朱き空のORDINARY WAR(13/32)
第13話「朝霧の中の入港」
海の艦から見る都市は、不思議と平和を感じる。
ここは南半球、アウストラリス大陸。南極大陸の玄関口であったこの土地は、協約軍と協商軍が奪い合った激戦地だ。国土のほぼ大半を占める砂漠と荒野は、両軍の死体と残骸で毎日満たされていた。
それがユアンには、まるで昨日のことのように思い出せる。
制空権を確保し、奪われて、奪い返して、また奪われた。
そんな中でも、眼下の大地は無数の血を吸い上げていった。
だが、こうして戦後に訪れる港町は、朝の活気に満ちていた。
「メルドリン市か……空襲の被害は少ないみたいだな」
特務艦ヴァルハラの左舷、飛行甲板に立ってユアンは遠景に目を細める。
朝霧に陰る空気はひんやりとして、遠くに屹立するビル群を幻想的に飾っていた。ここからではよく見えないが、戦災の傷跡はまだ実感できない。それでも、この距離からでも街が目覚め始めた音が聞こえる。
行き交う車の音に、鉄道のベルの音。港湾施設のクレーンや警笛の音。
薄靄の中でも、ユアンははっきりと人々の営みを感じ取れる。
今日、これから上陸する街には平和が満ちていた。
そんなことを考えていると、不意に背後に気配が立つ。
「ユアンさんっ! 準備できましたか? ……できて、ないですね」
「ん? ああ、ムツミ艦長。……な、なんだ、その格好は」
振り返るとそこには、蒼い髪の少女が微笑んでいた。
真っ白なワンピースは華奢な肩も顕で、豊かな胸の膨らみが強調されるようなデザインだ。そして、足元は素足にサンダルで、白い帽子を被っている。
軍服姿しか見たことがなかったので、改めてユアンは思い知らされた。
この絶世の美少女は、まだ十代の女の子なのだ。
天真爛漫を絵に描いたような笑顔が、それを思い出させてくれる。
同時に、あの時見た光景がより鮮明に思い出された。
ブリッジで指揮をとるムツミは、まるで凍れる氷河のように冷たかった。冴え冴えとした笑みに翠の瞳を輝かせ、躊躇なく任務を遂行する女艦長……その姿は、研ぎ澄まされた刃のようにユアンを魅了した。
どこにでもいる普通の女の子の、ムツミ。
エインヘリアル旅団を率いる天才艦長、ムツミ。
どちらも同じ人物だが、あまりに違う二面性には驚くばかりだ。
そんなユアンをじーっと見詰めて、ムムムとムツミは唸る。
「ユアンさん、着替えてくださいっ! その格好ではダメです!」
「いけないのか? なにも、ドレスコードがある訳じゃないだろう」
今のユアンは、タンクトップにカーゴパンツだ。上陸といっても、せいぜいムツミの運転手くらいだろうと思っていたので、ラフな格好である。勿論、護衛役として最低限の用意はしているつもりだが。
「わたしをエスコートするんですよ? もっと用意というものがあると思います!」
「……38口径を携帯したが、他には……そうだな、隠しナイフが一本あると便利か」
「そーゆーんじゃないんです! まったくもぉ!」
ぷぅ、と頬を膨らませ、ムツミはユアンを見上げて指差した。
年相応か、それ以上に幼く見えるあどけなさが眩しい。
「これ、命令ですっ! 着替えてください! ユアンさんはエースかもしれませんが、この艦の艦長はわたしなんですから! 指揮官の命令には従ってくださーいっ!」
思わず呆けたように、ユアンは自分を指差した。
人差し指を鼻先に突きつけたまま、ムツミは大きく何度も頷く。
その姿は、全く似てないのに……不思議と過去を思い出させる。
既に捨てた、振り切った追憶が蘇る。
それをユアンは拒絶できず、拒否することができない。
それほどまでに、あの女との時間は濃密なものだったのだ。
脳裏をよぎる、声。
『これは命令なのだから! 着替えて頂戴、ユアン。貴方は私の教官だったかもしれないけど、この部隊の隊長は私なの。指揮官の命令には従うこと、いい?』
懐かしさに思わず、ふと笑ってしまった。
こんなにも自分がセンチメンタルな男だとは、思わなかった。
ユアン・マルグスはパイロット、戦闘機の部品だ。自分という装置を搭載することで、戦闘機に生命が吹き込まれる。自分は翼で、銃で、そして死神だった。彼が所属していた第666戦技教導団は、軍の仮想敵部隊としてよりも、吸血部隊として有名になっていった。エースを育てる仕事もままならず、育てるそばから新兵は死んでゆく。そして、飛ぶことを教えるより殺すことが上手くなる。
そんな時に出会った少女が、エルベリーデ・ドゥリンダナだった。
彼女の素性はよく知らないし、語ってくれなかった。
