルスとて健全な年頃の男子だが、二人は気にした様子がまるでない。
ラルス自身、エーリルは勿論、リンナにも不思議な安心感を感じていた。この二人が、どうしても他人とは思えないのだ。リンナの下着姿にどぎまぎしたのも、どちらかと言えば心配だったという気もする。風邪をひかないかとか、そういう気持ちだ。
そうだったんだと今は、ラルス自身が納得しかけていたし、それが自然に思えた。
「ごちそうさまでした。少年、美味しかったです……ありがとうございます。着替えてきますので、本営に一緒に行きましょう。今日から少年は我がオフューカス分遣隊の一員、忙しいですが頑張ってください」
「は、はい」
「それと……私たちが姉と弟であるらしいこと、そして一緒に住んでることは……秘密にしておきましょう。色々と勘ぐられても面倒ですし、その……少年にも、迷惑でしょうから」
「はあ……あ、あの、やっぱり俺たちって、その、姉弟なんでしょうか」
「そうである可能性があって、非常に高い確率で真実なのかもしれません。そして……そうなら、少し……私も、複雑です」
それだけ言い残して、やっぱり頬を赤らめたままリンナは行ってしまった。
その背を見送るラルスは、先程のエーリルの言葉を思い出す。
秘密は女のアクセサリー……もしそうならば、秘密を共有する共犯者のリンナが、なんだか以前にもまして魅力的に見える気がした。それが自分の姉なんだと思ったら、急に増えた家族の同居人になることが、嬉しいことのように思えるのだった。