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小説『僕は電波少年のADだった』〜第4話 ディレクターはどんなときでも口が悪くてカッコいい

 毎週日曜OAの電波少年では、月曜朝9時に視聴率が発表される。 
 火曜日のスタジオに備えたサブ出しの編集が日曜日から月曜の昼くらいまでレギュラーで行われていたので、だいたい番組の視聴率は編集所の一室で知ることになる。
 日曜の朝10時始まって、24時間以上に渡って行われる電波少年のサブ出し編集。月曜の朝はほぼ〆鯖さんの編集が行われていた。〆鯖さんは鶴さんと違い、オフライン編集がものすごくアバウトで、こんな感じだろ的なところまでしか追い込んでないし、ナレーションもテロップ案もまったく書いていない状況で編集を迎える。
「まったくよう、もっとボッコボッコに殴られてくれりゃ爆笑になるのに
中途半端なんだよ、いつも」
この人はいつも信じられないくらい口が悪い。
「はい、そこ」というと、部屋の空気が割れるほど大きな音で指をバチイインと鳴らし、カットの終わりをオペレータに知らせる。
「そこから、梅村の1Sにオーバーラップでつないでタイトルコールに行くわ。流してみて」
 梅村の行ってみましょうという気合の入った表情をフリーズにすると、〆鯖さん自ら企画のタイトルコール。
「ヘビメタバンドCOWCOWをバウバウに改名してほしいっ」
とナレーターのチューヤさんのものまねのようなテンションで読むと、再びそこに海があったらモーゼ一行がスキップで渡れるくらい大きく割れるのではないかと思う大音量で、再び指をバチコーーーんと鳴らして、オペレーターにカットの終わりを知らせた。
 〆鯖さん担当ADとして長らくついている川崎は、〆鯖さんが口立てする想定ナレーションのメモをとり、タイトルコールをテロップにすべく、テロップ発注用紙に「ヘビメタバンドCOWCOWをバウバウにしてほしい」と書き込み、字体をゴナEに指定した。
 「じゃあちょっとその後ちょっと見せて」と、ロケの様子を1.5倍速くらいの速さで見直している最中、いまさっき届けられた視聴率表に気づくと
「おっきたきた。いーじゃねえか。俺の担当のときに少しでも数字が悪いとクッキー(黒川さんの事を影でみんなこう呼んでいた)が『しめさばあ、調子悪いんじゃないの』ってうるさいからな。良かった良かった。あっ須崎ちゃん、もいっかいさっきの見せて」と、ロケの導入部分をもう一度再生させる。
 せっかく須崎さんが手際よく、軽い倍速をかけて見せてくれたのに、視聴率に心を奪われた〆鯖さんは再び下見を指示。しかし須崎さんは涼しげな顔で、再びロケの肝の部分をなんの指示もないのに頭出しし、1.5倍速で再生してみせた。オペレーターの須崎さんもディレクターではないが電波少年の演出を形作る大事なピースのうちの一つだった。だから〆鯖さんも須崎さんが担当だといろいろ相談しながら構成も決める。つまりは編集に入る段階ではイメージしか出来ていない。オフラインで5秒以内の誤差に追い込む鶴さんとは全く違う編集の仕方だったが、これがいつもの〆鯖スタイルだった。