だが、身よりもなく軍にしか居場所がないと言っていたのを覚えている。
そして、ユアンは少女を最強のキリングマシーンへと作り変えたのだ。
"白亜の復讐姫"……ユアンの最高傑作、そして最強の相棒。
劣勢だった協約軍を盛り立て、形勢を互角へと押し返した英雄。
今はもう、昔の話……そして、今この瞬間も彼女は血を呼ぶ戦いの中にいる。エルベリーデは純白の翼を汚すことなく、どこかで誰かに流血を強いているのだ。
「あのー、ユアンさん?」
「ん、ああ……わかった、着替えてこよう」
「やったあ! うーんとオシャレしてくださいねっ! ほら、ナリアさんたちが手伝ってくれます。お待ちかねですよ? ふふ、同じラーズグリーズ小隊の仲間同士、仲良くです!」
「……参ったな」
ムツミが指差す先を振り返れば、三人の女性が手を振っている。
フライトジャケットに眼鏡の美女はナリアで、その横で大きく頭を下げる律儀な少女がイーニィ。ショート丈のヘソ出しランニングがラステルだ。
ユアンを含め四人が、この艦のエースたち……ラーズグリーズ小隊だ。
ラーズグリーズとはワルキューレの名で、古の言葉で『計画を破壊する者』という意味だ。秘密結社フェンリルを追うこの艦にぴったりだとも言える。
軽く目礼して挨拶を交わすと、早速ラステルが怒鳴ってきた。
「クソみてぇな朝だな、おい! さっさと来やがれ、服を選んでやる! 軍人丸出しな格好で行ったら、色々と動き難いこともあんだろうが、クソボケッ!」
「……」
「おうこら、なに見てんだ? なんだよ、クソかわいそうなもんを見る目は」
「いや、なんでもない。ではムツミ艦長、上陸時に同行させてもらう。ちょっと着替えてくるので、あとで――」
その時だった。
ゆっくり波間を進むヴァルハラの行く先に、巨大な影が浮かび上がった。
そしてそれは、すぐに薄荷のような空気の中から姿を現す。
黒くそびえる威容は、大きく傾き半分ほど水没していた。
驚くユアンとは裏腹に、隣のムツミは不意に表情を引き締める。
「こ、これは……」
「協商軍の巡洋艦、ガトゥイーン級です。これは三番艦、ミステラルダ」
艦尾側に沈んだ反動で艦首を持ち上げたまま、巨大な軍艦が眠っていた。既に放置されて長いのか、そこかしこが赤錆びて人の気配はない。
ヴァルハラのすぐ横を、ゆっくりと巨体が通り過ぎてゆく。
そして気付けば、隣のムツミは身を正して敬礼していた。
直ぐにユアンも、彼女に倣って敬礼に身を強張らせる。
物言わぬ戦争の犠牲者は、静かにヴァルハラを見送り消えていった。
「ミステラルダが湾内の空襲で撃沈されたのは、今から十年以上も前です。引き上げる余裕がないのは、戦時中も今も一緒なんですね」
「そうか……物知りだな、艦長は」
感心してしまったユアンだが、彼を見てグイとムツミか顔を近付けてくる。
彼女の形良い胸の膨らみが触れてきそうな距離に、躊躇なく踏み込んでくるのだ。
「ユアンさん、わたしのことひょっとして……おばかさんだと思ってませんか? むーっ、そういうのダメですよ? わたし、こう見えても凄いんですから!」
「それは、知ってる。凄いよ君は……失礼、艦長は」
「ですですっ! だから、早く着替えてください。ほら、早くっ! 駆け足っ!」
グイグイとムツミが前に出てくるので、数歩下がって慌ててユアンは走り出す。その先ではもう、同じチームの三人娘が待ち受けていた。
短気なラステルなどはもう、朝から怒り心頭である。
なにを着せられるやら、どうにも不安だが……ユアンには選択肢など存在しない。
とりあえず、一度だけ振り返って、笑顔で手を振るムツミに小さく手を振り返す。
ナリアとイーニィ、そしてラステルは、待ってましたとばかりにガシリとユアンの両腕を拘束した。そしてそのまま、飛行甲板から彼を艦内へと連れて歩く。
「っしゃあ、覚悟しろよ。クソ格好良くしてやんぜ!」
「ユアンさん、僭越ながら自分たちがお手伝いさせて頂きます」
「さぁ、ラステルさん? イーニィさんも。行きましょう……ふふ、わたくしすごーく楽しみになってきましたわ。この艦、男の子が少ないんですもの。たーっぷり可愛がってあげなきゃ……うふふふふ」
こうしてヴァルハラは、メルドリン市の軍港に入った。
多くの乗組員が交代で上陸する中、ムツミと共にユアンも陸を踏むことになる。だが、その先に……数奇な運命がもたらす邂逅が待ち受けてるとは、この時は思いもしないのだった。
はじめまして!東北でラノベ作家やってるおっさんです。ロボットアニメ等を中心に、ゆるーく楽しくヲタ活してます。よろしくお願いしますね~