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160:大学受験、京都との再会|人生#011

・毎日の鬱備忘録を生み出す思考回路の原体験。
・前回。


・部活動や家庭環境ですったもんだがあり、それ以来自分は今に至るまで不眠症と過敏性腸症候群を抱えて生きることになったが、それはそれとしていろいろなことが一旦落ち着いて迎えた高校3年生。
・春に行われる体育祭に向けた校内新聞の制作を最後に、兼部していたすべての部活動を引退し、受験勉強へ本腰を入れることとなった。

***

・国公立至上主義の自称進学校(笑)に在籍していた自分は、福岡に住んでいたのもあり、九州では最難関である九州大学に合格すべく日夜受験勉強に明け暮れる日々を送ることになった。
・塾なんかに行く金などもちろん家にはなかったので、独学でなんとか奮闘していた。

・前の記事で言及した学年一成績優秀な親友含むコミュニティの仲間たちとともに、平日も休日もほぼ毎日一緒の場所で勉強をしていた。
・各々の得意科目は教え合って、集中する時は一言もしゃべらず集中して、時には少し息抜きをしながら勉学に励んだ。

・あれはあれで自分にとってはまた一つの青春だったし、何なら高校生活の中で一番濃い記憶といっても過言ではない。

***

・家計もあり、国公立しか考えておらず、九州大学一本で受験に臨もうとしていた。
・九州大学をどう攻略すれば良いのだと思案しながら、高校にあった赤本をたくさん所蔵していた教室で九州大学の過去問のコピーを取っていた(金がなかったので参考書はもちろん赤本なんかも買ってなかった)時、前述の成績優秀な親友にふとこんな声をかけられたことがあった。

・「おれ滑り止めで同志社受けるけん一緒に受けん?」

・私立は受けないことにしてるしうーん…と言われた瞬間は思った。
・だが、その日の帰りふと、そういや同志社って京都の大学だよな、と思い中学の時修学旅行で行った京都の風景を思い出していた。

・空っぽの中学生活を送った中で唯一自分の中に思い出として残っていた京都。
・あの景色の日常になれる。そんな甘美な妄想を思い描きながら下校した。

・その日は雪が降っていたのを覚えている。

***

・そもそも「お金がないから国公立しか選択肢がない」と思っていたが、国公立であっても奨学金で通うことには変わりなかったので、それなら工夫すれば通えるのか?と思った。
・すぐに同志社大学の学費を調べ、奨学金についても学生支援機構のものに限らずいくつか調べ(公立高校に通うのすら奨学金で一部賄っていた。)、一人暮らしで私立の大学に通う手立てを探った。
・少し気が引けたが親戚の叔父や離縁していた父親にも連絡を取り、いくばくか支援していただけないだろうか、というお願いをしに行った。

・そうやって模索した結果、同志社に通う算段が付いた。
・誘ってくれた彼と共に、同志社大学を受験することに決めた。

・もちろん彼ほどの学力はなかったので、さすがに滑り止めとは呼べなかった。
・何回か分の過去問は解いた。

***

・結論、自分は九州大学には落ち、同志社大学には受かった。
・同志社大学へ入学することになった。

・負け惜しみなどではなく、この結果に落ち着いて本当に良かったと思った。
・居心地の悪い実家を出ることができ、京都で一人で新生活を送ることができる。なんと素晴らしいことだろうか。
・あの時彼が「一緒に受験しよう」と声をかけてくれていなかったら、自分は全く別の人生を送っていただろう。命の恩人と言っても過言ではない。

・余談だが、その彼は同志社はもちろん、上智大学と九州大学にも受かり、九州大学へ進学していた。

***

・高校生活ではいろいろなことがあった。
・落ち込むことも悩むこともたくさんあったが、楽しいこともたくさんあった。

・自分の高校での3年間は、それまでの人生の中では一番中身のある生活だった。唯一充実している生活だった。

・京都の大学へ進学できる期待感は膨らみつつも、高校卒業が本当に寂しかったことを覚えている。
・寂しかったのとともに、安堵したのも覚えている。

・中学卒業時と同じ感情にならなくて良かった。卒業したくないと思える高校生活を送ることができて良かった。

・あぁ、ようやく自分は、自分の人生を歩み始めることができたのだ。


・次回。

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