 まさにゴジラが人間として生まれかわったらこういう風貌になるだろうという容姿の〆鯖ディレクターは、その風貌から想像される通りの雷のようなどら声と威圧感に溢れたディレクターで、ロケ中の何者かに怯える梅村のキュートな表情は、企画の破天荒さより、この威圧感によるものが大きかったのではないかと思う。この〆鯖さんの圧迫演出は電波少年の大事な魅力の一つであったことは間違いない。そんな〆さんでも、0.1%の上下が気になるのが視聴率。
 実際、この頃の電波少年の視聴率は15%を上回ることはまれで、基本12%くらいのところを行ったり来たりという感じで、話題には登るが華々しい視聴率で持ち上げられる番組ではなかった。そんな時代が長かったからか、後に30%越えを記録する時代になっても、スタッフは「やったーっ」なんて感じはなく、「ハイハイ良かった良かった。」というリアクションで、それを見て育った僕たちは<視聴率1%上げること以上に大切な何かがある>ということを自然に身に着けていた気がする。
 〆鯖さんが視聴率表を一瞥すると、ともかく合格点だったことに安堵して編集を続ける。
「川崎そこ、梅村好感触のスーパーな」と、またテロップの指示を出した。
 AD川崎は再びテロップ発注用紙に〆鯖さんの思いついたテロップを書き出すと、慌ててFAXした。どうやら、もうテロップ制作の締め切り時間を超えているらしい。「なんとかこれだけでも今日の昼の12時には届けてほしい」と、FAXに向かって手を合わせた。


電波少年の全てはディレクターで、ディレクターは電波少年の全てだった。

 当時の電波少年には4人のディレクターがいた。これがともかくADからみると世界4大山脈(という言葉はないらしいが)のヒマラヤ山脈とアルプス山脈とアンデス山脈とロッキー山脈が同じ場所に一気に隆起したかのようにそびえ立っていた。ココで紹介する順番でさえ、順列をつけるようでビビってしまうのだが、仕方がないので僕の独断と偏見で「この順で紹介すると、読者が分かりやすく、この本が面白く感じると思う順」ことにさせていただく。
 すでに紹介済みの茄子鶴太郎こと鶴さん32歳?今考えると、そりゃ油のってる年齢だわな、と。で、今まさにここで編集をしているゴジラが人間になった風貌の〆鯖浩斗さん(31歳)。その他に、今週、僕がロケ担当としてついた飯合雅樹さん(27歳)。4人の中では一番優しくいつもティアドロップのサングラスを掛けた赤米吾郎さん(年齢不詳)の4人。
 この4人のディレクターで電波少年は回っていた。
 ディレクターとは番組の命ネタ、サブ出しを作る人のことだ(当時我々はネタのことをサブ出しと呼んでいた。収録中、サブコントロールルームからスタジオに出されるビデオのことだからだ。ちなみにサブ出しのことをVTRという人もいたがVTRとは VideoTapeRecoederの略だから、実は誤用。単純にVという人もいた。)。
 電波少年ではロケで起こったことをビデオに撮ってダイジェストのように短く編集して、スタジオ、ひいては視聴者の皆様に「こんな事がありましたよ」とお伝えするわけだが、小学校時代の遠足が終わって「あの遠足楽しかったね」という話一つとっても、話の上手い人と下手な人ではその面白さに雲と泥の違いがあるように、編集一つで普通のロケが、面白くもつまらなくもなる。
 面白いロケが面白いサブ出しになるのは当然。面白くないロケも時として、この4人のディレクターの手にかかると爆笑のVに変わる。ちなみに下手なディレクターの手にかかると、面白いロケが面白くないVに早変わり。僕がディレクターデビューした時は、面白くないロケをして面白くないVに、ディレクターとしてしばらく経っても、面白いロケを面白くなくする事が続いた。後にいろんな番組に就くことがあって、「あのロケ奇跡的に面白かったよねえ」と偉い人が自画自賛するが、OAされても全く話題にならないということはママあり。面白いロケを面白く伝えるだけでも、結構大変な技が必要なのである。その上のレイヤーである、面白くないロケも面白くする技量とはもう計り知れない職人技なわけで、とにもかくにも、面白いサブ出しを作ることこそがディレクターの命題なのだ。
 と、ここまでも大変なのに、黒川班では「面白いサブ出し」の上に「笑えるサブ出し」というカテゴリーがあった。笑えなければダメなのだ。だから「このサブ出し面白いね」は必ずしも褒め言葉ではなかった。笑える。笑い。笑えなければダメ。この重さったら半端なかった。つまりロケには面白いロケの上に笑えるロケというのがあって、笑えるロケを笑えるネタにするだけでも大変な技なのに、笑えないけど面白いロケを笑えるネタにする技量というのがあって、その上にはちっとも面白くないのに笑えるネタにしてしまうという超絶技巧も存在して…以下略。
 4人のディレクターのサブ出しはことごとく笑えた。ロケもネタも笑えた。ロケがちっとも笑えない状況でもネタは笑えた。現場は怒られただけなのに、ネタとして見ると笑えるのだ。この超絶技巧によって成立するネタを得意としているのが〆鯖さんだった。罵詈雑言を受けながら、どんな辛い企画よりも、〆鯖さんに怒られるのが怖いという梅村の表情がともかくキュートで笑えて、笑いの3要素であるフリ・オチ・フォローなんていう構成はぶっ飛ぶほど笑えるロケが多かった。だから〆鯖さんの看板ネタ『ライブ乱入シリーズ』なんて完全ノーカット。右上に経過時間が入るだけで、タイトルコールから3分で会場の外につまみ出されて、コンサートスタッフに「ふざけてんじゃねーぞ、この野郎」と言われ、本気でビビる梅村の顔のアップで終わるというとんでもない構成のネタだった。まさにいわゆる面白いことはちっとも起きてないのにネタとしては大爆笑という異次元の世界。

