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GWは、僕のコンプレックスが生まれた過程を振り返るチャンス

僕がこれまでメインでおつきあいさせていただいた彼女・・・

ぢゃなくて、コンプレックスね(笑)

えーと、数えてみたら3人かなぁ。


ちなみに、「コンプレックス = complex」とは?

精神分析で、感情の複合。
現実の意識に反する感情が抑えつけられたまま保存され、無意識のうちに現実の意識に混じり込んでいるもの。強迫観念や夢はこの複合が象徴的に現れたもの。
特に、「インフェリオリティー コンプレックス=inferiority complex」(劣等感)の略。

とあります。


これを順に上げてみると

学歴

母親

貧しさ


この3つのどれが強い弱いではなくて、だいたいこの辺に紐づいていますね。

ちなみに、今ではすっかり、どうでも良く思えるようになっています。

でなければ、こんな場所で面白おかしくは書けませんわ〜


本質としては、これを全て消し去ろうとは思ってもそりゃ無茶でっせ!ってことで、奥底から恐れとしていつでも湧いてくる事なので、上手に付き合い利用していこうと考えられるようになったので、克服できたということです。

この辺は、「仮面ライダーウィザード」のファントムの取り扱い方、そのものだと思います(分かってくれる人がいたら嬉しい!)



学歴なんかは、母親との関係性と対になっていて、高校を入学した時に言われた母親からの一言が、結構尾を引いてしまったことがありました。

これは後述にて・・・
と思ったけど、引っ張ると重くなりそうだから、ライトなうちに書きます。


僕が入学した高校は、地元でいわゆる二番目の公立高校でした。

親としては、一番目の高校に行って欲しかったわけですが、行けなかった。

僕としては、期待に応えられなかったっていう負い目があったわけです。


中学生当時の僕に戻って、子供じみた言い訳をしますとね・・・

掃除をちょっちサボったからって、数学の成績が10段階で7がついたりしたんですよ。
中間テスト50/50点、期末テスト47/50点、でですよ。

数学に限らず、一学期にしゃかりき頑張って挙手して答えて、とやっていたら二学期以降は「他に答えられる人〜」ってなって指してもらえない、って授業ばっかりになって拗ねたりもしてたんですよ。

授業中、ふて寝したりね。

テストで学年唯一の満点をとった数学・理科で、10段階10つかないってどういうこと?
と先生に問えば、「授業態度」と言われ、なんじゃそりゃ???と理解も納得もできないルールに翻弄もされてたんです。

っていう昔の言い訳でした。


やっぱりイイ学校、やがてイイ大学に入って、というのがそもそも親の期待であって、それを守らなければならない、というプレッシャーを浴びつつ、希望する学校に行けなかったという期待を裏切ってしまった息子、っていう十字架なわけです。

今思うと、ウチの両親は大学進学っていう視点がまるっきりなかったので、イイ高校に入れさえすれば、イイ大学にも行けるんだって思い込んでたんです。

箱根駅伝で聞いた事がある大学に入ったらイイや、くらいに思っていたに違いない!

ってことで、真に受けることもなかったな、って今は思いますけどね。



さて、高校入学時、母親から食らった一言です。

中学の時の同級生のお母さんに言われたんですって、

「芦川さん、なんでここにいるの?」って。

それもまたすごく偏見じみたお話だとは思うんですが、要するにココ(二番目)じゃなくて、アソコ(一番目)に行ったんじゃないの?って言うことだったみたい。


んで、入学式が終わって、レストランに行ったんです。

場所もはっきり覚えていますよ、秦野平塚線沿いの夢庵でした。


「私は今日、恥をかいた」

って言ったんすわ。

はぁ〜〜、ってため息つきながらね。


ヤバ、終わったかも。

って思いました。


頭が真っ白。

母親からの愛情を、もう受け取れなくなるっていう感じかな。


僕はこの学校に行ってはならなかったんだ。

僕はダメな息子なんだ、って決定打ね。


小・中学生と、親の言う通り、願った通りに立ち回れた自分だったけど、もうそのあとは転げ落ちるように親の思い通りができない息子になってしまった。

母親自慢の息子が、みるみる成績が落ちていくわけだから、母親にとってはキツかったとは思うけど、そんなことは知ったこっちゃない。


僕はバイトに明け暮れて、稼いだお金をゲームセンターで散財しまくった。

おかげで、ゲームセンターでは「王様」なんて呼ばれる始末。

ゲームの中では無茶苦茶強い王様、だけど現実世界では、家に居場所がなくて帰りたくないだけの高校生。

浪人も一年したけど、まさに生きる屍状態でしたね。


社会人になって、学歴でヒエラルキーを感じると、その人を馬鹿にするか、距離を置くかの二択しかできない自分になっていました。

んで、20歳代は自分を悪魔、と評するような生き方になってしまったのです。


この根深い状況を、克服することができたのは、広告の仕事に引き入れてくれた、前職の社長でした。


BMWのバイクに乗っていて、髪はロン毛。

歳は僕の3つ上。

僕が26歳の時だから、29歳。若い。

その人が社長をやっている会社が、犬の散歩コースに溶け込んでいる景色の中にあるってんで、速攻応募をして、どうにか入社できた。


その社長が中卒だったんだ。


ここで価値観がぶっ壊れた。

壊してもらえたって思う。

学歴のせいにして不満ばかりだった僕を、「大卒の君と中卒の俺、この差はなんだろうねぇ〜」って、嫌味たっぷりになじってくれた。

良き師であり、良き兄貴分でした。


時間が経つと、面白い経営者さんに次々会うことができて、中卒でフェラーリに乗る方も現れて、こうなると学歴なんて、心からどうでも良くなった。

これにて学歴コンプレックスは克服。

外の景色の見方が変わったことで、僕の内側が変わる、という順番でした。


だいぶ時間が経ったけど母親にも、今が楽しい仕事をして幸せに暮らしているのだから、行った学校による影響は結果的になかった、と最近になって言えた。

母もある時期言い続けていた「あの学校に行けていれば」という言葉を一切言わなくなった。

僕の中で、母、陥落。


母親からの愛情を求め続けていたのも、男の子だし、まあそういうもんだという小さな理解に始まって、「僕はあの時、こう思っていた」「あの時、嬉しかった」「あの時はしんどかった」と当時を振り返り話すことで、過去の記憶はどんどん書き換わっている。

これは特に最近、この騒動下で話す時間が増えたし、LINEとかで話せるようになったのも大きい。

とにかく、僕は今までも愛されていたし、これからも愛されているのだと、すっかり安心している。

母親への負債感ももうない。

しなきゃいけないことももうない。

母親への感じ方がガラッと変わったことで、女性に感じていた分離感もここ数年でどんどん小さくなって、苦手意識も今ではほとんどない。

最近お会いした人たちは、緊張のあまり女性の眼を見てお話できない、ひと昔の僕なんて想像できないかもなぁ、なんて思うと笑える(大笑)



あともう一つの「貧しさ」については、長くなってしまったので、別の機会でお話しようかな。


もし、あなたが何かのコンプレックスにとらわれていましたら、コーチングしますんで、言ってくださいな。

コンプレックスは相変わらず抱えたままの僕なので、バリバリ共感できると思いますよ〜


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