小説『僕は電波少年のADだった』〜第2話 電波少年の会議と不文律
電波少年に配属されて、あっという間に2クール、つまり半年が経っていた。
今日水曜日は電波少年定例会議の日。会議は毎週水曜日のよる7時から行われていた。通常は、二六のテーブル(縦2尺横6尺で足がたためるテーブルをこう呼んでいた)をロの字に並べて、上座にホワイトボードが置かれた稽古場で、その会議は行われた。業界にありがちだと言われる売れっ子作家はコーヒーカップだけ置いていつの間にかいなくなるとか、「メンゴメンゴ」とかいう業界逆さ言葉を使って肩にセーターをかけたプロデューサーが毎回遅れてくるとかいう景色は一切なく、常に定刻に全員が揃い、爆笑で進み、短時間で終わる会議だった。今思い起こせば、それは毎週が奇跡の会議だっだのだが、その時は気がつく由もなかった。
まず会議が始まる30分前にアシスタントディレクター、つまりADは会議室に入りホワイトボードにネタを書き出す。ココに書かれるネタとは、これまで定例会議で、演出の黒川によって採用となって書き出されたものだが、諸般の事情でロケにいけていないネタたちだ。その数なんと60余ネタ。しかもその全てが、爆笑ネタだ。
そのネタたちをホワイトボードに、ひとつひとつが暗号のような略称で、書きだしてゆく。
例えば『東京ドームをオッパイ』とか『タバコのポイ捨て注意』とかだ。『東京ドームをオッパイ』は梅村が巨大乳首を背負ってアポなしで東京ドーム事務所に向かい、「東京ドームを乳首にしたいんです」と交渉するというもの。昭和テレビにとってジャイアンツや東京ドームがどれだけでかい存在なのかなんてちっとも分かっていない入社三年目の僕とってはそのネタが実現するのだか、無理なんだかちっとも分からない。何かの理由でロケに行っていない。それくらいしか分からなかった。ただその交渉している様子を想像するだけでにやけてしまう。
電波少年では基本ロケ交渉はタレント自らが行い、カメラを含むスタッフは後ろからついて行き、その様子を遠目に収録するだけ。つまり巨大な乳首の作り物を背負った梅村が東京ドームの警備員か誰かに「責任者の方はどこですか?お会いできませんか」と聞いているわけだ。
もう画を想像するだけで面白い。
そんな爆笑だが危ないネタが次々とホワイトボードに書き出される。
『タバコのポイ捨て注意』は梅村が竹カゴ背負って、炭ハサミでタバコの吸殻を捨てた尻から拾って「タバコの吸殻をポイ捨てしちゃいけませんよ」と丁寧に注意して世の中を良くしようという企画だ。世の中の人が良い人ばかりなら、なんの問題もないこの企画。しかしもちろん、そうは問屋がおろさない。どんな展開になるかは火を見るより明らかってヤツである。
このように10文字程度で書かれた60余のネタを見ながら我々ADは、ADしかいない会議室で、自分たちの都合だけで
「このネタ頼むからロケになってほしくないわー」とか
「これ美術品作ったのに、まったくスケジュール決まらないな」とか視聴者無視の自分の事しか考えていない心持ちで無責任なことを言いながら、二六テーブルをいつものレイアウトにしてゆく。
会議室に一番にくるのは決まって小豆プロデューサーだ。小豆Pはいつものシステム手帳を出して、ホワイトボードの左上に今週のロケスケジュールを書き込む。当時、梅村は週3回ロケ、2回は早朝深夜まるまるOK、3回のうち一回はお昼のラジオのあと終日。梅本は週2回。二人が揃う火曜日の夜はスタジオ収録というのが定番だった。
しばらくすると、作家さんが次々と会議室にやってくる。会議開始10分前だ。ホントみんな時間に正確だった。それは演出の黒川が時間に厳しいというより、みんなこの会議が楽しくて仕方ないから時間を守っているという感じだった。
作家の一人、宇奈月さんはホワイトボードに書き出されたネタをチェックして
「長餅くん、『僕も保存して欲しい』(宇奈月さん提出採用のネタ)が書いてないよ。頼むよ」と、メタルフレームの眼鏡の縁を上げながら僕に言った。
すみませんでしたっ!慌てて先週の議事録を見直し、宇奈月さんの採用ネタが何だったかを探す。
ある研究施設で凍結による細胞の永久保存が出来るようになったというニュースを受けて、梅村がアポなしで、その研究施設を訪ねて「僕の細胞を永久保存してもらえませんか?」とお願いするというネタだ。