 この迫力あるディレクターは我々ADも、常に恐怖を持って接していた。担当ADの川崎は、その怒りを凌ぐ術にもののすごく長けていた。

 その一方、4人の中でADに一番やさしいのは赤米さんだった。赤米さんはタレントにも、ものすごく好かれる人で、当時多分出演者である梅本さんと一番仲が良いのは赤米さんだった。ものすごく紳士的だし、この番組以外に他の旅番組では演出も務めていた。〆鯖さんは、AD時代、直接赤米さんについていたらしく「あの人、本当は口が悪いし、怒ると怖いんだぞ」と、言うけど、僕らに、その話は全く信じることが出来ず、人間的にもすごく魅力のある人で大好きだった。
 そんな赤米さんは、年齢的に4人のディレクターの中で一番年上で、もしかすると演出の黒川さんより歳上で、電波少年の激しいロケにちょっと疲れていた。だからなのか、僕がようやく電波少年のスケジュールになれてきた頃、体調不良で番組を離れてしまった。
 短い時間しか番組を一緒に出来なかったし、ロケに連れて行ってもらえることもなかったので、赤米さんが怖いなんて確かめる術もなかった。

 赤米さんがいなくなったのは、僕らADにとって本当に寂しかった。ある日突然会議からいなくなったし、上の人達は事情を知っているのかもしれないけど、我々下々の者には全く説明もなかった。

