見出し画像

折坂悠太@おんがくのじかん

2024年12月28日。
折坂悠太の弾き語りライブが三鷹のおんがくのじかんで開催された。
会場での観覧チケットは外れてしまったので、
出先で配信で観る事にした。

今回は、弾き語りの間に3編の詩の朗読を挟んでいた。
その中で、江國香織「父に」という詩が読み上げられた。
その内容は、
『もうすぐ死んでしまう父への言葉』で、
「あなたの命は削られているけれど
   わたしはおとこの腕の中にいる」(大意)
というようなフレーズがあった。


私は11年前の事を思い出した。


2013年12月28日。
三鷹おんがくのじかん。
その日は『紅白笹合戦』というイベントが行われていて、そこで初めて折坂悠太のライブを観た。
他のアーティスト目当てで足を運んだのだけれど、とにかく彼の世界観にものすごく衝撃を受けた。
お目当てのSSWの対バンイベントに何度も足を運んでいたのだけれど、折坂悠太は群を抜いて素晴らしかった。
もう2013年(弾き語りライブを始めた年)の時点で、今に繋がる彼の『型』が出来上がっていた。

そういえば、その時は美輪明宏の「ヨイトマケの唄」をカバーしていて、20代前半で歌いこなしていたのにも非常に驚いた。(桑田さんのカバーでは聴いた事があったけれど。)

その時はまだ音源も出してなかった。
あまりに素晴らしかったので、ライブ後に話しかけて、
「いつかイベントに呼びたいです。」
と伝えた気がする。

その夜は折坂君との出逢いが嬉しかったけれど、
いろんな事が重なって、胸の内はとても複雑だった。


翌日、母が亡くなった。


16歳の時に、最愛の父の死に立ち合って、
「もう二度とあんな思いはしたくない」
という気持ちが強かったので、
母の今際の際には立ち合いたくなかった。
当時、子宮筋腫からくる体調不良で
起き上がるのが辛かったので、
結局、都内の部屋から埼玉の病院へ向かったのは、連絡が来て数時間経ってからだった。

そんなタイミングでの折坂君との出逢いだった。
『在りし日』というこのブログのタイトルは、
折坂君のライブのイベント名からとったものだ。
折坂君の歌を聴いていると、

あの世とこの世
あの魂とこの魂
あの日と今
あの人と私

などを思い出す。


11年経った2024年に朗読された詩は、
まるであの時の私が何かにすがるように
音楽を聴いてた事を見透かされた様に感じた。

そして、母が亡くなった数ヶ月後に訪れた函館の居酒屋で、元・歌手だったという高齢の女将さんに、
      「生きなさい」
と言われた事をふと思い出した。

2013年の年末に初めて折坂君のライブを観て、
2014年はバタバタしていて、たしかライブを観られなかった。
2015年に神保町試聴室などのライブに足を運んで、最初に言った事をきちんと実現しようと思った。
そして2016年に下北沢QUEの自主企画イベントに出演してもらった。
しかし、その日は私の力不足で集客は充分ではなかった。

2018年に「平成」がリリースされた。
リリース前後は、渋谷のフリーライブもお客さんは少なかったし、
吉祥寺のイベントも折坂君目当てのお客さんはほとんどいなかった。
当時は、本人と私が誰よりも必死でエゴサーチをしていた・笑。
10月の「トヨロック」(豊田市)も
余裕で最前で観れたぐらいだった。
潮目が変わったのは、
11月の「NEW TOWN」(多摩センター)
だったと思う。
それでもまだお客さんはおとなしくて、
「逢引」や「芍薬」で立ち上がって踊っていたのは私だけだった・苦笑。

そこから先の彼の活躍ぶりは皆さんが知るところだろう。


12月30日の誕生日を待たずに
12月29日に母は亡くなってしまった。
亡くなる当日の朝まで、千疋屋のゼリーを貪る様に食べていたらしい。
珍しく横浜で買った水信のゼリーがあったので
仏壇にお供えしよう。
そしてお墓参りに行かなくては。

#折坂悠太 #在りし日 #三鷹おんがくのじかん




いいなと思ったら応援しよう!