採用ネタの一つが板書忘れで忘れられ、葬り去られるのは番組にとって最大の損失。板書係がやってはいけない大きなミスの一つだ。またそれと同様に作家さんにとっても大問題。みんな一騎当千の作家ばかりだったが自分のネタがどれだけ選ばれるかが死活問題。宇奈月さんだけでなく、他の作家さんも会議室に入ると必ずチェックは欠かさなかった。各ネタにはネタを提出した作家名もカッコ付きで書かれていた。それはネタが採用になったら担当ディレクターがネタを出した作家さんとネタの展開について相談するために必ず書かねばならない情報だった。しかし同時に作家さんにとっては、採用されたネタ数が明白になってしまう通知表みたいなものになっていたのだ。だから宇奈月さんのように自分のネタが通っているのにホワイトボードに書き忘れられるのは許せないわけだ。
宇奈月さんが先週通したネタ『僕も保存して欲しい』をラインナップに書き足し、最後に提出者として(宇奈月)と書き足すと、少し安心したようにいつもの左前から3番めに席に業界人御用達の黒いルイ・ヴィトンのカバンを置いて、その中から原稿用紙を取り出して僕に渡した。
先週の会議で『僕も保存して欲しい』の他にも『区長の椅子に座りたい』(〇〇区現役区長がヤミ献金疑惑で逮捕されたのを受けて)『横田基地に「もう少し静かにして欲しい」と言いたい』(横田基地騒音問題を受けて)『芸術祭賞に僕が選ばれなかったのは間違いじゃないか聞いてみたい』(芸術祭受賞者発表のニュースを受けて)の3本のネタが採用になった宇奈月さんはホワイトボードを見直して、少し機嫌を取り戻してくれたようだった。
作家さんは会議にくると、<ネタ紙>と呼ばれる一つのロケ企画を五行程度に書いた物をもってくる。だったい一人20ネタくらいは書いてあっただろうか。人によってはFAXしてくる作家さんもいたが、ほとんどが持ち込み。ネタ紙をもらったらADは会議に出席する人数分を速攻コピーだ。
時同じくして、ディレクター陣が会議にやってくる。当時のディレクターは4人。その4人は僕らにとってエベレストのようにでかい存在だったのだが、そのことについてはまたの機会に。
会議開始直前、各作家陣が血のにじむ思いで絞りだしたネタ紙のコピーが配られる。配られた瞬間から、僕たちは今週どんなネタがあがっているのだろう?と興味津々でネタをチェック。しかし、作家さんやディレクターはこの時点目を通さない。いやチラッとほんのチラッと目を通してる。この会議では、作家さんもディレクターもプロデューサーも議事進行に合わせて、みんながネタに初めて目を通すという不思議な慣習があるのだ。というか、多分、みんな会議前に軽く読んでいる。もちろん作家さんは作家同士どんなネタを出しているのかライバル心を秘めた興味があるはずだし、ディレクターだって自分が面白いと思うネタを担当したいから、それがあるのか絶対チェックしている。プロデューサーはプロデューサーで面白いからと言って採用になってしまって、後々大変なことにならないよう、要注意ネタをチェックしていたいはずなのだが、大ぴらに読むことはない。
この会議には、このようなたくさんの不文律が存在していたのだが、他の番組を殆ど知らない僕にそれを知るすべはなかった。それが当然だと思っていた。まさに『刷り込み』。ガチョウについてゆくハイイロガンの雛そのものだ。
しかしこの不文律こそが番組の色であり、キャラクターなのだ。
定刻に黒川さん登場。
夜にもかかわらず一斉に「おはようございます」のあいさつ。
ホワイトボードをひと目見て
「今日会議やる必要ある?こんなにネタあるじゃん」
と言って、上座に座った。
「さあてやるか」
そんな軽い言葉で奇跡の会議は始められる。
その後の基本パターンは以下の通り。
ネタ紙の一枚を黒川さんが手にして担当作家の名前を読む。
その中のひとねた、黒川さんが音読する。
軽い笑いがあって、みんながネタについて考える沈黙が20秒ほど。
通常の番組だと、ここで作家さんがこのネタのどこか面白か、どう展開してほしいかなどのプレゼンが行われるらしいのだが、電波少年にソレはなかった。
ネタ紙の数行が全てだった。無駄な説明が必要なら、ネタ紙に書いておけって話だし、いろんな説明が必要なら、その時点でネタとして面白くないってことだ。多分…。
沈黙を破るのはもちろん黒川さん。
「『人間国宝〇〇さんの作った陶器でもご飯が食べたい』(人間国宝は発表のニュースを受けて)は、やっぱ先方がいいよって言ったら何食べるのかな?」
「やっぱカレーライスでしょ」