 後日のある日、赤米さんの体調が相当悪いという話を聞いて〆鯖さんと病院にお見舞いに行くことになった。
「まったく赤さんがいないから、ディレクターのローテーションがきついんだよ。月何本ネタやったらいいのか、まったく。ギャラ効率が悪いんだよ」
親指みたいな人差し指と、何指かわからないほど太い親指で輪っかを作って、そう言った。
 確かに4人いたディレクターが3人になっても黒川さんはディレクターを補充せず、というか小豆Pや横浜Pは様々なディレクターをプレゼンしていたらしいのだが、黒川さんが首を縦に振らず補充できなかったというのが真相らしい。
 ともかく黒川さんは自分が認めたディレクターにしかロケには行かせない。番組開始当初は、全てのロケに同行し、全てのカメラワークを指示していたという。確かにVを観ると、結構あちらこちらに黒川さんが見切っていた。飯合さん曰く「黒川さんは自分の分身が欲しかったんじゃないか」というほどのうるさい演出家だった。
 しかし番組が少し転がり始め、各ディレクターがそれぞれのキャラクターに合ったネタや編集を展開し始めると、だんだん黒川さんの指導は減った。今いる4人のディレクターは認められたのだ。その分、新規にディレクターになる壁はますます厚くなったとも言える。僕らがディレクターに昇格するのは蜘蛛の糸より細い糸にすがるしかなく、その糸がどこにぶら下がっているのか、全く分からなかった。
 本当のことを言うと赤米さんが番組を休むようになって、誰か補充がなければ、番組のことを分かっているADがディレクター見習いくらいに昇格するんじゃないかという淡い期待を抱いていた時期もあったのだが、黒川さんは平気でディレクター3人回しのまま番組を進めた。カンダタは過去に一度踏み殺してしまうかもしれない蜘蛛に気づいてその生命を助けたことで、お釈迦様から蜘蛛の糸を垂らしてもらったそうだが、我々は何をすれば、糸を垂らしてくれるのか、黒川様に聞いてみたかった。
 だから3人のディレクターのロケ頻度は増え、ただでさえ長い拘束時間がますます長くなった。となるとプロだから気になるのはギャラだ。ギャラが上がれば、みんなの文句もないはずなのだが、〆鯖さんの特上明太子のような人差し指と極上カラスミのような太い親指が作る輪っかは、その上がらないギャラへの文句なのだろう。
「赤さんの分の番組制作費どこ行ってるのかな?」
「相変わらず番組制作費低いんだろうなあ、まったく」
「ロケも都内しか行かないもんなあ」
「『松方弘樹の世界を釣る』は楽しいぞー、ロケ準備の買い物から凄いんだ。電波のロケ弁なんて食えたもんじゃないよ。」
「金魚鉢にレミーマルタン注いで飲むんだぞ。」
「紀伊国屋のつまみを端から端まで『コレ全部』って買うんだぞ。」
 〆鯖さんは相変わらず絶好調だった。それは僕が憧れていた業界そのものだった。しかもそんな荒唐無稽なお話を電車の中にも関わらずでかい声で話すから、同じ車両に乗っている皆さんに話の内容がまる聞こえ。その上、口が悪いもんだから、目の前のおばさんは完全に眉を潜めている。

 病院に行ってびっくりした。

 番組から離れて半年ほどしか経っていないのに、赤さんの山のような身体がすっかりやせ細り、眼の前の病院のベッドで体中あちこちにたくさんの管を繋がれて寝ていたのだ。なんにも知らされていないけど、大変な病気であることは火を見るより明らかだった。
「おー〆鯖ちゃん来てくれたの、悪いねえ」
 ティアドロップのサングラスをしていない赤米さんの目はまつげが長くて可愛かった。昔っから、前髪の一部が印象的に白髪になっていて、直接の後輩である〆鯖さんは赤米さんのことを影でよくスカンクと言っていたが、それは赤米さんがいないところだけの話。直接ついていたディレクターというのは、やはり怖いと言うか、敬意を払っているというか、ま、面倒なもので、あの口の悪い〆鯖ゴジラも先輩ディレクターの前ではミニラ。
 しかしそのスカンク赤米は、前髪どころか髪の毛殆どが白髪になって身体も細くなっている、髪の毛だけでなく、身体全体に生きてる覇気というものが全く感じられない。あの病人独特の匂いまでしてくる。
 〆鯖さんも「大丈夫ですか」の一言もかけられず、僕同様息を飲んでいる。なんて演技の下手な2人なんだろうか。
「おふたりとも忙しいのに悪いわねえ」
 初めて見る赤米さんの奥さんが、これまためちゃくちゃ美人でびっくり。
 赤米さん夫婦に子供がいなくて、たしかトイプードルかなんかを飼っていて、犬なのに猫可愛がりしているという話を聞いたことがあった。ありがちな話だった。仕事ばっかりしてて、家庭を顧みずパターン。
 あの頃、ビデオ関係の仕事についてると、モニターか何かから出ている電磁波の影響で精子が死んで子供ができにくくなるとかまことしやかに言ってたけど、どうだったんだろ?本当かどうか全く分からないけど、電磁波が精子を殺すという噂に〆鯖さんが
「子供がほしかったらよ、編集所で◯ンタマ隠しておいたほうが良いぞ」と言ってたこともあった。
 別の先輩も「テレビ業界の人たちの子供は女の子が多いだろ、それ電磁波のせいなんだよ」と何の根拠もなくまことしやかにそう言っていた。そんな電磁波が出ていたとしても、それを浴びまくっていたのが僕らの生活だった。
 しかし、この赤米さんの姿はそんなどころの話じゃなかった。
 正真正銘の病気。
 もう瀕死のスカンクだ。
「びっくりしただろ。〆鯖も長餅も健康診断だけは行っとけよ。忙しくても」
 赤米さんは、自分の置かれた状況をしっかり把握していた。そりゃそうだよな、こんなに管繋がれたら、まともな病状じゃないって。さすがの〆鯖さんの口も滞り気味。病人のオーラに負けている。当然病状のことなんて話は出来ず、最近の番組の様子とか当たり障りの無い話しか出来ない。
 電波少年のミニラは丸い輪っかの放射線さえ吐くことが出来なかった。

