227:続々々々々々々々・終わりになりたい
・最近は意欲的に活動しているように見えて、自分を纏う希死念慮との戦いは依然として幕を下ろしていない。
・未だに、生きる理由探しをしている。
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・自分のいわゆる「やりたいこと」的なものは会社員という形では叶わないだろう、ということで会社員市場において価値を上げる、立身出世を目指すことは蚊帳の外に置いた。
・他人の作った船に興味が持てない。
・ないはずだったが、最近離職する同僚が多く、彼らの転職活動事情を聞いていると隣の芝生が青く見えてくる。
・また、いまやっている法人営業という職種と自分の「やりたいこと」に乖離がありすぎて、もはや二重人格を作り出している感覚すらできた。
・そこそこの学歴・そこそこの規模の新卒会社ということもあり、その上で無形商材の法人営業をやっていれば食いっぱぐれることはないか、という判断でいまは仕事をしているが、そんな気持ちで人生の7分の5を過ごすのはあまりにも浪費が過ぎる。
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・とは言え、いまの自分で独立などしようものなら、なんの収入源も見つからずすぐに腐ることは目に見えている。
・やり方がわからないし、メンターとなり得る存在も身近には今のところいない。
・また、ちっぽけな枷もある。
・というのも、企業に属する法人営業と、売るだけが仕事と思われやすい一般的なイメージにおける営業は若干異なると思っていて、今は小さな会社ということもあり売るだけでは無い部分のそこそこの業務は齧った。
・テレアポやフィールドセールスといった形で受注に重きは置きつつも、コンサル的な素養(顧客の予算をなんとか聞き出して効果的に消化していくための方法を論理的に思考し唱える)・PM的な素養(受注した仕事をスケジュール立てて役割を明確にして関わる人に渡す)・デザインディレクション的な素養(簡単なLPのワイヤーくらいは作れる、KVの案だしから顧客と一緒に考える)・プリセールス的な素養(自社の簡単なASPサービスの説明ならできる)・カスタマーサクセス的な素養(ひと施策終了後、次はどうするか、こうした方が良いんじゃないかを論理的に伝えて次の受注へ繋げる・またはリレーションシップ構築)などは、すごく浅い上澄みの部分だけは養えていると思っている。
・それらを全て捨て去り、創作活動一本で食おうという気概は今のところ持つことは出来ない。
・「会社員を辞める」というのが未知の世界すぎる。もの作りだけならともかく、それらで収益を出すとか、税金などに関わる会計業務だとかは知らない世界なので、創作活動はまだ趣味の範疇に留めざるを得ない。
・どんな形になっても、「勤労」「納税」は国民の義務なのだ。そこから逃れることは絶対にできない。
・そして極めつけは、現状の創作活動が本当に「やりたいこと」なのかわからないということだ。半年以上やってきた中でもこれが正解択なのか、自信がない。
・そんな気持ちではまだ覚悟が持てない。
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・とは言え、今の自分はいまだにうだつの上がらない生活の延長線上にはいる。
・このぬるま湯から抜け出すためには、一つ覚悟を持たねばなるまい。
・覚悟を持つために現状のまま維持ではなく邁進していくべきだ。
・「物書き」「デザイン」「組版」なんかが、現状興味がある分野である。
・完全にスキルアップのためと割り切って、そういった会社に転職すべきか。
・ありがたいことに平社員の中ではほぼ唯一、重点顧客を充てられたり社長直下のプロジェクトに関わったりしているのは、最初のきっかけは会社状況的にそうせざるを得なかったのだが、継続的にアサインされ続けているのは会社員として多少評価されている部分もあるだろう。
・その経験を生かすのであれば次も企業に属する法人営業だが…。それなら転職しなくて良い、と思う。
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・行く末を悩んでいる。自分はどうしたら、「結果的に生きてて良かった」と言える日がくるのだろうか。
・こんなこと考えたくなかった。
・この前友人の結婚式に行ったのだが、とても幸せな空間で、自分の曲がっている性根すらも真っ直ぐになるほどの最高な幸せがそこにはあって、羨ましかった。
・結婚が羨ましいのではない。自分はいつから“そちら側”の人生を歩めなくなったんだろう、と思った。
・こんな拗ねたことなどは考えず、真っ直ぐに生きる人生を歩みたかった。
・曲解を生み出すことを生業としているながめいづきにしてみれば、もはやそんなことはできないらしい。
・終わりになりたい感情を、捨てることは出来ていない。
・まだ、生きるための理由は、ない。
・「生きたくない」と「死にたい」は異なる感情であり、今は死にたいわけではないから自死を選択していないだけの、ふわふわした状態である。