作家宇奈月さんの展開案が言葉少なにプレゼンされる。
スタッフは爆笑。今思いついたのか、思いついてはいたけどネタ紙には書かずに会議で発表しようと思ったのかは謎。そこは作家の腕。今回の「やっぱカレーライスでしょ」の反応の速さを考えると、思いついていたにもかからわずギャンブルしてネタ紙には書かなかったのかもしれない。いやそんな余裕はないか、全力で面白い3行を書いているはずだし。ま、この辺は僕なんかじゃ計り知れない深い深い森の中出の出来事。
余計な話だが、バラエティ番組を数年やっていると、面白くなくてもバカ笑いできるようになる。誘い笑というヤツだ。しかしこの会議のネタは常にリアルな爆笑を起こしていた。爆笑の影で、そのネタを書いた担当作家のホッとしたため息が漏れていた事は間違いない。
ここで実は不思議な事があるのだが、いくらネタがウケても
「じゃ次」と黒川さんは次のネタを読み始める事がままある。
この場合、そのネタは不採用。
つまり「このネタはダメだな」というダメ出しがないのだ。
これは電波少年の会議の多分一番のミソだった。
2時間程度の会議で、否定の言葉は出ない。
「面白いな」とか「こうなったらどうなる」とか言うことはあっても、「これはダメだな」とか「これは危ないな」とか「これはできないでしょ」とかいうワードは一言も出ない。
僕は初めて出た会議で、この不文律が分からなくて隣りに座っていた先輩AD東原に「ん?このネタは採用?不採用?」と聞いたら、丸くすぼめた口の前に指を一本立てて小さく「しっ」と言われた。不採用ってことなんだと悟った。
一方、採用ネタは「コレ行こうかなあ」と言って、後ろのホワイトボードの方を振り返るのが常だった。黒川さんがこのネタ採用のムードを出すと、会議室には(よかったー)という空気が流れる。そして自分のネタが採用されたことで、ものすごく嬉しそうな顔をする作家さんもいれば、まったく表情を変えない作家さんもいた。
表情を全く変えない一番手の作家さんは青森さんだ。青森直人、あーさまと呼ばれる構成作家さんは、高倉健に心酔するという噂の作家さんで言うことすべてが本気かネタか全くわからないお方。しかし作家としてはすでに超一流で、古くは『元気が出るテレビ』のたけしメモを一人で何年も書き続けているという強者だと聞く。青森さんはネタ紙の右上に必ず自分のペンネームもどきの名前を書いていた。「青森たこやき」「青森ありきたり」「青森DAISUKI」その日に何かしら心が引っかかったことがペンネームにしていたとのこと。しかもどの番組に出すネタ紙にも書いていたらしく、青森さんが関わっていた他の番組のADと話してもこのペンネームの話は通じた。そのどれもがかぶっていなかった。
彼はこれを自分のブレインだと言い張っていた。つまり青森直人と言う作家は青森たこやきや青森ありきたりという若い作家を軍団の様に抱えていて、その一人一人がネタを書いているという設定だ。
「<青森パーラーとります>はなかなか良いな。冴えてるなあ」
「そうなんですよ」
良いのはネタかペンネームか、僕にはちっとも分からなかったが、宇奈月さんは笑いがこらえきれず涙目で肩を震わせていた。
「なるほどねー。『ようやく雪解けしたあの親子に温泉旅行をプレゼントしたい』。これ梅ちゃんでいくか?やっぱこのネタはアッコで行くかな。アッコのほうが厳しい取材先乗り越える確率高いからな。会えなきゃ意味ないし」
こうして黒川さんが「行ってみるか」と言った企画は採用である。また一つネタがホワイトボードに書き足された。
当時、梅本明子は週2回、梅村は週3回のロケスケジュールが取られていて、二人ともがロケに行く火曜日は20時からスタジオで収録もある。遠出出来るのは木曜日か金曜日の梅村の日、ホワイトボードにはプロデューサーがすでにチェックした二人のロケ日程と担当ディレクターが書かれている。そのロケ日程が書かれた升目に採用された企画がまた暗号の様に書き込まれる。『NTTの時報』(NTTが時報の読み手を数十年ぶりに変えるというニュースを受けて)『ジュリアナのかけら』(ジュリアナ東京のお立ち台に警視庁の指導が入ったニュースを受けて)『勝新太郎にゲスト』(ワイドショーのコメント俺のところに取りに来ればいいのにと言ったニュースを受けてゲスト交渉へ)会議に出てなきゃ何の事だかさっぱり分からないネタや、タイトルだけで恐ろしいネタなのだが、作家さんの数行しか書かれていない展開案を読むとワクワクしてくる。