 赤米さんは僕らを見ると、最近の電波少年のサブ出しが今まで以上に面白いとか、「あのロケは鶴が担当ディレクターだろ?」と当ててみたりとか、一つも欠かさず見ていて、その一つ一つのネタのカットの順番・アングルまで覚えていて番組愛に溢れてるんだなあと思うとともに、僕は優秀なディレクターの記憶力に舌を巻いていた。編集を担当していたのならまだしも、一回見たテレビのネタをここまで覚えられるって、どんだけ凄いんだよと。
 〆鯖さんも、その話にガンガンついて行くので、僕はカバンの中から電波少年の企画やスケジュールを書き留めたノートを取り出して、そのひとつひとつの話を追いかけた。
 サブ出しじゃなくても、赤米さんがいなくなった後で周りに起きたことを話す〆鯖さんの構成力はすごくって、本当に起こったことの数倍は面白い話になっている。普段の編集構成を口立てでするだけあって、話しながら構成を立てるのがめちゃくちゃうまい。というか面白い。というか笑える。嘘も悪口も多分に混じっているのだが、本気で話しているからそれが記憶違いなのか?演出なのか?分からない。まさに超絶技巧。
 すると今度は赤米さんが自分の病院生活の中で起きた事件のことを話しだした。変な医者の癖とか、変わった入院患者の性癖とか、そんなことに目を配っているのかと感心するのだが、その全てのエピソードにオチがついていた。もう日常の事が落語のネタのように笑える話に変わっていた。それはドラゴンボールの孫悟空と魔人ブウの戦いを見ているかのようだった。
 赤米さんの美しい奥さんも目に涙を浮かべながら、ものすごく上品にたくさん笑った。

 そろそろ病院に夕食の配膳を始める音が聞こえ始め、僕たち見舞客もなんとなく帰るべき雰囲気が窓の夕景とともに、赤米さんのいる病室に忍び込み始めた頃、突然赤米さんが
「〆、いくつになったのよ?」と〆鯖さんに尋ねた。
「35ですよ、もう」
 頭をフランクフルトのような太い指でボリボリ掻きながら答えると、
平然と赤米さんがこう返した。


「そうか、じゃもう自分の番組作るラストチャンスだな」


 僕と〆鯖さんは多分目を丸くしながら、心の中で同じツッコミをしたと思う。
(ラストチャンスは貴方でしょ!)
もちろんその言葉を口にする勇気は、明太子一粒分もなかった。

 病院を出て、二人で電車の駅に向かう途中〆鯖さんが
「スカンクの最後っ屁は強烈だな」と言った。
 本当に口の悪い人だ。
 当時のテレビディレクターはみんな優しいのに、口が悪かった。
 僕はそれをカッコいいなと思っていた。と、同時にみんな自分の番組が作りたいのか、と当たり前のことに気づいた。〆鯖さんだって、赤米さんだって、多分鶴さんも飯合さんも超絶技巧ディレクターでいいわけないんだ。自分の番組(城)を作りたいのだ。
 そう考えると、僕はまだ何も始まっちゃいなかった。


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