この頃だいたい一日に5ネタくらいロケに出ていた。それが少なくとも梅本1日、梅村2日の3チェーンのロケ隊が出る訳だから、都合15ネタくらいが1週間でロケされる訳である。しかしそれらはすべてアポなしだから、空振りもあるし、ホントにトラブってオンエアできない事もある。オンエアされるの通常4から5ネタ。その他はお蔵入りだ。まったくすごい数の企画をロケしてたもんだと今更ながら驚いてしまうが当時は当たり前だった。アポなしだから仕方ないのだ。
「じゃあとはよろしく。鶴さんオフライン出来てる?」で定例会議は終了。オンエア担当、前日の火曜日にスタジオ収録を担当したディレクターはこの後黒川チェックがある。このチェックが終わると木曜日に本編集、金曜日にMAと呼ばれる音付を経て電波少年はオンエアされるのだ。
「出来てます、何時から(チェックを)やりますか?」
「じゃ9時かな」
鶴さんこと茄子鶴太郎ディレクターのオフライン技術は半端なく凄かった。当時はベーカムやインチと呼ばれる業務用テープで収録した素材をVHSにダビングして、それを専門の編集機にかけてオペレーターを使わず、自分で編集するのだが、鶴さんはいつもオンエア尺のプラスマイナス五秒程度まで作り込んでオフラインを完成させていた。そして設計図と呼ばれる構成表を書いていた。そこにはオフラインの段階でナレーションや映像効果、全てのテロップ原稿に、その出し方まで事細かに書かれていた。
ナレーションというのは作家さんが書くものだと思われる方も多いだろうし、実際作家さんに丸投げのディレクターは今でも山のようにいるのだが、鶴さんは違った。オフライン編集が終わった段階で、ナレーションが決め込まれていて、そのナレーションを読む想定尺で編集がされているから、ナレーションを書き換えるのが不可能に思えた。だから鶴さんの設計図を見た作家さんは、それ相応の覚悟を持って別のナレーション案を提案するつもりで原稿を書いていたはずだ。
しかしここで問題が…。その設計図、ナレーション案もテロップ案も書かれてはいた。書かれていたのは確かなのだが、これが担当AD以外はまったく読めない象形文字。みみずがのたうち回ったのならまだ可愛い。鶴さんの字は何やら奇怪なひび割れ。その文章のテンションで字の大きさもクレッシェンドしたり、デクレッシェンドしたりしている。もうはっきり言ってアートの域。だいたいいつも決まって前出のテレ原と呼ばれるテレビ局専用の原稿用紙の裏に、その設計図は書かれている。まったくなんでわざわざ裏に書くのか?そっちの方が罫線がないから、見やすいから?しかし、だからといって裏を使おうというその自由な発想のなんと個性的なことか。これまでの人生でそんなの見た事なかった。学校だったら絶対注意されてるよ。しかも裏写りしている罫線には合わせて書いているのだ。だったら表使えよ!絶対10人いたら10人がそう思うはず。しかしここはテレビ界、しかも電波少年。その日も鶴さんの設計図は裏写りする罫線に合わせて、ひび割れが大きくなったり、小さくなったり暴れまくっていた。
当然のように完成していたオフラインはほぼオンエア尺。
一通り観ながら、新しい演出の指示が入り、また考え、それでも30分尺の番組下見は1時間以内に終わる。
すると「じゃ」と言って、黒川さんはどっかに行ってしまう。この貴重な本編編集チェックの場には担当ディレクターとそのディレクターの担当ADしか立ち会えない。
他のADは本編チェックとは別に、先ほどの会議で決まったロケネタの美術発注をディレクターから聞いたり、ネタに関する資料を作家さんから聞いたりして新しいネタロケの準備をしている。無茶と無理で彩られた発注をまとめロケの準備だ。
すると赤を貴重としたパッチワークのシャツを着た現代の赤シャツこと横浜Pが「東原は飯合の編集につくから、鶴さんの本編編集川崎がついてね」と言って会議室を出ていった。
もう3年以上鶴さんのADとしてついている東原でさえ、解読するのに時間がかかり、ともすると鶴さんが担当している別の番組のADと一緒に解読することもあるという鶴さんの設計図、通称鶴さんメモ。黒川さんからの直しの指示を受けて、テロップや想定ナレーションを2,3直した鶴さんは「じゃ川崎、な。」と言って、その設計図をAD川崎の前においた。
ADみんなでその設計図を覗き込むと、確かにとんでもない字がシンフォニーの楽譜のように、構成を奏でている。
「読めん」
川崎はそう言って固まった。